スネ夫のママみたいな「ざあます言葉」だった東京弁が「標準語」に変わっていったワケ

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スネ夫のママみたいな「ざあます言葉」だった東京弁が「標準語」に変わっていったワケ

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真砂町金助

フリーライター

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日本語の「標準語」とされる東京での話し言葉は、かつて「ざあます言葉」や「てよだわ言葉」など、標準語のイメージとは異なる表現が多用されていました。現代のような標準語が定着するまでにどのような経緯があったのか、フリーライターの真砂町金助さんが日本語の歴史をたどります。

常に変化している「話し言葉」

 言葉というものは、毎日使うものですから、恐ろしいスピードで進化していきます。

 なにしろ、言葉が通じないと日常のコミュニケーションが取れません。とりわけ、日常会話に用いる言葉(口語)は、省略されたり簡易なものになったりしていきます。

 例えば、英語はドイツ語やオランダ語と同じくゲルマン語系のひとつで、ラテン語からも影響をうけていますが、文法や活用などはより簡易なものになっています。

 そんな英語を話す開拓者が、日本領になってからも定住していた小笠原諸島では、小笠原方言と呼ばれる英語と日本語が入り交じった独特の言語も用いられていました。

 最近で言えば「やばい」が多様な意味を持つ言葉へと変化したように、言葉というものは変化しやすいものです。ところが、日本では全国どこでも、だいたいみんな「標準語」を理解していると思っています。

語尾に「ざます」が付く話し言葉が特徴的なスネ夫のママ。かつて、こうした東京弁(山の手言葉)が広く使われていたという。テレビ朝日のウェブサイトより(画像:(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK)



 このときイメージされる標準語とは、だいたい東京で話してNHKが使っているような言葉というものです(昭和の頃には標準語を指して「NHK語」と呼ぶ人もいました)。

 でも、不思議なことに東京の言葉を指して標準語とすることを決めた法律はありません。

 それに標準語は、今でも下町の老人には話す人がいる「江戸弁」とは違うような気もします。また、かつて東京には『ドラえもん』に登場するスネ夫のママのような「ざあます言葉(山の手言葉)」を使う人も多くいました。

 そうした東京弁が、いわゆる「標準語」へと変化していった――。これは一体どういうことなのでしょう? 今回はその歴史をたどります。

 明治維新を迎えて、「日本でも標準語を制定するべき」という異見を唱える人が登場します。

東京・山の手の言葉を標準語に

 その背景にあったのは、外国人からの指摘です。開国以降、全国各地に外国人が渡来するようになったのですが、それぞれに方言があり、どれが標準的な日本語なのかを尋ねても、誰もわからなかったからです。

 標準語を求める論に大きな役割を果たしたのは、国語学者の上田萬年(うえだ かずとし)です。

 新村出(しんむら いずる)や金田一京助の師匠にあたる優れた言語学者であった上田は、標準語の必要性を説き、適当なものとして東京の山の手に住む教養ある人々が使う言葉であると説きます。

 上田が東京の山の手言葉を推した理由は、江戸時代から長らく日本の中心であり、天皇陛下が移られたことで、これからも中心であること。さらに、参勤交代の制度などもあったことから、日本全国でもっとも通用する言葉だと考えたからです。

標準語の必要性を訴えた言語学者の上田萬年(画像:東洋文庫)



 ところが、これには反対論も出てきます。

 主な批判は、東京語、すなわち上田の推す山の手言葉の語彙(ごい)の少なさです。

 例えば、東京語では大根もワサビも、みそもしょうゆも全て「カライ」といいます。それに対して多くの地方では大根やワサビはカライ、みそや塩はショッパイといいます。

 そんな批判もあったものの、上田の論を支持する人は多く1902(明治35)年に刊行された国定教科書『尋常小学読本』では、「教育ある東京人の話し言葉」をもとにした文体が用いられます。

 これ以降、教科書を軸にして標準語という言葉が用いられるようになります。

 この教科書編さんにせんだってつくられた『尋常小学読本編纂趣意書』では、「文章ハ口語ヲ多クシ用語ハ主トシテ東京ノ中流社会二行ワルルモノヲ取リカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ其統一ヲ図ルヲ務ムル」と、明記されていました。

東京で標準語が定着した必然性

 標準語という言葉は、英語の「Standard Language(スタンダード ランゲージ)」を翻訳した言葉です。あくまで、標準的な言葉という意味なのですが、教科書に用いられる言葉ということで、標準語こそが正しいものであり、方言は間違った言葉という考えが横行するようになります。

 これを踏まえて、太平洋戦争後には「標準語」という言葉は廃止されて「共通語」が使われるようになっています。

 教科書では「教育ある東京人の話し言葉」として採用された山の手言葉でしたが、実際に教科書に載っているような言葉を話している人は、ほとんどいませんでした。

『ドラえもん』でスネ夫のママが使っていることで広く知られている「ざあます言葉」であるとか、「いやだわ」「よくってよ」といった「てよだわ言葉」など、教科書とはズレた東京弁が広く用いられていたわけです。

スネ夫のママ(左)が登場した、2015年11月13日放送『ドラえもん』の「マツタケ食べたい!」回(画像:(C)藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK)



 ところが、戦後になり、こうした東京弁はNHK的な標準語へと大きく変化をしていきます。

 高度成長期を迎えて発展した東京には、全国から人が集まり、ベッドタウンが栄えるようになります。

 全国から集まってきた新たな「東京人」は、コミュニケーションの必要性から、自然と相手に伝わる言葉を探るようになります。その結果、使われるようになったのが、教科書に書かれていたり、NHKのアナウンサーが話したりしているような、極めて標準語風な言葉だったのです。

標準語とは全国の言葉の集合知

 言葉の変化というのは「言葉の乱れ」といった風にネガティブに捉えられることが多いのですが、この当時の変化は「行っちゃった」が「行ってしまった」に変化するなど、むしろ過剰なほど折り目正しくなっている事例として注目されるものでした。

 ここに、よく語られる「標準語 = 東京の人が話している教科書やNHKのアナウンサーのような言葉」というイメージは定着を見たといえるでしょう。

 さらに、この新たな東京語は進化をしていいます。

 国語学者の金田一春彦は雑誌『東京人』1987年1月号に寄せた文章で「今、東京語は、さかんに各地の言葉を取り入れて変貌しつつある」として、いくつかの事例を紹介しています。

 埼玉・千葉県由来の「雨が降るみたいだ」という言い回しや、大阪あたりから入ってきた「~とちがいます(「ありません」の代わりに用いる)」などがそれです。

 また、今では当たり前に用いられている「えげつない」「がめつい」という言葉も関西由来。カボチャも、東京ではトウナスと呼んでいたものが、関西のカボチャという呼称に代わったことを指摘してます。

東京では「トウナス」と呼ばれていたカボチャは、関西の呼称が定着(画像:写真AC)



 こうしてみると、われわれが全国どこでも通じるものだと思っている東京の言葉というのは、全国の言葉のいいとこ取りをした言葉のようにも見えます。

 最近は「やばい」なんかが代表例ですが、気がついたら全国どこでも誰でも通じるようになっていた言葉は、いくつもあるのでしょう。

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