都内にひっそり残る「奇妙な墓石」の数々 中には架空人物まで……一体なぜ?

お盆の季節がやってきました。東京都内には、歴史的な人物をまつった墓がいくつも残されています。なかには実在しない者の墓まで……。ノンフィクション作家の合田一道さんが、さまざまな墓石とその歴史をたどります。


まるで「聖地巡礼」 人々の思いが宿る墓

 2020年もお盆の季節が巡ってきました。ただ新型コロナの影響で、地方にある先祖のお墓参りへ行くのは控えるという人もいるかもしれません。

 今回は、東京都内にあるちょっと風変わりなお墓を紹介します。

「ご注進」が口癖 魚屋の江戸っ子

 まずは、江戸っ子の代表とされる一心太助(いっしんたすけ)。神田三河屋の魚屋といわれ、講談や小説、戯曲に登場します。

 腕に「一心如鏡(いっしんかがみのごとし)」の彫り物をしている人気者。威勢が良くてけんかっ早く、正義感も強いが、相手が権力をカサに着た大名や役人となると、憤慨して懇意の旗本・大久保彦左衛門(おおくぼ ひこざえもん)の屋敷へ「ご注進」と叫んで飛び込みます。

 そこで彦左衛門がまかり出て、一件落着という筋書きです。

 太助の墓は、彦左衛門の菩提(ぼだい)寺の立行寺(りゅうぎょうじ、港区白金)にあります。

 立派なあずまやのそばに「一心太助石塔」と刻まれた石塔があり、墓石に「一心放光 延宝二年十二月廿三日 サカナヤ太助」と記されており、江戸前期のものとわかります。

遠山の金さん、ハットリくんモデルも

 サクラ吹雪の入れ墨でたんかを切る、“遠山の金さん”こと遠山金四郎景元(かげもと)の墓は、本妙寺(豊島区巣鴨)にあります。

 五輪塔造りの重厚な墓で、そばに立つ「名奉行遠山金四郎」の文字が誇らしげに見えます。

服部半蔵の墓(画像:西念寺ウェブサイト)



 アニメ「忍者ハットリくん」でおなじみの服部半蔵は、伊賀の忍びの者の頭目で、配下を従え江戸城の警備にもつきました。

 屋敷が麹町御門近くにあって半蔵屋敷と呼ばれ、これが今も残る「半蔵門」。墓は西念寺(さいねんじ、新宿区若葉)にあります。宝筐印塔(ほうきょういんとう)も立派なものです。

弱き者を助けた盗っ人、鼠小僧

 鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち)は身軽ですばしっこく、大名屋敷や武家屋敷ばかり狙い、盗んだ金を恵まれない家に投げ込んだといわれ、いまだに相当な人気者。

演歌歌手の氷川きよしも演じたことがある鼠小僧(画像:チャンネル銀河)

 墓は小塚原刑場跡の回向院(えこういん、荒川区南千住)と両国の回向院(墨田区両国)にありますが、面白いのは両国回向院の墓の前に置かれた「お前立ち」といわれる白い墓。

 墓石を削って懐に入れておくと勝負に勝てるといわれ、あまりに墓が削られるので、「削り用の石」として置かれたそうです。

 へえー、そうなの、と驚いてしまいますね。

悲恋に焼かれた少女、お七の念

 八百屋お七はその名の通り、八百屋の娘で年は15、6歳ほど。寺の少年・吉三に恋いこがれて会いたさが募り、新築のわが家に火を付けたと言われています。

 すぐ消されましたが、火付けは殺人と並ぶ大罪。捕らえられて町を引き回しのうえ、火あぶりの刑に処されたのです。

 処刑後に井原西鶴が浮世草紙「好色五人女」の中に「恋草からげし八百屋物語」として発表し、以後、歌舞伎や浄瑠璃となってさまざまに脚色されていきました。

歌川豊国「見立三十六句撰」八百屋お七(画像:国立国会図書館デジタルコレクション)



 そのため円乗寺(文京区白山)にあるお七の墓の標識の説明文には、歌舞伎役者の岩井半四郎が演じた縁で、お七の供養塔として建てられたとあり、隣にあるもうひとつの墓は、二百七十回忌供養塔として建てられたものだといいます。

 品川区南大井の鈴ヶ森刑場跡はお七が処刑された場所とされ、「火炙(ひあぶり)台」の跡もあり、いまは東京都の指定史跡になっているのです。

「白波五人男」実際したのは、ひとりだけ

 話を変えて、絶対にあり得ない人の墓を紹介しましょう。

 白波五人男といったら、日本駄衛門に南郷力丸、忠信利兵衛、赤星十三郎、そして弁天小僧菊之助。でもこのうち実在の人物は、日本駄衛門だけなのです。

 実は白波五人男は、狂言作家の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)が、江戸中を荒らし回って捕まった日本左衛門の名をもじって駄衛門とし、あとの4人は創作した5人組で悪事を働くのですが、それが痛快なのです。

大通りを入ったところに、ひっそりとたたずむ徳ノ山稲荷神社(画像:(C)Google)

 というわけで墓があるのは、静岡県島田市の宅円庵にある日本左衛門だけ。あずまやの中に安置されています。

 遺構として、日本左衛門が処刑されるときに首を清めた「首洗いの井戸」が徳ノ山稲荷神社(墨田区石原)にあります。

投げ銭をびしっと決める銭形平次

 次に、銭形平次は作家の野村胡堂(のむら こどう)の創作によるもので、1931(昭和6)年に小説誌「オール読物」の創刊号から登場しました。

 もともと岡本綺堂(おかもと きどう)の「半七捕物帳」の人気に対抗して生まれたものですが、投げ銭をびしっと決めるかっこよさが受けてヒットし、戦後まで26年間も連載されるロングヒットになりました。

 映画化もされ、長谷川一夫や大川橋蔵など美男役者の当たり芸になりました。

 胡堂が無くなり、捕物作家クラブ所属の作家たちが胡堂の功績をたたえて1963(昭和38)年、神田明神(千代田区外神田)の境内に建立したのです。

 自然石に「銭形平次」の文字が見え、そばには子分の八五郎(がらっ八)の碑も立っていて、和ませてくれます。

 岡本綺堂の作品を基にした「半七塚」は浅草寺(台東区浅草)にあります。やはり捕物作家クラブによる1949(同24)年の建立ですから、こちらが先輩というわけです。

作品を現実世界でも愛する気風

 作家が書いた作品が、書物から飛び出して映画や舞台を駆ける、そして作者が亡くなり、その人の功績の碑、つまり墓が建つ……。

 現代でも人気の漫画やアニメは「聖地巡礼」などといって縁(ゆかり)の場所を訪ねることがあるようですが、好きな作品は現実世界でもとことん大切にする日本人の気風は、今も昔も変わらないようですね。


【画像】記事中に登場する「奇妙な」墓の数々(画像5枚)

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