かつての花街が治安最高な「のんびりタウン」と化すまでの数奇な運命について 荒川区・尾久【連載】東京商店街リサーチ(4)

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かつての花街が治安最高な「のんびりタウン」と化すまでの数奇な運命について 荒川区・尾久【連載】東京商店街リサーチ(4)

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荒井禎雄

フリーライター、放送ディレクター

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尾久(おぐ)という地名を聞いて東京のどのエリアかすぐに思い浮かぶ人は、そう多くないかもしれません。しかし、実は「商店街アリ、銭湯アリ、歴史アリの、東京下町の魅力を凝縮したような土地」なのだと、フリーライターの荒井禎雄さんは指摘します。

「あまりピンと来ない街」の実像に迫る

 今回取り上げる「商店街のある街」は、荒川区にある尾久地区です。

 東京都民であっても、この地名を聞いてもピンと来ない人が大多数のはず。仮に場所が分かったとしても、交通機関が都電荒川線くらいしかないというマイナーさから「王子と町屋の間にあるよく分からない街」という印象しか浮かばないのではないでしょうか。

 ちなみにJR線に尾久(おく)という駅が存在しますが、それはお隣の北区昭和町にある駅が地名を借りただけであって、ここでいう荒川区の尾久(おぐ)にある駅ではありません。

尾久地区でもっとも栄えている生活型商店街、おぐぎんざ。都電の停留所から離れた場所が最も栄えているという不思議な土地でもある(画像:荒井禎雄)



 この地元民じゃないといまいちピンと来ないであろう尾久という街は、実は昔ながらの立派な商店街アリ、優れた銭湯があちこちにアリ、何より面白すぎる歴史アリと、東京の下町の魅力が凝縮されたような土地なのです。

 今回は都電荒川線の小台、宮ノ前、熊野前という3つの停留所を中心に、尾久地区の魅力に迫ってみたいと思います。

「東京近郊の花街」として栄えた歴史

●立地と歴史

 尾久が小具郷(おぐのさと、おぐごう)と呼ばれていた時代(鎌倉~室町時代頃)には、王子や町屋の一部、東日暮里や根岸までも含んだ広大な土地だったといいます。

 それが時代の移り変わりとともにだんだんと削られていき、現在では北の隅田川と南の明治通り(都道306号線)に挟まれた、荒川区の西尾久・東尾久にその名を残すのみとなっています。

 尾久周辺の知名度の高い街としては、西に王子、東に町屋、南に日暮里、そして北には西新井がありますが、心なしかどの街もマイナー臭が漂っている気が……。

 それもそのはずで、もともと尾久は湿地や水田だらけの農村地帯であり、明治・大正の時代になって「東京近郊の遊興地」として栄えた土地だったのです。

尾久地区にある「おぐぎんざ商店街」の南側一帯には、昔ながらの材木屋が何軒も残っている。隅田川の水運を利用した名残りだろうか?(画像:荒井禎雄)

 東京近郊ということは、東京とは見なされていないとも受け取れますから、今でいえば埼玉・山梨・千葉辺り、東京から日帰り可能な観光地といったイメージでしょうか。

 この一帯はあくまで別荘を持ったりレジャー目的で訪れたりする土地であって、東京の中心地ではなかったため、そのマイナーさが今の時代にも残ってしまったのだと考えられます。

●遊興地・三業地としての尾久

「東京近郊の遊興地としての尾久」については、非常に面白い話があるため、この連載のコンセプトからは少々離れますが詳しく解説します。

 尾久地区のような「東京(江戸)のはずれにあった街」の多くは、明治~昭和初期の頃に旧東京市がどんどん膨張していくにつれて、農業以外の産業(主に工業)が生まれ交通機関が整備され、多くの人が移り住むようになったという歴史を持っています。

 尾久もそうして発展した側面もあるのですが、この街が特殊なのは「遊興地・三業地だった」という点です。三業地とは花街のことで、花街に欠かせない業種である料理屋・待合・置き屋を総じて三業と呼んだことから、そう呼称するようになりました。

始まりは、お寺の住職の突飛な思いつき

 遊興地としての尾久は、1914(大正3)年に碩運寺(せきうんじ)という今も宮ノ前停留所近く(尾久警察署の南)にあるお寺から温泉が湧いたことから始まります。

 これについては非常にシビレる逸話が残っています。

 お寺の住職は、はじめ「尾久の水で焼酎を作ったらうまいんじゃないか」と水質検査をしてもらったそうで、その結果ラジウムが含まれていることが判明し、予定を変更して温泉を開いたのだそうです。

 鬼才か不良坊主か判断に苦しむところですが、その温泉が「お寺から湧いたお湯だからご利益がありそうだ」ということで評判を呼び、王子電鉄(後の荒川線)の開業も手伝って周辺に温泉旅館や料理屋が増え、尾久一帯は「都心から最も近い温泉地」として栄えていきました。

 次の転機は1922(大正11)年に訪れます。「温泉とうまい飯があるなら、次は女(湯女)だ」と、料理屋と置き屋、そして待合の三業の組合の指定を警視庁から受け、三業地としての尾久が誕生したのです。関東大震災の直前には300~400軒の店があったといいますから、相当な規模だったと言えるでしょう。

 余談ですが、この1922年にもうひとつ大きな出来事がありました。尾久地区の西側の隅田川沿いに、温泉・料亭・演芸場を備えた、今でいう健康ランドのような行楽施設がオープンしたのです。これが小さな子ども向けの遊園地として愛されている「あらかわ遊園」の始まりです。

2021年まで休園中のあらかわ遊園は、尾久のシンボルに相応しい歴史を持っている(画像:荒井禎雄)



 現在、大改装のため休園中のあらかわ遊園ですが、実は尾久が温泉地・三業地だった時代を今に伝える歴史の証人なのです。

突然に訪れた花街の終わり

 さて、三業地としての尾久は昭和の時代まで栄えており、1936(昭和11)年にはかの有名な「阿部定事件」の舞台となります。この世間を驚かせた事件のおかげで、良くも悪くも尾久は何度目かの注目を浴びることとなり、物好きな男女がこぞって遊びに来たそうです。今でいえばTVドラマやアニメ「聖地巡礼」の走りのようなものでしょう。

 しかし昭和も後半に差し掛かった頃、突然終わりがやって来ます。

 当時、東京およびその近郊の工場地帯では地下水の汲み上げが激化しており、それによって地盤沈下や地下水の枯渇などさまざまな社会問題が巻き起こりました。荒川区は工場が多かったこともあり、尾久温泉はその煽りを受け、温泉が枯れ果ててしまったのです。

 遊興地・尾久の一番のウリだった温泉が枯渇したことから、花街の柱である三業も急速に衰えていき、今ではその当時を思わせる建物のほとんどが消失してしまいました。

尾久が三業地であった頃の名残りは、この「熱海」を残すのみとなってしまった(画像:荒井禎雄)

 数年前に筆者が商店街をテーマにした本の執筆のために取材した際には、まだ何か所か高い塀のある不思議な造りのお店跡などが残っていたのですが、つい先日訪れたときにはそうした当時を思わせる遺物が無くなっていました。

 地元の古老に聞いてみたところ、その頃の名残りと呼べるのは、あらかわ遊園を別とすれば小台駅の目の前にある「熱海」という料理屋が唯一だろう、とのことでした。

都電の停留所から延びる、1本道の商店街

●商店街と特徴

 尾久地区の商店街はとても分かりやすい造りをしており、原則として都電荒川線を北端とし、南の明治通りやJRの線路(もしくは田端駅)方面に向かって1本道の商店街が延びています。

 代表的な存在は、都電の熊野前駅から日暮里舎人ライナーの赤土小学校前駅付近まで続く、約850mほどの1本道商店街。

 ここは「はっぴいもーる熊野前商店街」と「おぐぎんざ商店街」というふたつの商店街に分かれており、生鮮品にお茶に乾物に瀬戸物に金物に衣類に靴に……と、昔ながらの業種を保ったまま今も活気を維持しています。

はっぴいもーるにある何とも雰囲気のあるお茶屋さん。こういう店がちゃんと残っている商店街は貴重



 おぐぎんざは純然たる生活型商店街なのですが、少し特殊なのは北側のはっぴいもーるです。

 この商店街には年金事務所や「アクト21」という区民会館をはじめ、老人介護施設(グループホーム)などの福祉施設が置かれており、買い物場所とは違う意味でも周辺住民の生活を支える存在になっています。

 また商店街の中に小学校の校門があるのも、この商店街の在り方を表している興味深いポイントだと言えるでしょう。

23区内とは思えないほど質素な交通網

 この商店街ほどの活気はありませんが、宮ノ前と小台の停留所付近にも、南に延びる商店街があります。

 宮ノ前には「宮前商店会」があり、ここは女子医大病院へ向かう通りになっているためタクシーの往来がとても多く、のんびり買い物を楽しむ商店街とは言い難い状況です。その代わり良い店オーラを漂わせる惣菜屋や飲食店が集まっているため、飲食店通りとしての魅力を持っています。

 小台には、旧小台通りに沿って熊野前の商店街とほぼ同距離の長い1本道商店街があります。ただ営業中のお店の密度が低く、シャッター化や住宅街化が進んでおり、生鮮品や飲食店といった何らかのお店がポツポツとあるだけになってしまっています。

 買い物環境として現役バリバリの商店街と言えるのは、熊野前のはっぴいもーるとおぐぎんざだけですが、スーパーマーケットは尾久地区のあちこちに点在しています。

 西尾久には「コモディイイダ」「東武ストア」「オリンピック」「スーパーバリュー」などが、東尾久にも「ライフストア」があり、さらに、おぐぎんざにある「グルメシティ」や「トミエストア」が加わります。

 都電は停留所の間隔が短いため、今回取り上げている3駅分を合わせて、やっと平均的な鉄道駅の1駅分になるかといったところ。

 そういった、自転車があれば周り切れる範囲に巨大な商店街が1本と数か所のスーパーマーケットがあるのですから、生鮮品の売り場数に関してはほかの地域に比べて恵まれていると言うべきでしょう。

●交通機関

 交通機関の面では、都心に近い23区内の街とは思えぬほど特殊で、原則としてメインの交通機関と呼べるものは都道306号線の支線に沿って走る都電荒川線しかありません。

 尾久と名の付く土地には、西は荒川車庫前駅から東は東尾久3丁目駅まで、5か所の都電停留所があり、他路線に乗り換えるならば西の王子か東の町屋に頼ることになるでしょう。

 例外として、2008年に開通した日暮里舎人ライナーが東尾久を縦断するように伸びており、都電の熊野前停留所のすぐ近くに日暮里舎人ライナーの熊野前駅もあります。これを使えば日暮里・西日暮里駅まで出られるので、そこでJR線や地下鉄などに乗り換えることが可能です。

荒川線と日暮里舎人ライナーが交差する、日本でただ1か所の交差点(画像:荒井禎雄)

 余談ですが、熊野前の交差点は都電荒川線と日暮里舎人ライナーという都が管理する新旧交通機関が交差する唯一無二の場所となっており、カメラを抱えた鉄道ファンの姿をよく見かけます。

 また、尾久地区の南側の明治通り付近に住んでいれば、田端駅や尾久駅などJR線の駅が徒歩圏内ですが、この一帯はJRの在来線に加えて新幹線まで走っている際立って線路幅の広い地域であるため、JR駅へ向かうルートは非常に限られたものとなります。

家賃相場6万円が永続するかは未知数

●家賃相場

 都電荒川線の停留所ごとの家賃相場は以下のようになっています(※ 筆者調べ)。

・小台:6.7万円
・宮ノ前:6.7万円
・熊野前:6.6万円

 参考までに他の荒川線沿線の土地の家賃も列挙しておきます。

・三ノ輪橋:8万円
・町屋駅前:6.7万円
・荒川遊園地前:7.2万円
・王子駅前:7.9万円
・大塚駅前:10万円
・学習院下:11万円
・早稲田:9.8万円

 こうして見てみると、尾久地域から町屋にかけては荒川線沿線の中でも特に家賃相場が安いことが分かります。

 しかしこれには注意が必要で、意外かもしれませんが荒川区は2018年の都内の地価上昇率TOP3を占めています。

 西日暮里4丁目(開成高校の裏)、荒川2丁目(荒川区役所周辺)、南千住8丁目(汐入公園一帯)がそれに当たり、東日暮里など区内の他地域も軒並み地価を上げています。

宮ノ前の商店街を抜けると大きな東電の敷地がある。ここに建っている鉄塔は尾久地区のどこからもよく見え、まるでスカイツリーのような存在(画像:荒井禎雄)



 その理由としては、都内の目ぼしい土地をあらかた開発し尽くしたデベロッパーにとって、まだ宝の山が隠れているのが荒川区くらいしか残っていないからという事情が挙げられます。

 先にも少し触れましたが、荒川区は江戸時代頃までは湿地と水田しかないような土地で、明治・大正になって工業地帯として発展したという歴史があります。その後は交通事情のイマイチさからか特に開発の手が入ることもなかったため、元工場跡地や低層住宅などが多く、高層マンションを建てる用地として最適なのです。

 荒川線の沿線(特に熊野前停留所付近)にも似つかわしくない高層マンションが増えており、また用地として確保しているのだろうなと思わせる無駄に広い駐車場も作られ始めています。

 このことから、今はまだ家賃相場が低く抑えられていますが、近い将来どうなるかは予測がつきません。

荒川区には珍しい?? 都内有数の安全タウン

●犯罪発生率

 今回も、警視庁が公開している「犯罪情報マップ」を元に、尾久地区の犯罪発生数を調べてみました。

 すると、これまで取り上げた土地ではどこでも駅前での自転車盗難くらいは年間何十件か起きていたのに、西尾久も東尾久も2018年の1年間で10件未満という地区ばかり。2018年1年間の全刑法犯の総数でも、1~25件という最少の数値しかありませんでした。

 これは文句ナシで「尾久は都内でも有数の超安全な街である」と評価すべきでしょう。
 同じ荒川区内でも日暮里や町屋、三ノ輪辺りになると車上荒らしや自転車盗難などが一気に増えるため、荒川線沿線の尾久地区は極めて特殊な「のんびり地帯」なのだと考えられます。

甲乙つけがたき個性的な銭湯の数々

●銭湯天国

 荒川区は都内でも有数の銭湯天国として知られています。荒川区の銭湯というと「斎藤湯」に代表される東日暮里一帯の過密地帯が思い出されますが、尾久地区の充実度もそれらと比べて遜色ありません。

 尾久は地下水の枯渇により温泉地としては廃れてしまいましたが、昔ながらのお湯の熱いザ・銭湯から今風のキレイで清潔なスパまで、優れた銭湯がまだまだ多く生き残っています。

 なかでも特に秀でた存在なのは、旧小台通りの商店街の中にある「梅の湯」でしょう。
 ここは2016年にリニューアルした女性でも安心の真新しい清潔な銭湯で、露天に薬湯に寝湯に、とバリエーション豊か。それぞれの湯船のサイズはゆったりしており、長湯しても飽きない快適さです。

 また、小さな子ども連れでも入れるようにとぬるめのお湯も用意されていて、家族のコミュニケーションの場としても秀逸。メディアに取り上げられる頻度も高いため、尾久を代表する銭湯をひとつ挙げろと言われれば、間違いなく梅の湯の名前が挙がるでしょう。

 しかし、筆者がどうしても推したい銭湯がもう1軒あります。それは、おぐぎんざ商店街と赤土小学校前駅の中間地点にある「ニュー恵美須」です。

あまりの独自路線に惚れ込んでしまったニュー恵美須。尾久にお立ち寄りの際にはぜひ!(画像:荒井禎雄)



 ここは万人向けの梅の湯とは違い、非常に個性の強い銭湯なので、好き嫌いがキレイに分かれてしまいます。

 年季の入った建物は広々としており湯船の種類は多いのですが、お湯はどれも熱く、おそらく41~2度が最低ラインといったところ。

 さらにスチームサウナが無料だったり露天風呂もあったりと至れり尽くせりではあるのですが、全体的に設備が古く、浴室内のカラーリングが「赤!青!オレンジ!ついでに下駄箱は真っ黄色!」と理解し難い色使い。

 またメインの浴槽は大きなL字型なのですが、壁に沿って作られているのではなく、浴室のど真ん中に花道のように突き出しているというほかでは見たことのない設計。難点は、これだけいろいろ湯船があるのに水風呂がないことですが、それを差し引いてもほかにふたつとない「ピーキーさ」に惚れ込んでしまいました。

 以前、筆者が大阪の下町で立ち寄った銭湯がこんな造りをしていたので、「恵美須」という表記といい、もしかするとどこかで大阪の血が入った銭湯なのかもしれません。

 潔癖好きな方には梅の湯の方がオススメですが、どうせ尾久に来たならば、ほかの土地では絶対に味わえないであろうニュー恵美須という異空間を楽しんでほしいと思います。

不便さを楽しむくらいがちょうどいい

●メリット・デメリット

 尾久地区は買い物場所が多く、家賃相場が安く、事件・事故が滅多に起こらない安全さもあり、子育て世代にとっておススメの街だと評価できます。

 良くも悪くも乗降者数の多い駅がほとんどなく盛り場らしい盛り場も少ないため、夜の騒音に悩まされることも少ないはずです。

 また小さな子どもを遊ばせる場所としては、(2021年まで休業中なのが痛いところですが)あらかわ遊園があり、無料の公園ならば尾久の原公園という広大な公園もあります。

 ほかにも、都電の電車賃こそ掛かってはしまいますが、西へ行けば飛鳥山公園、東へ行けば荒川自然公園と、都内でもトップレベルの設備を誇る人気の公園が近場にあり、上述した銭湯巡りと同様に選択肢に事欠きません。

 その反面、深夜までやっている飲食店や繁華街は皆無で、ファストフード店なども少ないため、若い単身者などには不便でまったく面白くない街だと言えるでしょう。

 熊野前駅周辺以外では、交通手段が荒川線一択になってしまうというのも、通勤を考えると大きなマイナス要素だと言えます。

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