今ではすっかりメジャーなバンジージャンプ 都内初上陸はいつだった?

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今ではすっかりメジャーなバンジージャンプ 都内初上陸はいつだった?

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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いまではメジャーな遊びとなったバンジージャンプですが、いつごろ日本に、そして東京に広まったのでしょうか。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

全ては1990年9月から始まった

 やる気や勇気を見せたいときの最良の方法――それはバンジージャンプだと、筆者(昼間たかし。ルポライター)は確信しています。きっと、落下しながら叫ぶくらいの力があれば、たいていのことはうまくいくでしょう。

 いまでは都内をはじめ全国各地に常設されているバンジージャンプですが、広まった理由は「本当に命を張っている遊び」と思われていたからです。

バンジージャンプのイメージ(画像:写真AC)



 バンジージャンプの起源は、バヌアツ共和国ニューヘブリディーズ諸島にあるペンテコスト島での儀式とされています。それが日本に初めて紹介されたのは、1990年(平成2)9月のことでした。

 この年、リクルート(現リクルートライフスタイル)が発行していた海外旅行情報誌『エイビーロード』は、ひと味違う体験を誌面を宣伝するため、新たなCMを企画します。その白羽の矢が立ったのが、オーストラリアで楽しまれていたバンジージャンプでした。

 同年9月9日から始まったテレビCMは「バンジージャンプ編(15秒)」と「バンジージャンプ・ラクダ編(30秒)」の2本。誰も見たことのない絶叫アトラクションは、一気に話題になります。

 しかし、このテレビCMはわずか4日間で打ち切られてしまいました。

 というのも、オーストラリアで1989年のミスオーストラリアがバンジージャンプに挑戦したところ、水面に激突して大けがをする事故が発生。CMの撮影地とは別の場所での出来事でしたが「危険な遊びを勧めているような印象を視聴者に与えかねない」と放送中止になってしまったのです。

 しかしわずか4日間のテレビCMが与えたインパクトは大きく、存在を印象づけたのでした。

当初はパフォーマーありきのイベント

 海外に行かなければ体験できないバンジージャンプが日本にやってきたのは、1992(平成4)年5月29日のこと。当時はまだ「お台場の」ではなく、「品川の」と呼ばれていた船の科学館(品川区東八潮)にオーストラリアからバンジージャンプのプロがやってきたのです。

 このときのバンジージャンプは、クレーン車で50mまでつり上げたゴンドラから5人のパフォーマーが次々と飛び降りるというもの。パフォーマーが飛び降りるたびに、見物客からは悲鳴が上がりました。

バンジージャンプのイメージ(画像:写真AC)



 この催しは6月から開催されたモーターボートのビッグレース「第2回グランドチャンピオン決定戦競走」の一環としてのものでした。参加型ではなく、あくまでもパフォーマーが趣向を凝らしながら飛び降りる様子を楽しむ、というものでした。

 でも見ていれば試して見たくなるのが当然……と思いきや、そうたやすい話ではありません。

 飛び降りているときはともかく、数回バウンドした後は逆さづりでブランブランと揺れているだけ。格好悪くて日本ではやらないのではないか、鳴り物入りで日本に上陸したがはやらなかった「キャベツ人形」や「ドクターペッパー」のようになるのではないか、という意見もありました。

マスコミも巻き込んで人気過熱

 それでも、一般人が参加できるバンジージャンプがいよいよやってきました。

 最初に登場したのは東京……ではなく、南知多グリーンバレイ(愛知県南知多町)。時に1994年7月のことです。

南知多グリーンバレイの位置(画像:(C)Google)

 早速さまざまなメディアが取材に駆けつけますが、それまでのジェットコースターなどと異なり、やってることは飛び降り行為。事故も実際に発生していることはよく知られていたため、取材体験もさまざまです。

「『三・二・一・バンジー!』で飛び降りるべきなのに、怖くて踏み切れなかった。2回目のかけ声では、後ろを向いて飛び降り、ようやく成功」(『AERA』1994年8月15日号)

「飛びながら撮った!」(『週刊ポスト』1994年8月26日号)

 なぜか『週刊ポスト』はバンジージャンプへの情熱が高く、この少し前の7月1日号では発祥の地であるペンテコスト島を訪れて、儀式の様子を取材しています。

東京上陸は1995年3月

 こうして盛り上がってきたバンジージャンプですが、それがいよいよ東京に姿を現したのは、1995(平成7)年3月のこと。足立区の「アメージングスクエア」(足立区千住関屋町)にバンジージャンプの施設がオープンしたのです。

アメージングスクエアの位置(画像:(C)Google)



 そんなアメージングスクエアは、京成関屋駅前に1987(昭和62)年にオープンした遊園地。西新井にあった「東京マリン」(2001年閉鎖)と並ぶ、足立区の一大レジャースポットでした。

 当時、東京製鉄(千代田区霞が関)の千住工場跡地を利用した、「都内最大」を誇る巨大迷路なども擁していました。

 しかし工場跡地とはいえ、周囲はマンションや一戸建ての並ぶ住宅地。そのため騒音の出るジェットコースターは設置できず、そこで投入されたのがバンジージャンプだったのです。

老若男女問わず飛び降りた

 そんな23区の一角に登場したバンジージャンプは、ひと味違いました。

 バンジージャンプというと周囲が空けた空間だったり、大自然を望む絶景だったりするのを想像しますが、ここは東京。近くを走る京成線や東武線、マンションや郵政省(当時)の官舎を眺めながら飛び降りるのです。

現在のアメージングスクエアの周辺(画像:(C)Google)

 東京の、それも駅前でバンジージャンプができるとあって、大勢の人が押し寄せました。当時のアメージングスクエアの入場料は900円と良心的。ただバンジージャンプをするには追加で2500円、2回目以降は2000円と結構いいお値段でした。それでも1日200人あまりが行列。若者だけではなく、老人までもが飛び降りたのです。

 現在、バンジージャンプは絶叫系アトラクションとして定着していますが、アメージングスクエアほど都心近くにあった施設はほかにありませんでした。再び、東京23区のどこかに本格的なバンジージャンプ施設が登場しないものかと期待しています。

 なおアメージングスクエアは現在、遊園地からフットサルコートやレーシングカートサーキットなどを擁するスポーツ総合施設へと変わっています。

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