住みたい街「吉祥寺」の出発点とは?名門校の集まる文教エリアとなるまで
住みたい街ランキングで常に上位をキープしている吉祥寺。都心からの両行なアクセスや豊かな公園、教育の充実など理想的な住環境が揃うことになるまでの歴史とは?エデュケーショナルライターの日野京子さんが解説します。休日もたくさんの人でにぎわう井の頭公園(画像:photoAC) 東京都内の住みたい街ランキングでは常に上位に名を連ねる街「吉祥寺」。武蔵野市にある吉祥寺エリアは23区外ですが、非常に知名度の高い街として知られています。市の面積は東京都の市区町村のなかで11番目に狭い自治体です。駅周辺は杉並区や三鷹市と隣接し、同エリアの顔でもある「井の頭恩賜公園」は三鷹市と武蔵野市にまたがります。 東京都内での中学受験というと、文京区や港区のような都心で盛んというイメージがありますが、吉祥寺駅周辺には大手進学塾が多く集まる文教地区という顔もあります。 ニーズがなければ教室を出すことはありません。それだけに吉祥寺周辺は中学受験する子どもが多いことが伺えます。 教育熱の高いエリア駅周辺には商業施設のほかに進学塾が多く集まる(画像:photoAC) 公的なデータを見ても、武蔵野市の公立小卒業生の都内私立中学進学率は高い水準にあります。 東京都教育委員会の「令和3年度公立学校統計調査報告書」によると、令和2年度に武蔵野市の公立小を卒業し都内の中学に進学した児童946人のうち、都内私立中学に進学したのは29.3%の282人となります。 さらに、都立中高一貫校や国立大学附属中への進学者も含めると34.14%になります。東京都の平均は20.96%(都内の中学に進学した児童のうち都内の国都私立中学への進学率)と比べても高いことが分かります。中学受験は厳しく受験した子ども達が全員希望する学校に進学するとは限りません。そのため、「中学受験をした児童の数」はそれ以上と考えるのが妥当でしょう。 都心へのアクセスに便利な公共交通機関が整っているという条件もあり、中学受験をして通学する際に必要な条件が揃っています。また、子育てをする上で大切なポイントの一つである公園や身近な自然もあります。 交通、商業施設、公園や自然そして塾があり、教育熱の高いファミリー層にとって理想的な住環境が整っている街です。このように街として成熟しているのは多摩地区の中では最も都心に近いという地理的条件もさることながら、吉祥寺の持つ特殊な歴史が大きく影響しています。 大火と震災で移り住む人々が増加現在のJR吉祥寺駅(画像:photoAC) JRの中央線、京王電鉄の井の頭線が通り都心へのアクセスも抜群で、井の頭公園を筆頭とした都会のオアシスも整った住みやすい環境。それが吉祥寺の魅力です。23区外のエリアの中ではトップクラスの知名度を誇る「吉祥寺」の発展の発端は特殊な歴史的背景が影響しています。 吉祥寺の名前がつくきっかけとなったのが「明暦の大火」です。人口密度も高く火災の多かった江戸時代において、とくに有名な「明暦の大火」は江戸市中に大きな被害を与えました。大火で被害を受けた現在の文京区本郷にあった吉祥寺(火災後は同区本駒込に移転)周辺に住んでいた住民が移住したことが「吉祥寺」の歴史の原点になります。 ちなみに、地名でもある「吉祥寺」は文京区本駒込に移転しており、吉祥寺エリアに存在しているわけではありません。移住した住民の心の拠り所として地名にお寺の名をつけたわけです。 その後、玉川上水の整備もあり畑などの開墾で移住者が増加。現代で言う近郊農業の地として野菜を江戸の市民に供給する地域へと発展。さらに明治時代に入り一気に近代国家への道を進むことになりますが、吉祥寺にも近代化の産物である鉄道が敷かれます。1899(明治32)年に現在のJR中央線である甲武鉄道が開通。日本で初めて鉄道が開通した1872(明治5)年から25年後のことでした。 吉祥寺が農業地から徐々に近郊都市へと変わる契機となったのが「関東大震災」です。家屋を失った人々が都心から近く鉄道も通っている吉祥寺を移住先として選び、人口が増加。吉祥寺エリアでの人の定着のきっかけが江戸時代と大正時代の二つの大きな災害だったのです。 古い歴史を持つ文教エリア 吉祥寺には1924(大正13)年に池袋から移転した学校法人成蹊学園が運営する成蹊小学校から成蹊大学の教育施設、同じ年には隣接する杉並区善福寺に新宿の仮校舎から東京女子大学が移転してきました。 また、終戦翌年の1946(昭和21)年に市ヶ谷にあった法政大学中学高等学校が吉祥寺に開校するなど(2007年に隣接する三鷹市に移転)、吉祥寺周辺一帯は都内でも有数の歴史を誇る文教エリアという特色もあります。 吉祥寺駅前のサンロード商店街(画像:photoAC) 「住みやすい街」「駅のすぐ近くに有名な井の頭公園がある」「都心にはない個性のある街」というイメージが強いですが、文教地区という側面も兼ね備えた街です。駅や井の頭公園を軸に学生が多く活気ある街としてお洒落なお店が増え、住宅街も広がるという「商業地」「住居地」「文教地」が溶け込んだ魅力ある街へと発展を遂げました。 吉祥寺駅付近のマルイの前にある井の頭通り(画像:photoAC) 吉祥寺の歴史を振り返ると、予期せぬ災害で人が集まるという苦難から始まっています。にぎやかな街からは想像できない先人たちの苦労に思いをはせながら、散策してみてはいかがでしょうか。 参照:東京都教育委員会「令和3年度公立学校統計調査報告書」
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