幻の五輪金メダリスト「古橋廣之進」 敗戦国・日本の雪辱を果たした男らしさを再び

日本にはかつて、敗戦国であるがゆえに出場を認められなかったオリンピックがありました。そんな日本の雪辱を果たした水泳・古橋廣之進選手について、ノンフィクション作家の合田一道さんが振り返ります。


出場を拒否された1948年ロンドン五輪

 東京オリンピック・パラリンピックが近づいているものの、新型コロナウイルスの影響で、世論は「中止や延期もやむなし」というムードに傾きつつあります。

 ところで日本には、敗戦国ゆえに参加できなかったオリンピックがあるという悲しい歴史をご存じでしょうか。

力泳する古橋選手(画像:合田一道)



 第2次世界大戦の長期化により中断されていたオリンピックは1948(昭和23)年、イギリス・ロンドンで12年ぶりに開催されることになりました。ところが日本は敗戦国であるのを理由に出場を拒否されます。ドイツも同様でした。

 この時期、敗戦に打ちひしがれていたわが国を奮いたたせる英雄が現れました。水泳の古橋廣之進(ふるはし ひろのしん)です。

 古橋は前年の1947年夏、東京の神宮外苑・神宮プールで行われた戦後初の日本水泳選手権大会に出場し、400m自由形で4分38秒4の世界新記録を打ち出しました。

 好敵手の橋爪四郎選手もまた好記録を出しました。しかし日本水泳連盟は国際水泳連盟から除名されていたため公認されず、「幻の記録」となったのです。

若き水泳のエース・古橋の挑戦

 オリンピック関係者は何とかオリンピックに参加させたいと打診を重ねましたが、占領下に置かれており、結局、無為に終わったのです。出場できないと知って、関係者はもとより多くの国民は肩を落として悔しがりました。

 ここで日本水泳連盟は驚くべき妙案をひねり出します。ロンドンオリンピックの日程に合わせて全日本水泳選手権を開き、記録でオリンピックと競おうとしたのです。敗戦国・日本が世界にたたきつけた挑戦状でした。

 19歳11か月、もうすぐ20歳になる日本大学在学中の古橋は身震いしたことでしょう。

世界記録を大幅に上回る「18分37秒」

 1948(昭和23)年8月6日、神宮プールは1万7000人の大観衆で埋まりました。お目当ての男子1500m自由形決勝を迎えて、熱気が一段と高まっていきます。

 大観衆が固唾を飲むなか、号砲が鳴り、レースが始まりました。

 スタート早々から古橋と橋爪のデットヒートです。古橋が水しぶきをあげてターンすると、橋爪はわずかな差で追いかけます。すさまじいレース展開に会場は歓声が飛び交います。激戦の末、最後に古橋がタッチの差でゴールインすると、感動と興奮が会場を包み込みました。

 タイムが発表になります。

「18分37秒0」

 世界記録を21秒も短縮する驚異的な記録です。2位の橋爪はわずか0秒8の差。肝心のロンドンのオリンピック1500m自由形優勝のマクレーン(アメリカ)は19分18秒5で、それをはるかに上回る圧倒的勝利と知った国民は、「日本がアメリカに勝った」と喜び合いました。

 連合国の占領下にあって鬱積(うっせき)していたものが炸裂したといってもよいでしょう。古橋は同月8日の400m自由形でも、世界新記録を上回る記録を出しました。

全米水泳選手権で浴びた大喝采

 古橋の活躍は世界の注目を集め、翌1949(昭和24)年夏、アメリカ・ロサンゼルスの全米水泳選手権に招待されて出場、オリンピック出場選手と直接対決しました。

 古橋は1500m自由形で抜群の強さを見せ、2位のスパーゴを175mも引き離してゴールイン、自身の持つ非公式世界記録を18秒も更新する正真正銘の世界新を打ち立てたのでした。

古橋の活躍を伝える当時の朝日新聞(画像:合田一道)



 さらに出場した4種目すべてを世界新記録で優勝する快挙を成し遂げ、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれるようになります。

 以来、古橋は出場したレースで世界記録を13回も更新し、以後丸4年間、不敗を誇るこ
とになるのです。

「たった1杯の水」が縮めた選手生命

 これほどの成績を上げたにも関わらず、 古橋はオリンピックのメダルを獲得できなかったのです。外遊中、不用意に飲んだ水が原因でした。

 日米対抗大阪大会前に古橋は3か月にわたり南米5か国に遠征しますが、リオデジャネイロのホテルの部屋に置いてあった水を飲んだところ激しい腹痛に襲われます。アメーバ赤痢でした。これが選手生命を短くしたのです。

 帰国後の1950(昭和25)年夏、神宮プールで開かれた日米対抗東京大会は体調が思わしくなく、1500mは避けて、200、400、800mに出場して優勝しました。しかし日米対抗大阪大会ではコンノ (アメリカ) に敗れ、引退を意識するのです。

 それでも古橋は「無理だ」と感じながらも1952年のヘルシンキ・オリンピックに出場します。しかし400m自由形決勝で最下位の8位に。惨敗でした。

在りし日の古橋氏(画像:合田一道)



 NHKのアナウンサーが「日本の皆さま、古橋をどうか責めないでください」と涙声で訴えるのをラジオで聞き、筆者は首うなだれた高校時代の記憶が残っています。

 晩年、日本水泳連盟会長の古橋と会い、金メダルをめぐる「飲料水の話」を聞くと「そうですよ」とさらりと答え、あとは黙ってほほ笑んでいました。敗戦後の日本に光を掲げた男らしさが漂い、すがすがしい気持ちになったものです。


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