銀座超え間近? 復権の狼煙が上がる「日本橋」の圧倒的存在感

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銀座超え間近? 復権の狼煙が上がる「日本橋」の圧倒的存在感

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百瀬伸夫

IKIGAIプロジェクト まちづくりアドバイザー

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世界最大の100万都市だった江戸の中心地・日本橋が近年、再びその輝きを取り戻しています。その背景について、IKIGAIプロジェクト まちづくりアドバイザーの百瀬伸夫さんが解説します。

品がある街並み

 日本橋といえば、やはり名橋「日本橋」。この橋は江戸時代、五街道の起点となった木造の太鼓橋でしたが、1911(明治44)年に石造二重アーチへ造り替えられました。ちなみに「東京まで○○km」と書かれた道路標識の「東京」とは、日本橋を指しています。

 当時の江戸はパリやロンドンより大きく、世界最大の100万都市。水運に恵まれた日本橋には全国から職人や商人が集まり、江戸の中心的な城下町として栄えて町人たちの暮らす町家には、商人が後を絶ちませんでした。後の「三越百貨店本店」となった「越後屋呉服店」をはじめ、問屋や商店が次々と軒を並べ、日本橋は江戸の町を代表する繁華街になったのです。

右の「日本橋高島屋本館」は日本の百貨店建築を象徴する歴史的建造物で、国の重要文化財に指定されている。左は日本橋高島屋三井ビルディング。低層部は日本橋高島屋S.C.新館で、伝統と革新が見事に調和し日本橋の今を象徴している(画像:百瀬伸夫)



 商都となった日本橋は文明開化とともに明治・大正・昭和・平成・令和へ、その“暖簾(のれん)”と“文化”を現在の商業施設に引き継いでいます。

 日本橋は日本銀行本店(中央区日本橋本石町)をはじめ

・日本橋三越本店(同区日本橋室町)
・三井本館(同)
・日本橋高島屋(同区日本橋)
・日本橋ダイヤビルディング(同。旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)

など、国の重要文化財や東京都選定歴史的建造物に指定される建物が多く現存しています。新旧の建物が違和感なく織りなす街並みは、他では味わえない魅力があります。

日本橋が狙う打倒「銀座」

 この歴史と風格を醸し出す日本橋が現在、大きく様変わりし、日本を代表する商業・オフィス街として注目を集めているのをご存じでしょうか。

 商業都市だった江戸時代から明治以降は金融機関も集中し、日本経済の中心地として栄えていた日本橋。街区ごとに古い建物を新しく大きなビルに建て替える工事を進め、オフィス街に変貌しつつあります。さらに便利さと快適さが格段に向上したことで、半径5kmの臨海部には高級タワーマンションの建設ラッシュが起こりました。

 こうして日本橋は、最新の商業・オフィス・住居エリアとして新たな人々を呼び込むことに成功。都内でトップクラスのステータスを手に入れたのです。

国の重要文化財に指定された日本橋三越本店(画像:百瀬伸夫)



 これまでの商業の「格」は何といっても銀座で、“世界の銀座”としてトップの座に君臨していました。しかし最近は、かつて江戸の中心だった日本橋がその座を奪還しようと動いています。

「100年後ビジョン」で再生を目指す

 なぜ日本橋は、これ程までに進化したのでしょうか。

 その背景には、1999(平成11)年に立ち上がった「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」(日本橋ルネッサンス委員会)という組織の存在があります。

 委員会は地域のアイデンティティーを継承しながら、新たなまちづくりと調和させ、将来への布石となるような“日本橋の再生”を目指して活動しており、メンバーには地元の老舗店や日本橋ゆかりのある企業が名を連ねています。

欄干の親柱の銘板に書かれた「日本橋」という文字は、徳川15代将軍「徳川慶喜」の直筆。東京の守護「獅子」が鎮座し手にしているのは、東京市の紋章で、今も東京都の紋章として使われている(画像:百瀬伸夫)

 委員会はまちづくりに「残すもの・蘇らせるもの・創るもの」が必要であると考え、さまざまな部会が100年後の日本橋のあり方を「100年後ビジョン」としてまとめ、まちづくりを推進してきたのです。

 名橋「日本橋」保存会や日本橋再生推進協議会と一緒になって、長い間要望してきた「日本橋」の上を通る首都高速道路の地下化を、ようやく実現できるようになったのも、まちづくり活動の成果と言えます。

訪日外国人も和テイスト日本橋を観光!

 まちづくりが進む一方、商業施設も商品を売るだけの施設から脱皮し、さまざまな施策を展開してきました。

 2019年9月、三井不動産(中央区日本橋室町)が手掛ける商業施設「コレド室町テラス」(同)がグランドオープンし、施設前には“大屋根テラス”が設置されました。

 約1500平方メートルの広場と大屋根が創り出す大空間は圧倒的で、地価の高い都心ゆえの思い切った決断に感心しました。商業施設の屋外に巨大なリビングルームができたようで、“大屋根テラス”は地域のイメージを一新させました。

 三井不動産はこれまでにもコレドシリーズとして、1999(平成11)年に旧東急百貨店跡に「コレド日本橋」をオープン、2010年に「コレド室町1」、2014年に「コレド室町2」と「コレド室町3」を開業。続けて、グローバル化が加速している日本橋の旗艦プロジェクトとして、「日本橋室町三井タワー」を2019年3月に完成させています。

「CORE(核) + EDO(江戸)」の造語“コレド”には、江戸時代から続く日本橋が新しい日本橋として、東京の商業の「核」になるという思いが込められています。

「コレド室町テラス」の大屋根の下でくつろぐ人たち(画像:百瀬伸夫)



 コレド室町テラスの大屋根の下の広場は、あまりの広さに最初は少しためらいますが、植栽も豊かで、中央のスクリーン前には椅子やテーブルが置かれているため、休憩してみると解放感がたまらなく、都心の真ん中にいることを忘れてしまいそうです。

 昼食時間帯にはキッチンカーも出て、オフィスで働く人たちのリビングルームのように活用されています。広場奥の大きな木の下にも憩いのスペースが設けられ、ショッピングに来た人やベビーカーの親子連れ、オフィスの人たちがくつろいでいました。

 商業施設内の店づくりとともに、施設前に広場を設け、さまざまな人々が行き交う「人」が主役の施設づくりは、商業とまちづくりを一体化させる最近の流れを象徴しています。

100年後にはどのような未来都市になるのか

 ニューヨークやロンドン・パリに並ぶ国際都市である東京・日本橋の真ん中で人々が交流することで、どのような文化が育ち、100年後にはどのような未来都市になっていくのか――そんなことを考えると、江戸時代の日本橋にタイムトリップしたくなりました。

和テイストの街路灯が日本橋にはよく似合う(画像:百瀬伸夫)



 2020年はオリンピック・パラリンピックで訪日する大勢の人々が、歴史と風格を備え、和テイストに満ちあふれた日本橋を観光してくれることを願っています。皆さんもぜひ新しい日本橋を訪ね、名橋「日本橋」を渡りながら江戸時代からの悠久の時に思いを巡らせてみてください。

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