コンビニ定番の「ワッフル」 ルーツはなんと古代ギリシャで、日本独自の進化も遂げていた【連載】アタマで食べる東京フード(6)

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コンビニ定番の「ワッフル」 ルーツはなんと古代ギリシャで、日本独自の進化も遂げていた【連載】アタマで食べる東京フード(6)

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畑中三応子

食文化研究家・料理編集者

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味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。

「ワッフル」の定義とは

 皆さんは「ワッフル」と聞いて、どんなお菓子をイメージしますか?

 大半の人が思い浮かべるのは、丸くて食感のしっかりしたベルギーワッフルか、さくっふわっとして軽いアメリカンワッフルのどちらかでしょう。

 最近は薄手でクッキー風のキャラメルワッフルも人気上昇中。いや、ワッフルというものは楕円(だえん)形のやわらかい皮にクリームやジャムを挟んだ菓子だと答える人は年配者のはずです。

 結論からいうと、すべてが正解。

 共通しているのは表面に凸凹の模様が入っていることで、その多くが格子状です。ワッフルは英語ですが、語源は中世オランダ語の「wafele」。「蜂の巣」から派生した言葉で、格子模様が特徴のウエハースも、同じ語源を持つ焼き菓子です。

原型は古代ギリシャ

 原型は古代ギリシャにさかのぼるという歴史あるワッフルは、日本に紹介された最初の洋菓子のひとつでした。

 1873(明治6)年に出版された『万宝珍書 食料之部 全』は、「甘菓子製法」が9種載っており、初期洋菓子資料としても貴重な西洋料理書。9種のうち唯一、現在まで作り続けられているのがワッフルです。

コンビニのワッフルは、クリームがよく見えるよう合わせ目を上にパッケージ。これは糖質オフの商品で、1個わずか73kcal(画像:畑中三応子)



 目次には「Waffles」と欧名が大きく入り、作り方ページでは「ウヲッフルス」、牛乳と卵黄、バターを溶かし混ぜたところに粉と塩少々を加えて練り、泡立てた卵白を混ぜて鋳器(鉄製のワッフルメーカーのことでしょう)で焼くというレシピです。

 砂糖が入らず塩味なところは、アメリカの大衆的な食堂で提供されるワッフルとそっくり。

 目玉焼きやソーセージ、ベーコンと一緒にワンプレートに盛られ、ワッフル自体には甘みがないかわりに、皿がメープルシロップの海になるくらいダボダボかけて、おまけに大量のバターをのせ、両方をしみ込ませながら食べるという超ハイカロリーなメニュー。アメリカ人の定番朝食です。

 日米の小麦粉の違いから、同じ配合でもアメリカのワッフルは日本の薄力粉で作るよりはるかに軽く焼き上がるので、どんなにシロップとバターたっぷりでも、意外なほどぺろりと入ります。

日本人が作った「サンドタイプ」

「クリームやジャムをサンドしたワッフルを思い浮かべるのは年配者」と書いたのは、1990年代後半、東京でベルギーワッフルが大ブームになる以前は、サンドタイプが圧倒的主流だったからです。

 大阪が本社のベルギーワッフル大手メーカー「マネケン」が、新宿に東京第1号店を開いたのは1996(平成8)年。街頭のスタンドで焼きたてを販売し、瞬く間に人気に火が付いて大ブレーク、ワッフルの概念を塗りかえてしまいました。

 サンドタイプは、実は日本人の創案。純和風のワッフルです。その歴史をひもといてみましょう。

1873年に出版された『万宝珍書 食料之部 全』(画像:国立国会図書館デジタルコレクション)



 ワッフルを初めて製品化したのは、洋菓子修業のため欧米に留学した最初の日本人だった米津恒次郎。

 米津は日本橋と銀座に店があった「米津風月堂」主人の次男で、1884(明治17)年、18歳で渡米し、その後ヨーロッパに渡ってロンドンとパリでも学びました。

 6年後に帰国の際、ウエハースの焼き器を持ち帰って製造販売を始めましたが当初はなかなか売れず、カステラのようなやわらかい生地にアレンジしてあんこを挟み、かしわ餅のようにふたつ折りにして、ワッフルの名前で売り出しました。

ワッフルとゴーフルのルーツは同じ

 ところで、ワッフルのフランス語名は「ゴーフル(gaufre)」です。古典菓子のひとつとして、ふわっとした厚みのあるものや薄手のビスケット風など、フランス各地ではいろいろなバリエーションが見られます。

 日本でゴーフルといえば、だれもが極薄パリパリの丸い洋風煎餅2枚のあいだにクリームが薄く塗ってあるお菓子を思い出しますが、これも日本人が編み出した独創的ワッフルの仲間なのでした。

「東京風月堂」のゴーフル。誕生は1927(昭和2)年、乾いたお煎餅になめらかで生っぽいクリームを組み合わせたところが斬新だった(画像:畑中三応子)

 ワッフルとゴーフル、形はずいぶん違っても、どちらもルーツは米津恒次郎。ほかにもサブレやマシュマロ、アップルパイなどを次々とはやらせた元祖カリスマ・パティシエです。

 現在ゴーフルを作っているのは、東京では「上野風月堂」と「東京風月堂」、関西では「神戸風月堂」の3店。それぞれ微妙に味が違うので食べ比べてみると楽しいでしょう。

日本初のグルメ小説にも登場

 柔らかいサンドタイプのワッフルに話を戻すと、素早く普及していつ頃からか、あんこがアンズジャムに変わり「ジャム入りワッフル」と呼ばれるようになりました。

 1903(明治36)年から報知新聞に連載された日本初のグルメ小説、単行本は記録的ベストセラーになった村井弦斎の『食道楽』にも登場します。

村井弦斎『食道楽』(画像:岩波書店)



 最初にカスタードクリームをサンドしたのは「新宿中村屋」で、1904年(明治37)のこと。明治後半から大正、昭和前期にかけて若者たちの憩いの場だったミルクホールでは、シベリヤ(カステラでようかんをサンドした和洋折衷菓子)やジャムのカステラ巻きと並び、ジャム入りワッフルが定番菓子でした。

 ミルクホールというのは、女給さんの接待が伴うカフェーとは違って、純粋に飲み物とお菓子やトーストを楽しめ、必ず新聞と雑誌、官報をそろえていたのが特徴。情報を得ることも店に行く目的のひとつで、いまでいえばインターネットカフェのような存在でした。

 しかし、昭和の記憶がある東京人にとって、ワッフルといえばなんといってもフランス菓子老舗の「コロンバン」でしょう。

 1931(昭和6)年、銀座にパリさながらのオープンエアカフェを開店した当時から看板メニューであり続け、デパ地下などの売店でも人気商品でした。ところがベルギーワッフルの隆盛で次第にサンドタイプの影が薄くなり、ついに製造中止に。今日なお懐かしむ声は少なくありません。

コンビニスイーツとしても人気

 現在コンビニスイーツとして命脈を保っているサンドタイプのワッフルですが、今でも極上の味に出会えるのが、麻布十番の「紀文堂」です。

 創業は1910(明治43)年、七福神の人形焼きと甘いお煎餅、そしてワッフルが看板商品の和菓子店で、すべてがかたくなに昔通りの手焼き。店の奥で職人さんたちが仕事をしているところが売り場から見られます。

皮が美しい「紀文堂」のワッフル。左から紫芋あん、抹茶カスタード、カスタードクリーム。この日は残念ながらアンズジャムは売り切れ(画像:畑中三応子)

 このワッフル、まず皮が素晴らしい。しっとりふっくらしながら、むっちり感も抜群で、さすがの職人技。風味が高く、甘みもほどよく、これだけ食べたいくらいです。よほど質のいい卵と粉と砂糖を使っているのでしょう。

 サンドの材料は、カスタードクリームとアンズジャムが定番で、日によって抹茶カスタードやチョコカスタードなども混じります。カスタード系はブランデーがほんのりと利いていて、なんともいえず上品。皮と自然になじんで、口のなかですっと溶けていく具合もお見事です。

“KIBUNDO”の模様が入った側を上に並べているのは、手焼きの皮に対する自信のあらわれかもしれません。

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