シェアリングエコノミーとは何か
ここ数年、シェアリングエコノミー(共有経済)という言葉をよく耳にします。
シェアリングエコノミーとは、モノやサービスを共同の資源として利用する経済で、その資源を最大限に活用するために、近年はビジネスと結びつくことが多くなっています。
例えばカーシェアリングです。
カーシェアリングはレンタカーと異なり、個人間で車をシェアします。東京に住んでいると、地下鉄やバスでの移動が多く、普段はあまり車に乗る機会がないため、こうしたサービスは大変便利です。
またエアビーアンドビー(Airbnb)などが日本に進出し、民泊が注目され始めた頃、シェアリングエコノミーという言葉は日本に定着しました。
今や、コワーキングスペースやクラウドファンディングも同様、若い世代のルームシェアは当たり前です。
加えて、コロナ渦の昨今にニーズが増しているウーバーイーツ(Uber Eats)もシェアリングエコノミーにおける代表的なひとつになりました。都内では至る所で、自転車で駆け抜けるウーバーイーツを見かけます。
日本にずっと昔からあった
このように、シェアリングエコノミーは自動車、不動産、金融、食などあらゆるビジネス分野に広がり、すでに私たちの生活にも溶け込み定着しています。今後も、情報技術革新により、さまざまな分野でのシェアリングエコノミーが広がっていくことを予感させます。
一方、シェアリングエコノミーは実はずっと昔からありました。それは銭湯(公衆浴場)です。
一昔前、各家庭にお風呂がなかった時代に、衛生上必要不可欠であったお風呂を共同で利用する銭湯は、現在でいうシェアリングエコノミーのはしりだったと言えるのではないでしょうか。
ただ、銭湯が前述のサービスと異なるのは自治体からの助成金を受けている点です。そのため公共的要素が強く、また今も変わらず地元民たちのコミュニティーの場となっています。まさに、裸の付き合いといったところでしょう。
これは昔から地域に根付いているからこそ、そうしたことが感じられる場所になり得るのです。
銭湯は極楽浄土だった?
また、銭湯は懐かしさや歴史的な古さといったノスタルジーを感じられる場所でもあります。昔ながらのケロヨンのおけが置かれていたり、壁にペンキ絵と言われる富士山の絵が描かれていたりして、年配の世代には懐かしさ、若い世代にはレトロ感を味わえます。
それだけではありません。特に東京にある古い銭湯の建物は歴史的建造物のような外観のものを多く見かけます。これらは、宮大工の技術を持つ人たちが関東大震災の復興のために、その技術を駆使して豪華な唐破風(からはふ)の屋根にしたと言われています。
この唐破風は見た目が豪華だけでなく、ここに入ると極楽浄土であることを表現しています。お風呂に入ることは極楽であるということなのか、それとも俗世の汚れを落とし、一新して復興に向かうという意味だったのでしょうか。
ともあれ、お風呂はその当時も今も欠かせない癒やしを提供してくれる場所であり、銭湯は長い年月を経て日本文化のひとつになってきたと言えるでしょう。
こうした古くて新しい雰囲気もあってか、近年では多くの若い人たちが銭湯に興味を持っています。彼らに言わせると、
「それぞれの銭湯が持つ地域性や情緒を気軽に味わえ、お金をかけずに楽しめるから」
とのことでした。
これは、海外旅行に行った際にレアな店や場所を巡るのと同じ感覚です。たしかに、コロナ以前、訪日外国人も銭湯を訪れるケースが増えていました。
日本の伝統文化と日常文化に触れられる空間
このように、銭湯は東京の下町の固有資源となっているのです。
例えば銭湯が多く残る足立区の場合、北千住のタカラ湯(足立区千住元町)が有名です。タカラ湯は北千住駅から徒歩20分の路地にたたずんでいます。このかいわいは銭湯の宝庫でもあります。
その中でもタカラ湯は1927(昭和2)年創業で、建物や庭園もすばらしい銭湯のひとつです。正面玄関の七福神の彫刻は著名な作家が制作したもので、これだけで美術的価値がある高価なものだそうです。
また、浅草の曙(あけぼの)湯(台東区浅草)も「唐破風」の屋根を持つ銭湯のひとつで、1949年に創業された銭湯です。
この屋根の上には藤の花があり、台東区の「街角百景」にも選ばれています。藤の花が満開になる5月頃はそれを目当てに多くの人が撮影にやってきます。一方、浅草という観光地でありながら、銭湯の利用客は地元民が多くなっています。
そして、俳優の阿部寛さんが主演した映画『テルマエ・ロマエ』(2012年公開)のロケ地にもなった稲荷湯(北区滝野川)も1930年に建てられた「唐破風」の屋根のある銭湯です。脱衣所の外には池があり、とても豪華。映画の聖地ということもあり、海外からの訪問客もいるようです。
まさに銭湯は、気軽に日本の伝統文化と日常文化に触れられる空間であると言えます。
変容する銭湯の在り方
こうした貴重な空間でありながら、ほとんどの家庭にお風呂がある現在、銭湯の数も年々減少しています。
2006(平成18)年には963軒あった都内の銭湯は年々減少し、2019年には520軒と約半数近くになっています。利用者数も同様に、2006年には3万9273人だったのが、2019年は2万3389人と減少傾向の一途をたどっています。
ただ、銭湯の形を残したままで再利用・再活用され、古くて新しいしゃれた場所に生まれ変わっている銭湯もあります。都内のそうした場所では、演劇やライブなどのイベントが行われたり現代アートの展示場になったりと、若者を引き付ける場所になっています。
例えば、北千住BUoY(ブイ。足立区千住仲町)です。
ここは元々地下に銭湯、2階にボーリング場がありました。20年以上廃虚のままでしたが、カフェ併設のアートセンターに変貌しました。現在は詩、建築、演劇、ダンス、音楽、映画、現代美術といった多様なアートを発信し、小劇場のネットワークを形成する場所に生まれ変わっています。
ほかにも、台東区谷中の柏湯は200年の歴史がありましたが、1993(平成5)年から現代アートのギャラリーとしてスカイザバスハウス(SCAI THE BATHHOUSE)として再利用されています。ここも伝統的な東京の建築様式である「唐破風」の屋根で、高い煙突を残してリノベーションされています。
このように、銭湯は時代の変化に伴い、「温浴としてのシェリングエコノミー」という形から、「銭湯のハードを共同で利用するシェアリングエコノミーへ」と変容しています。
その背景には、銭湯が地域に根付いたコミュニティーを感じられる、そして、歴史と新しい文化的雰囲気を感じられる場所として、時間をかけて地域固有の文化になっていったことが挙げられます。
たまには皆さんも、東京下町の銭湯建築巡りをするのも粋かもしれません。