古墳だらけの東京・狛江市、歴史通じゃなくても思わずコ~フン間違いなし?

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古墳だらけの東京・狛江市、歴史通じゃなくても思わずコ~フン間違いなし?

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荻窪圭

フリーライター、古道研究家

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かつて「狛江百塚」と呼ばれたほど多くの古墳があった狛江市。そんな狛江市の古墳について、フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんが歴史を交えて解説します。

古墳散策の季節がやって来た

 秋です。秋といえば古墳散策の季節ですね。

 古墳や城跡って草や木々に覆われているじゃないですか。だから春から夏は草が茫々(ぼうぼう)で虫もいっぱい、下生えが邪魔して歩きづらいし、緑が邪魔をして形が見えづらいのです。でも秋が深まって冬が近づくにつれ草が枯れ木の葉も落ち遠くから形があらわになり、「ああ、確かにあれは古墳だなあ」って感じになります。

 というわけで、今回は東京の古墳散策で1番好きなエリアを取り上げることにしました。それは狛江市。

畑の中にポツンと残る前原塚古墳。道路からのその様子がよくわかる。この見通しの良さがポイント(画像:荻窪圭)



 世田谷区と調布市と多摩川に挟まれた小さな市で小田急線が通っていて狛江駅と和泉多摩川駅があります。小さいのですが、実は古い歴史が詰まっていて見どころが多いのです。

 特に古墳。かつて「狛江百塚」と呼ばれたほどたくさんありました。今は古墳の形がそのまま残っているものから部分的に辛うじて残されたものまでさまざまですが、10基以上が残ってます。では行ってみましょう。

多摩川沿いには古墳がたくさん

 スタートは小田急線和泉多摩川駅。各駅停車しか止まらない小さな駅で、多摩川のすぐ近くにあります。多摩川が近い、というのがポイントひとつ。多摩川沿いには古墳がたくさんあったのです。

 和泉多摩川駅をおりて商店街を南西に向かうと、ちょっと広い道に出ます。このバス通りには「鎌倉街道」伝承が残ってます。多摩川の渡しへ向かう古道でした。

 通りを渡って、住宅街の片隅にあるのが猪方小川塚古墳(狛江市猪方3)。

 猪方というのはこの辺りの地名です。ここ、非常に新しい古墳……という言い方は変ですね、新しく発掘された古墳で、2011年に宅地造成に伴って発掘調査を行ったところ、墳丘(ふんきゅう。人を葬るためなどに土を積み上げて作った丘)は削られてほとんど残っていなかったものの、横穴式石室が発見されたのです。民家の庭に円墳の4分の1くらいがなんとか残っていた感じ。

 古墳時代後半の7世紀のものと推測されています。大化の改新が7世紀半ばですからその頃かもしれません。

猪方小川塚古墳公園。中央の屋根の中に発掘された石室が残っており、アクリル板越しに見ることができる(画像:荻窪圭)

 その土地が丸々「猪方小川塚古墳公園」として整備されたのが2020年4月。オープンしたばかりです。民家の間の小さな公園ですが、発見された石室を間近に見られるので古墳好きにはたまりません。

住宅街や農地にさりげなくたたずむ古墳群

 そこから北へ向かうと農地の真ん中にポツンと前原塚古墳(同)現れます。私有地なので近寄れませんが、畑の真ん中にあるので道路からその形がよくわかります。昔はこんな感じでいろんな古墳がポコポコとあったのでしょう。

 先ほどのバス通り(鎌倉街道)に戻って北上し、世田谷通りを超えます。この辺りもかつて古墳が三つあり、それぞれに熊野神社・諏訪神社・稲荷神社の祠(ほこら)がありました。今はどれも残ってません。ちょっと残念。

マンションの間にも古墳が……

 さらに北上し丁字路(丁字形になっている道路。T字路)を左折して小田急線の高架をくぐって道なりに歩いていくと、右手に江戸時代から有名な「亀塚古墳」(同市元和泉)の「残骸」があります。

 40mを超える大きな帆立貝型古墳だったのですが、戦後の宅地開発で墳丘が周囲が削られて住宅地になり、民家に囲まれた中に辛うじて「狛江亀塚」碑が残され、知る人ぞ知る古墳になってしまいました。宅地開発時の発掘で多くの遺物が発見されています。

 それが、宅地跡を利用して道路から亀塚古墳の碑までを「亀塚古墳公園」として整備し、訪問しやすくなったのが2020年の4月。猪方小川塚古墳公園と同時のオープンです。

亀塚古墳公園の「狛江亀塚」の碑。公園化されてアプローチが整備された(画像:荻窪圭)



 亀塚古墳公園からさらに道なりに北上していくとやがて田中橋の交差点に出ます。ここに六郷用水(次大夫堀)が流れており、その橋の名が残っているのです。

 今は六郷さくら通りというバス通り。この道を東へ向かうとふたつのマンションの間に「経塚古墳」があります。かつて南にある泉龍寺の境内で、経を埋めたという伝承があるためその名がついてます。

 フェンスに囲まれており入り口には鍵がかかってますが、右隣にあるマンションの管理人にお願いすれば中に入れてくれます。

神社そばに現れた古墳

 田中橋の交差点に戻り北上。左手に小さな庚申(こうしん)塔が見えますから、そこを左折してまっすぐ進むと左手にこの辺りの鎮守「伊豆美神社」があります。ちなみに、この辺りの地名「和泉」の漢字を変えただけで「伊豆」地方とは関係ありません。

 その神社の手前を左に入って奥まで歩いていくと、左手に大きな古墳が現れます。「兜(かぶと)塚古墳」(同市中和泉)です。

兜塚古墳の入り口。奥に見えるこんもりした山が古墳(画像:荻窪圭)



 ここは墳丘がそのまま残されており、一体が保全されています。入り口の門は閉まってますが、(私が知る限り)鍵はかかってないので入っても構わないでしょう。

さまざまな形で生き残る古墳

 次の古墳は「白井塚古墳」(同市中和泉)。伊豆美神社前の道の北側にある「白井造園」の中にある古墳です。墳頂には先祖代々からここに住む白井家の屋敷稲荷があり、参拝のための階段も作られています。私有地なので、白井家の方に断って見せていただきました。

 白井塚の東側には飯田家の飯田塚古墳がありましたが、近年宅地として開発されました。辛うじて墳丘の一部とそこに祭られていた稲荷が残ってます。

 白井塚や飯田塚の北側を通る東西の道が、かつて府中と品川を結んだ品川道の名残。狛江は古くから交通の要衝だったのですね。

 その道を駅に向かって歩くと、左手に松原東稲荷塚古墳(同)があります。私有地なので勝手に入ることはできませんが、道路から墳丘と墳頂の稲荷を見ることができます。

 さらに東に向かい、信号を渡って道なりに歩くと、道が左にカーブしていく辺りの右手に道路で大きく削られた古墳が見えます。これが「駄倉塚古墳」。駄倉というのはこの辺りの地名です。

品川道から見た駄倉塚古墳。2方向が削られているのがわかる(画像:荻窪圭)

 詳細は不明ですが、小ぶりな円墳がきれいに残っており、墳丘に祠も置かれていることから屋敷神が祭られていたのでしょう。今はビルの一角ですが、管理人室に一言断れば見せてくれます。ここまで来れば狛江駅はすぐ。

 今回出てきた古墳は全部で9基。1日で点在する古墳9基を味わえる狛江市はもっと古墳を宣伝してもいいんじゃないでしょうか。

 ある古墳は史跡指定されて公園になり、ある古墳は畑の真ん中にでんと構え、ある古墳は今でも旧家の神様が祭られており、ある古墳はお寺の一部として、ある古墳はビルの裏手に、とさまざまな形で現代の街に生き残っている様子を見ることができる狛江古墳群。

 古墳好きならぜひ。

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