ナイキ「厚底シューズ問題」で甦る90年代「エアマックスブーム」の記憶

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ナイキ「厚底シューズ問題」で甦る90年代「エアマックスブーム」の記憶

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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1995年から数年にわたり起こったナイキのハイテクスニーカーブームについて、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

NBA選手などが利用して話題に

 ナイキが開発した厚底シューズが、世界のマラソンと駅伝を席巻しています。

 2019年10月にウィーンで行われたマラソン大会で、ケニアのエリウド・キプチョゲ選手がフルマラソンで非公式ながら史上初の2時間を切る記録を達成したことで、注目されました。また、箱根駅伝でも多くの選手が着用したこともさらなる追い風となりました。

 あまりに好記録が連発されることから、東京五輪では使用が禁止されるのではないかという怪情報も流れました。これに対してワールドアスレチックス(世界陸連)は1月末に、

・使用するカーボンプレートを1枚以下とすること
・4月30日以降の大会で使う靴は4か月以上市販されているものとすること

といった、新ルールを決めました。

 こうした中、2月になりナイキは試作品だった厚底シューズの市販品「ナイキ エア ズーム アルファフライ ネクスト%」を発表。東京五輪では多くの選手が、このシューズで競技に臨むのではないかとうわさされています。

 未来的なデザインと優れた機能を持つナイキのシューズ。今回の厚底シューズを見て思い出すのは、1995(平成7)年から数年にわたって空前のブームとなったナイキのハイテクスニーカーです。

再現されたNIKE「エアマックス95 OG」を履く光景(画像:ナイキ、メガスポーツ)



 靴の側面に透明な窓を付け、衝撃吸収用に靴底に入れた空気が見えるようにしたスニーカーは、米プロバスケットボール協会(NBA)の有名選手などと契約したことで、話題となりました。

 それまでもスポーツ選手が使うスニーカーは幾つも存在しましたが、あくまで限られたジャンルのものでした。それがカジュアル用途として、にわかにブームとなったのです。

イエローモデルの発売は1995年7月

 中でも人気に火をつけたのは「エアマックス95」です。

 定価1万5000円のスニーカーにはプレミアがつき、3万円から6万円まで値上がりを続けていました。また、いくらお金があっても手に入らなかったことも問題でした。

 当時のナイキのスニーカーは四半期ごとに色とデザインを変えたモデルを発売していました。新モデルが出ると、旧モデルの生産は終了です。エアマックス95の中でも特に人気の高かったイエローモデルが発売されたのは1995年7月。

NIKE「エアマックス95 OG」。1995年に、人間の身体をモデルにした限界に挑戦するデザインとして「エアマックス95」がデビュー。そのオリジナルバージョンを再現。Max AIRユニットによる快適なクッション性と、20年たった今も新しい多層構造のアッパーを装備している(画像:ナイキ、メガスポーツ)



 ブームになった秋ごろには、既に在庫切れの状態になっていました。そこに目を付けたバイヤーはアメリカや香港などから在庫を輸入、プレミアをつけて販売し、さらにブームをあおったのです。

1996年末に20万円まで値上がり

 現在はネット通販が発達したため、パソコンやスマホを使って誰でもレア商品を探すことができます。

 しかし当時は、まだマイクロソフトの基本ソフト「Windows95」が発売されてパソコンが普及し始めたばかり。インターネットを使ったことがある人のほうが少なかった時代でした。そのため、人気のエアマックスを手に入れるには努力が必要だったのです。

「どこそこの店で入荷するらしい」と聞けば、電車を乗り継いで店を目指します。友達のツテをたどって、複数所有している人を探して売ってもらうなどなど……。

 人気はどんどん上昇し、1996年末になるとエアマックス95は10万円から20万円までのプレミア価格となることもありました。

価格高騰のイメージ(画像:写真AC)

 価格の高騰を受けて、店舗の仕入価格も上がったため、価格は余計に上昇。また店舗も苦労して入荷したエアマックスの販売告知手段は、当時はたいてい店頭での貼り紙です。しかし開店時間になると、長い行列ができていたのです。

 当時の情報交換は、対面で話すか電話です。多くの場合、貼り紙を見かけた人が「エアマックスが入荷するって!」とあちこちに電話を掛けて広めていったことは想像に難くありません。

「エアマックス狩り」も発生

 そんな希少価値の高さゆえに犯罪も相次ぎました。

 中学や高校では盗まれることを恐れて、教室でもエアマックスを手放さない生徒もいたといいます。そして「エアマックス狩り」も相次ぎました。ようは、路上でエアマックスを履いている人に因縁をつけて、靴を強奪するという新手の強盗です。

「エアマックス狩りはしばしば新聞の紙面をにぎわせた(画像:写真AC)



 当時の新聞記事を読むと多くの事件が記録されていますが、中には奪ったエアマックスをその場で履き、脱いだ古いスニーカーを渡して去っていった犯人もいたといいます。さらには店舗や学校から大量に盗まれる事件、そしてニセモノのエアマックスが販売される事件も相次ぎました。

熟成していった1990年代の若者文化

 エアマックスブームの特徴は、中高生がブームの中心にいたことです。それ以前のバブル時代、お金を湯水のように使うのは大学生まででした。

 景気はすでに下降線をたどっているにもかかわらず、高校生が「たかが運動靴」に大金を投じている光景は、大人の目に奇異に映りました。

 当時、中高生の間に普及していたポケベルと相まって、中高生が「靴や電話代」を無駄に消費しているだとか、それを容認している親世代を批判する意見も見られるようになりました。

ポケベルブームで、かつて行列ができた公衆電話(画像:写真AC)

 しかし、若者たちの熱は冷めませんでした。男子を中心にしたエアマックスブームと同時期に存在感を増していた「コギャル」と相まって、1990年代の独特の若者文化は熟成されていったのです。

 それから25年あまりの時を経て、さらにハイテクになったナイキのスニーカー。また新たな文化が生まれていくのでしょうか。

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