実は武器だった? 変われない国「日本」のリアリズムが、バイデン時代にかつてない存在感を放つワケ
暮れゆく2020年。来年はどのような年になるのでしょうか。経営コンサルタントで経済思想家の倉本圭造さんは、同年1月に行われるアメリカ新大統領就任を機に日本・東京の重要性が高まるのではと予測します。一体なぜなのでしょうか。カギは、米バイデン新政権 2020年11月に行われたアメリカ大統領選挙は、いろいろと紛糾したものの結局民主党のバイデン候補が新大統領となる見通しです。 私(倉本圭造。経営コンサルタント、経済思想家)は、この「バイデン民主党政権」が2021年から始まることは、日本そして東京という街が持つ重要性を非常に高める効果があると考えています。 2021年、世界における日本・東京の立ち位置とは?(画像:写真AC) もちろん、ただ黙って座っているだけではダメですが、情勢の変化を読みつつ自分たちの強みを自覚的に押し出していくことで、世界の変化の中での自分たちの存在感を高める大きなチャンスであるはず。 どういうことでしょうか? そして「東京という街」に参加して日々生きる私たちはどうやってその「与えられた重要性」に応えていけばいいのでしょうか? 米大統領選が示唆した「東京」の役割 いろいろな専門家が、今後のアメリカ政治で重要なのは、トランプ大統領と対決するために一時は手を組んでいたアメリカ民主党内部の「急進派」と「中道派」との対立になるだろう……という話をしています。 トランプ氏という「共通の敵」がいた時期には団結していられたけれども、実際に勝利した以上、ここからは「アメリカ経済全体としてみたときの強みに必要な資本主義のエネルギー」を壊してしまわないようにしながら、党内急進派が求めるいろいろな格差是正策を実現していく必要があります。 「急進派」の言うことを全部うのみにしたらアメリカは一気にその強みを失ってしまうでしょう。しかし、彼らが求める格差是正策を無視したままでいることはもうできないところまで、アメリカ社会は追い込まれてしまっています。 この状況下では、「過度に純粋化したイデオロギー」を、「無視するでもなく、うのみにするでもなく」扱っていくことが必要です。 理想と現実のはざまで 試される手腕理想と現実のはざまで 試される手腕 バイデン氏は議会での政治的駆け引きの経験が非常に豊富な政治家なので、もし最高にうまく行ったなら、共和党の中道派とうまく連携して、「理想を捨てはしないが、理想倒れにもならない」かじ取りができるのではないか……という期待はされているようです。 中国のような強権的な政治体制以外の世界中の民主国家においては、アメリカに限らず「過度に純粋化したイデオロギー」と「現実的な中道的なかじ取り」との乖離(かいり)が激しくなって、年々不安定になってきているわけです。 その時代背景の中で、「あらゆる過激なイデオロギーを中和する」東京という街の可能性は今後非常に大きいはずです。 過度なイデオロギーをも飲み込む街・東京 2020年2月に発表した自著『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?』で、日本そして東京の社会的な特性を「図1」のように表しました。 「図1」 日本特有の、外部文化の受容の仕方を描いた図解(画像:倉本圭造) 東京は、あらゆる過激なイデオロギーを飲み込んでしまう街です。個人個人はどう生きてもいいが、他人のあり方を否定するような政治改革イデオロギーには徹底して反発する性質を持っている。 それは、「イデオロギー型」の人間には生きづらい部分もありますが、それがもたらす安定感によって、たとえばトランプ時代の世界的混乱の中で、日本外交の一貫した方向性のブレなさが国際社会から頼りにされていた……というようなことはよくあることでした。 過去20年にはそういう東京の性質は、「変化を求めるエネルギーをとにかく抑え込んでしまう変われない国ニッポン」としてマイナスに評価されることが多かった。 しかし、アメリカをはじめとする世界中の民主主義国家が果てしなく「両極端の過激なイデオロギー同士の全然妥協しない争い」の中で混乱していっている今、ありとあらゆる「イデオロギー」を泥沼のような柔らかい何かで包み込んでしまう「東京」が持つ可能性が逆にクローズアップされてくるでしょう。 「変われない国」は「責任感の国」だった?「変われない国」は「責任感の国」だった? 過去20年間、「時代遅れの考えに固執した変われない国」だと思っていたのが、「それは過激なイデオロギー論争による社会の分断を回避しようとする責任感の表れだったのだ」と理解される文脈を引き寄せることだって可能になってくる。 イデオロギーの際限ない過激化による「両極化」した世界を癒すこういうコンセプトを、東洋では昔から「中庸の徳」と言ったりします。 日本がキャスティングボートを握る日 ふたつの政治勢力が拮抗(きっこう)した状態にあるとき、その間に存在する「小さな勢力」が非常に重要な役割を持つことがあります。 たとえば今の日本の国会のように、政権を取るには自民党だけでは足りず、公明党と連立を組むことでやっと可能になる……というとき、公明党の意見はその「実際の規模」以上に非常に重要な意味を持ちます。 こういう現象を「キャスティングボートを握る」というように言ったりします。 今後の世界では、欧米社会において「逆側の人間」を徹底的に排除するようなイデオロギーに大きな声が与えられ過ぎるために、常に「両極化」した不安定な状況に置かれることが増えるでしょう。 しかし、現実とはイデオロギーと関係なく存在するものであり、ちゃんと責任を持って対処していくためには、「両極化」した争い事からは一度離れることが必要です。 民主主義を守る「中庸の徳」民主主義を守る「中庸の徳」 こんなことは世界中にいる「良識的」な人にとっては当たり前のようなことですが、少数でも声の大きい人が影響力を持つ選挙という仕組みの中で常に混乱が起きるために、「こんなことならもう中国みたいな政治形態でもいいんじゃないか」というようなことを言い出す人も増えかねない状況になっています。 こんな混乱の時代にあくまで民主主義を守りたいなら、「中庸の徳」自体をちゃんと評価する「文化」を、大きく育てていくことが必要です。 日本らしい「中庸の徳」が世界的に見直される時代が訪れるかもしれない(画像:写真AC) 過激な主張からちゃんと距離を起きつつ、しかし現実的な変化への対応は1個ずつ実務的にちゃんとこなしていくこと。 その「中庸の徳的なビジョン」をしっかりと東京や日本というサイズで育てていければ、それを世界中の民主主義国の良識的な人々は「頼りにして」くれるでしょう。 日本には、単独で世界のムードを支配するほどの圧倒的パワーはありませんが、腐っても世界第3位の経済大国には「キャスティングボートを握る重要な一票」を投じるぐらいの存在感はあります。 世界のあらゆる民主主義国が両極化した無責任なイデオロギー争いの中で混乱し、もう中国みたいな強権的な政体の方がいいんじゃないか……という声すら出てくる今。 過去数十年「変われない日本の悪いところ」だと思われていた性質が実は現実への「真摯(しんし)な責任感」ゆえであったことが理解されるようになり、やっと具体的に変えるべきところを粛々と変えて現実に対処していける情勢にもなっていくでしょう。 「自分たちらしさ」で世界と向き合う「自分たちらしさ」で世界と向き合う「過激だけど実際的でないイデオロギー」に決してだまされず、しかし現実的な変化対応の対処はしていけるようになること。 「東京」に関わる私たちひとりひとりの心がけが、いずれ「両極化して混乱する世界における決定的な一票を投じる力」を私たち自身に与えてくれるでしょう。 変化を恐れず、しかしイデオロギーに対して疑り深い自分たちの性質の可能性を信じて、堂々と「自分たちらしさのコアにあるもの」を世界の中の新しい希望として提示していきましょう。
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