20年前に滅んだ花街「柳橋」 時代におもねらず、江戸の粋を最後まで貫いた誇り高き魂をもう一度
2020年10月20日
知る!TOKYO約20年前まで台東区に柳橋という、粋で誇り高い花街がありました。その歴史について、フリーライターの本間めい子さんが解説します。
いまは無き「幻の花街」
かつて東京のあちらこちらに、粋な遊びを好む人たちが集い、三味線の音が鳴る芸者町がありました。
代表的な芸者町は、
・芳町(現・日本橋人形町の一部)
・新橋
・赤坂
・神楽坂
・浅草
・柳橋
の六つ。これを総称して「東京六花街」と言います。
かつてほどではありませんが、これらの街はいまだに粋な人たちでにぎわいを見せています。柳橋を除いては。
柳橋は現在の台東区柳橋にあり、ここだけはすべての料亭が姿を消し、「幻の花街」となっているのです。

柳橋の地名は、神田川が隅田川と合流したところに架けられた橋にちなんでいます。
この場所が花街になったのは、江戸時代の1824(天保13)年頃のこと。老中・水野忠邦による天保の改革で深川の岡場所(幕府非公認の私娼街)が禁止され移住してきた芸妓(げいぎ)たちによって形成されました。
深川は岡場所でしたが、同時に芸を売る芸妓たちも多くいました。深川は材木商人たちが多く集まっていたこともあり、当時の商談において芸妓はなくてはならない存在だったからです。
芸は売るが身は売らない――薄化粧で身なりも地味、冬でも足袋を履かないことを美学にする彼女たちは辰巳芸者と呼ばれ、粋を極めた存在でした。
そんな彼女たちによって始まった柳橋ですが、隅田川に面した立地は景色もよく風光明媚(めいび)で、大いににぎわいました。
明治時代になり新たに新橋にも花街ができ、こちらも人気になると「柳新二橋(りゅうしんにきょう)」と称されるようになりました。しかし格は柳橋の方がはるかに上で、もしもお座敷で同席した際は新橋のほうが三寸下がるという不文律もありました。
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