なぜか装甲車が登場! 石原プロ解散に見る「昭和テレビドラマ」の圧倒的な豪快さ

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なぜか装甲車が登場! 石原プロ解散に見る「昭和テレビドラマ」の圧倒的な豪快さ

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橘真一

ライター、ノスタルジー探求者

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先日解散を発表した、石原プロモーション。同プロはかつて都内の信じられないような場所で、信じられないものを使ってロケを行っていました。いったい何でしょうか。ライターの橘真一さんが解説します。

映画制作会社兼芸能プロだった

 先日、石原プロモーション(以下、石原プロ)が、2021年1月16日(土)をもって、その看板を下ろすことを発表しました。

 石原プロはもともと、大手映画会社「日活」の専属だった俳優・石原裕次郎が、独自の映画製作を目指し、1963(昭和38)年に設立したもので、映画製作会社と芸能プロダクションの機能を兼ねた会社でした。

石原プロの代表作『西部警察』(画像:石原プロモーション、GYAO!)



 芸能プロとしては、現在は渡哲也、舘ひろし、神田正輝、徳重聡らが所属し、かつては浅丘ルリ子、寺尾聰、峰竜太、石原良純らも籍を置いていました。

 一方、製作会社としては創業当初に、

・『黒部の太陽』(1968年)
・『栄光への5000キロ』(1969年)

などの映画をヒットさせています。

 ところが、70年代になると映画業界全体の業績悪化もあり、経営が厳しくなったことから、テレビドラマ製作にシフトチェンジ。テレビの世界で、また成功を収めることになります。

荒唐無稽だからこそ面白かった作品の数々

 石原プロが手掛けたテレビドラマの代表作として伝説化しているのが、1979(昭和54)年から約5年間放送された『西部警察』(テレビ朝日系)シリーズ三部作です。

 これは、東京の凶悪犯罪が多いエリアにある「西部警察署捜査課」の刑事たちの活躍を描いたアクション刑事ドラマでした。

石原プロのウェブサイト(画像:石原プロモーション)

 渡哲也、舘ひろし、寺尾聰らが演じる刑事たちが所属する西部署は、あくまで所轄署なのですが、警察組織内でなぜか特別扱いされていました。本庁からの干渉を受けることなく、最新テクノロジーを駆使したスーパー車両が用意され、拳銃以外にも、散弾銃、カービン銃などを発砲し放題。

 また、管轄の枠を超えて全国各地で捜査や容疑者追跡を行うことも。つまり、細かいことをヌキにした娯楽性重視の内容が魅力だったのです。

 さらに、派手な銃撃戦やカーアクション、爆破シーンが毎回のように展開されるなど映画並みのスケール感があり、それこそが石原プロ作品の醍醐味(だいごみ)だといえました。

装甲車が都内の“まさか”の場所を走った

 特に石原プロの所信表明ともいえる、シリーズ第1作『西部警察』の第1~2話は衝撃的でした。

『無防備都市』(前編・後編)のタイトルで放送されたこの2エピソードは、テロリスト集団が盗難した米軍の最新鋭「装甲車」で、威嚇、発砲しながら東京の街を走り回り、警察に実現困難な要求をするという内容なのです。

2015年発売の写真集「THE MONSTER TANK 西部警察 LADY BIRD BOOK」からの一コマ。真ん中が『西部警察』の装甲車(画像:石原プロモーション、青志社)



「装甲車」と「戦車」は定義が異なりますが、その巨大な車両の見た目は、足回りがタイヤであることを除けば、先頭に主砲を備えるなど、一般的な戦車のイメージに近いものです。

 もちろんそれは本物の軍用ではなく、撮影用の特別仕様車です。そうであっても、戦車と見間違える車両を用いて、今では絶対に許可が下りないような都内屈指の“まさか”のエリアで撮影が行われていることに驚かされます。

銀座四丁目交差点のど真ん中で停車

 まず、装甲車はいきなり銀座に登場。前後左右を無数のパトカーに包囲されながら、晴海通りを築地方面にゆっくり走っていきます。

 そして、角に「和光時計台」がある銀座四丁目の交差点のど真ん中で停車すると、主砲を四方に動かして周囲の人々を威嚇。恐怖におびえた群衆が逃げ惑うというシーンが撮影されています。すべてCGや合成ではありません。

現在の銀座四丁目交差点(画像:写真AC)

 さらに、次のシーンでは、現在と同じレンガ造りだった旧「東京駅丸の内駅舎」の前を装甲車が走ります。それはまるで、ゴジラが東京の主要スポットをのし歩く、あの感じに近いかもしれません。この東京駅の目と鼻の先にあるのは皇居。装甲車は迷わず皇居のお堀に接近していきます。

政治の中心地で大胆ロケを敢行

 皇居をかすめた装甲車が、その次に向かったのは、またまた日本屈指の警備が厳しいエリア・永田町です。ここで、『西部警察』スタッフが狙った映像はひとつしかありません。そう、装甲車が国会議事堂(千代田区永田町)に向かって進んでいくというものです。

 さすがに、皇居周辺や国家議事堂前でのドンパチの撮影は許可が下りなかったのでしょう。装甲車はそこを走るだけでしたが、それだけでも、緊張感があるシーンが生み出されています。

現在の国会議事堂前(画像:写真AC)



 続いて、まだ“ベイエリア”として再開発されておらず、人通りの少ない芝浦周辺で、いよいよ銃撃戦がスタート。装甲車は警察車両を次々に破壊し、西部署もダイナマイトを仕掛けて応戦するという見せ場があります。警察がダイナマイトを使うというのも、『西部警察』ならではといえます。

 これらのシーンは、すべて中央区、千代田区、港区などの一般車道で撮影されています。つまり、その間は、道路が封鎖されていたということになります。今、そんなロケを行うことは不可能でしょう。

 いろいろな規制が緩かった昭和の時代だから実現可能だったのであっても、それほど大掛かりな撮影をするのは石原プロ以外にありませんでした。だからこそ『西部警察』は、唯一無二の作品として語り継がれているのです。

 さて、装甲車とテロリストは最後にどうなったのか? それについては、『西部警察』を視聴できる動画配信サービスなどでご確認ください。

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