練馬「光が丘」 謎のインスタント麺専門店と軍用飛行場の追憶
2020年1月12日
ライフ神風特別攻撃隊の出撃基地にもなった現在の「光が丘」エリア。その近くに全国のインスタントラーメン専門店があります。フリーライターの立花加久さんが紹介します。
歴史の皮肉から生まれた「光が丘公園」
練馬区の「光が丘」は都内在住の人にとってもなじみが薄く、つい「ひばりが丘」(西東京市、東久留米市埼玉県新座市などをカバーするエリア)と間違えてしまいそうな人も少なくない公園団地エリアです。

もともと練馬大根でおなじみの農村地帯だったこの一帯は、1940(昭和15)年に紀元2600年記念事業として、広大な緑地公園造成の計画が進められていました。しかし太平洋戦争開始にともない、急きょ1942年に日本陸軍の飛行場「成増陸軍飛行場」として整備されることになったのです。
やがて一時は、米軍から「カミカゼ」と恐れられた「特別攻撃隊」の出撃基地にもなり、1945(昭和20)年8月の終戦ギリギリまで、米軍のB29爆撃機へを迎え打つべく帝都防衛の前線としての役割を果たしました。東京に特攻隊の出撃基地があったことを意外に思う人もいるかもしれません。
主に配備された戦闘機は芳しくなかった戦局を覆す大東亜決戦機として期待された、当時世界最速の四式戦闘機「疾風(はやて)」でした。そして戦後はこの広大な敷地を米軍住宅地「グラントハイツ」として接収されるのでした。
ちなみにこの住宅地の名称グラントは、現在アメリカの50ドル紙幣にもなっている第18代アメリカ合衆国大統領ユリシーズ・グラントから名付けたもの。グラウンドではなく、グラントなのです。
この広大な敷地を全面返還されたのが1973(昭和48)年。その翌年から公園の造成を始めて8年後の1981年12月26日に、晴れて開園となるのでした。歴史の皮肉なのか、「光が丘公園」は遅れに遅れたクリスマスプレゼントとして、都民に届けられたのです。
その広さは60.7ha(60万7000平方メートル)で、日比谷公園の約4倍もある都内でも有数の公園です。当時から植えられた木々は森となり、園内を満喫しようとつい深入りすると、もはや散歩するというより「ハードな里山散策」となるほどです。

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