スネ夫のママみたいな「ざあます言葉」だった東京弁が「標準語」に変わっていったワケ
2020年8月17日
知る!TOKYO日本語の「標準語」とされる東京での話し言葉は、かつて「ざあます言葉」や「てよだわ言葉」など、標準語のイメージとは異なる表現が多用されていました。現代のような標準語が定着するまでにどのような経緯があったのか、フリーライターの真砂町金助さんが日本語の歴史をたどります。
常に変化している「話し言葉」
言葉というものは、毎日使うものですから、恐ろしいスピードで進化していきます。
なにしろ、言葉が通じないと日常のコミュニケーションが取れません。とりわけ、日常会話に用いる言葉(口語)は、省略されたり簡易なものになったりしていきます。
例えば、英語はドイツ語やオランダ語と同じくゲルマン語系のひとつで、ラテン語からも影響をうけていますが、文法や活用などはより簡易なものになっています。
そんな英語を話す開拓者が、日本領になってからも定住していた小笠原諸島では、小笠原方言と呼ばれる英語と日本語が入り交じった独特の言語も用いられていました。
最近で言えば「やばい」が多様な意味を持つ言葉へと変化したように、言葉というものは変化しやすいものです。ところが、日本では全国どこでも、だいたいみんな「標準語」を理解していると思っています。

このときイメージされる標準語とは、だいたい東京で話してNHKが使っているような言葉というものです(昭和の頃には標準語を指して「NHK語」と呼ぶ人もいました)。
でも、不思議なことに東京の言葉を指して標準語とすることを決めた法律はありません。
それに標準語は、今でも下町の老人には話す人がいる「江戸弁」とは違うような気もします。また、かつて東京には『ドラえもん』に登場するスネ夫のママのような「ざあます言葉(山の手言葉)」を使う人も多くいました。
そうした東京弁が、いわゆる「標準語」へと変化していった――。これは一体どういうことなのでしょう? 今回はその歴史をたどります。
明治維新を迎えて、「日本でも標準語を制定するべき」という異見を唱える人が登場します。
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