日赤の献血ポスター「宇崎ちゃん」が何の問題もないワケ

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日赤の献血ポスター「宇崎ちゃん」が何の問題もないワケ

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先日ネット上で大きな話題となった日赤と『宇崎ちゃんは遊びたい!』のコラボキャンペーンについて、筆者が持論を展開します。

萌え絵は環境型セクハラなのか

 日本赤十字社(以下、日赤。港区芝大門)と人気コメディ漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』(KADOKAWA)がコラボレーションしたキャンペーンが物議を醸しています。問題となっているのは、ウェイトレスと思しき同漫画のヒロイン“宇崎ちゃん”が描かれているイラスト。

「宇崎ちゃんは遊びたい!」との血液センターコラボイメージ(画像:アニメイトホールディングス)



 着用している黒シャツの胸元は、その形がくっきりわかるほど大きな胸が強調されており、逆への字に曲がった“困り眉”に潤んだ瞳、八重歯というルックスをしています。そして吹き出しには「センパイ、まだ献血未経験なんスか?ひょっとして注射怖いんスか?」というセリフ。

 このイラストに対し、弁護士の太田啓子さんがツイッター上で2019年10月14日(月)、「本当に無神経。なんであえてこういうイラストなのか。公共空間で環境型セクハラをしているようなもの」と批判したことから瞬く間に情報が拡散。このキャンペーンや表現の自由などに対する反対派と賛成派の意見が対立している状況となりました。

「公共の場にふさわしくない」の声

 補足すると、このイラストは献血をしてもらうために公共空間に貼りだすポスターとして新たに書き下ろされたものではありません。日赤が実施しているプレゼントキャンペーン内で献血に協力した人がノベルティとしてもらえるクリアファイルに描かれたイラストで、同漫画第3巻の表紙がそのまま使われた形となっています。

 これまでも幾度となく、男女のあらゆる性差に関する事象を扱った広告ポスターや企業CMが批判や炎上を繰り返していることは多くの人が知っていることでしょう。

 今回の件についてツイッター等で批判意見を見ても、例によってイラスト自体が明らかに“性的”であることと、そうした“性的”極まりないイラストが日赤という社会性が求められる公共機関によってコラボされたこと、そしていわゆる“萌え絵”によく見られるとされる、女性や女性の体そのものを“物扱い”しているかのような表現への反対意見が数多く出ました。

 一方で、「キャンペーンのターゲットがアニメを好む若い男性層なのだから問題ないだろう」「巨乳の女性を“性的で公共の場にふさわしくない”と言うのは、胸の大きな女性の肉体自体を否定しているのでは?」「表現の自由だ」といった指摘も多く見られました。

性的なメッセージとは

 筆者は、宇崎ちゃんイラストに反対する人たちの気持ちがわかります。過度な巨乳や情欲を催しているような表情が多い萌え絵を見ると、まるですべての女性の身体が男性の性的消費にのみ利用されている感覚になるのでしょう。別に自分の快不快だけで言っているのではなく、青少年への悪影響や社会全体への女性差別的なメッセージを不安視しているのだと思います。

 話は変わりますが、新宿に「P」というビルがあります。筆者は上京して初めてPを見たときにドキっとしました。なぜならPとは筆者の地元・山形で女性器を表す言葉だったからです。筆者にとって、Pは明らかに性的なもの。性的どころかそのまんまなため、Pと堂々と描かれた壁面は公共空間にふさわしくありません、少なくとも筆者や山形出身者にとっては。

 こういった名前を冠したビルを目にすることで、山形から上京した青少年が変な想像をしたり、「女性器をモノ扱いする」という女性差別に繋がったりするかもしれません。筆者は「Pをぶっ壊す!」と言わなくてはいけません。だって宇崎ちゃんなんかより、明らかに性的なメッセージを発信しているのですから。

すべての女性はどんな格好をしてもいい

 今回、宇崎ちゃんの件で筆者が改めて感じたのは、とある対象を「性的だ」と捉えるかどうかは個人の自由であり、他人が規定できないということ。そして、性的かどうかのハッキリとした境界線は、非常に曖昧であること。宇崎ちゃんが服を着ていようが脱いでいようが乳袋(漫画やアニメなどで、女性の胸部を強調するように貼り付いている衣服)があろうがなかろうが、誰かにとっては性的だけど誰かにとっては性的ではないとしか言いようがありません。

どんな格好をしようが、それは女性の自由だ(画像:写真AC)



 そして女性が誰かに「性的だ」と思われたとしても、その時点では何の女性差別でもないということ。例えば筆者のことを誰か男性が「性的だ」「エロい」と感じたところで、筆者はなんの人権も侵されてはいません。その先に不当な扱いや攻撃などをされなければいいのです。「性的だ」と勝手に受け取られことは自由であり、倫理的に何も悪いことではないでしょう。

 宇崎ちゃんをはじめとする“萌え絵”を「嫌いだ」と感じることと同様に、誰かが何かを「エロい」「気持ち悪い」「好きだ」「嫌いだ」と感じることは悪いことではありません。その先にある対象を「ぶっ壊す」行為が問題なのです。それは、とある対象を「性的だ」と受け取った先にその人に痴漢などを行うことであり、日赤に抗議してイラストを取り下げさせることでもあります。

 女性が公共の場でどんな格好でいようとどんな表現をしていようと、痴漢を行う人間が絶対に悪いという事実は変わりません。それなのに、宇崎ちゃんがどんな格好でどんな表現をしていようと「公共の場にふさわしくない」と言うのは矛盾しています。

 宇崎ちゃんイラストが批判されている光景は、かつて胸が大きかった筆者が必死で胸の目立たない服装をしていたことの答えのような気がしてなりません。

「男性から『性的だ』と思われようが胸が目立とうが、女性はどんな格好をしていてもいい」と言ってもらえる社会じゃなかったから、筆者はとにかく胸を隠して生きていたのかもしれません。

 だから筆者は次世代の女の子たちに言いたいのです。男性から「性的だ」と思われようが胸が目立とうが、すべての女性はどんな格好をしてもいい。それはアニメだろうと実写だろうと関係なく、すべての女性の身体表現を可とするのが、女性を守るための正しいメッセージではないでしょうか。

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