ネガティブイメージから憧れの対象へ 「オタク」が市民権を勝ち取るまでの長く険しい平成30年史
2020年11月23日
ライフ今どき若い世代にとって「ヲタ活(ヲタク活動)」は当たり前。かつてネガティブなイメージが付きまとったオタクは、いかにして“市民権”を獲得したのでしょうか。ライターの星谷ななさんが平成から令和に至るオタクの30年史を振り返ります。
オタクが「ネガティブ」イメージだった頃
ご存じの通り、「オタク」という言葉はかつて主にネガティブな意味合いで使われてきました。
たとえば中学高校なら、クラスの中心的存在では決してなく、どちらかといえばあまり全体になじめない面々こそがオタク。彼らは好きなアニメなどについて熱く語り合い、その盛り上がる様子を周囲の人たちはやや冷ややかな目で見つめる――。そんなイメージが世間では一般的でした。

休日はオタクの聖地・秋葉原に集合、服装はパンツインしたチェックシャツでアニメグッズを探す。1970年代に始まったコミックマーケット(コミケ)では、1か所に大勢のオタクたちが集まり、自分たちの好きなアニメなどを基にした漫画同人誌を売買する姿に驚いた人も少なくないでしょう。
また、昭和から平成へと変わる1988(昭和63)~1998(平成元)年には「宮崎勤事件」が発生。東京と埼玉で4人の幼女が犠牲になった事件の犯人が大量のアニメなどのビデオを所持していたという報道は、日本中のお茶の間に衝撃を与えました。
この事件がオタクという言葉に負のイメージを植えつけた大きな要因であるのは間違いありません。
しかし時は流れ、オタクが「オタクである」ことだけをもって否定される時代はもはや過ぎ去ったように思われます。

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