日本橋「蛎殻町」に「牡蠣の殻」はあるのか? 数百年前、海が近かった町を歩く
2019年8月12日
知る!TOKYO東京都中央区日本橋蛎殻町。この名前を聞いたとき、「牡蠣」「牡蠣の殻」を想像することはないでしょうか。駄洒落のように思われるかもしれませんが、この思考、まんざら間違いでもないようです。
「蛎殻町」と「牡蠣の殻」、関連ある?
中央区日本橋「蛎殻(かきがら)町」と聞いて、貝の「牡蠣(かき)」や「牡蠣の貝殻」を思い浮かることはないでしょうか。

駄洒落のように思われるかもしれません。ですが、この思考はまんざら間違いでもないようです。
というのも、その昔、この地域は漁師町だったとのこと。小網の干し場であり、牡蠣の殻の堆積した海浜があったといいます。一帯の家屋の屋根が牡蠣の殻でつくられていた、という説もあり、かつては「牡蠣の殻」が実在したことが推測されます。
ただし町名の由来は定かではないのだとか。江戸時代に埋立地となったこの地域。そのころにはすでに「かきがら」の俗称があったともいわれています。
なお、日本橋蛎殻町以外にも、東京都中央区には「日本橋」を冠した地名が数多く存在します。その数、21町(蛎殻町含め)。日本橋地区は、かつて江戸幕府の城下町として発展し、全国から商人や職人が集まり、大いに栄えました。その当時を彷彿とさせる地名も散見されます。
たとえば日本橋人形町は、名前のごとく「人形」に関わりが。江戸時代、庶民の娯楽として盛況だったという人形芝居。現在の人形町2丁目周辺には、人形を作る人や修理する人、販売をする人、人形を操る人などが暮らしていました。
そんな状況から、俗称として、人形丁(人形町)と呼ばれ始めたといわれ、関東大震災後の区画整理により、正式に「人形町」となりました。
日本橋小網町も、はっきりとした由来は不明なものの、江戸時代、白魚献上の特権を得た漁師たちに、1丁目の町角に網を一張干しておく風習があったことから、生じた町名といわれています。
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