台東区「料理人の聖地」が、かっぱ像であふれかえっている理由

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台東区「料理人の聖地」が、かっぱ像であふれかえっている理由

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下関マグロ

サンポマスター、食べ歩き評論家

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浅草から上野をつなぐ「かっぱ橋本通り」の路上には、なぜかかっぱ像が多く置かれています。いったいなぜでしょうか。フリーライターの下関マグロさんが解説します。

北上野の怪

 筆者は2005(平成17)年から、東京散歩の記事を書き始めました。最初の頃はどこをどう歩けばいいのかわからず、「とりあえず散歩といえば浅草だろう」と銀座線の浅草駅で担当編集者と待ち合わせをしました。

 まずは浅草寺へお参りをし、行き当たりばったりで見つけたお店で天丼を食べたのです。天丼を食べながら担当者と上野方面に歩いてみようかと話し合い、気がついたら「かっぱ橋本通り」(台東区北上野)に出ていました。

金色のかっぱ像。名前は「かっぱ河太郎」(画像:下関マグロ)



 かっぱ橋本通りは将軍家が上野の寛永寺(台東区上野桜木)に参拝し、その後で浅草寺に向かうための「御成道(おなりみち)」として江戸時代に整備されたものです。浅草から上野までの近道として、今日まで多くの人が利用してきました。

 かっぱ橋本通りの浅草側の入り口は「国際通り」となります。かつて国際劇場があったので、国際通りと呼ばれるこの通り。現在、国際劇場があった場所は浅草ビューホテル(同区西浅草)が建っています。

金色のかっぱに遭遇

 浅草側から少し歩くと「かっぱ橋道具街」と交差し、そこを左に行くと「かっぱ河太郎像」がいます。

 かっぱ河太郎像は、かっぱ橋道具街が誕生して90年周年になることを記念して、2003(平成15)年に建てられました。かっぱ橋道具街は浅草通りから言問通りまでの800mに、約170もの料理道具やその関連商品を売る店が並んでいます。最近では外国人観光客も多く見かけます。

2005年12月に撮影したかっぱ橋本通りの浅草側入り口(画像:下関マグロ)



 小説家の高見順が1940(昭和15)年に発表した『如何なる星の下に』という小説にも、かっぱ橋道具街は登場します。

なぜ何体もいるのか?

 さてふたたびかっぱ橋本通りに戻って、上野方面へ歩きます。先ほどは金のかっぱでしたが、こちらにはさまざまなかっぱの像があることに気づきます。

木製の像にペイントを施されたかっぱ像。これの像の名前は「極楽カッパ」。2019年10月撮影(画像:下関マグロ)

 それぞれのお店の前にかっぱがいます。たいていは木造で、その台座部分には名前がつけられています。基本的にそれぞれの商店の前にいます。「極楽カッパ」は瀬戸物屋さんの前にありました。

 多くのかっぱの顔や体は似ていますが、それ以外にもアーティスティックな木彫りのかっぱもいます。それらを見て歩くだけでも楽しいものです。

 あらためて、2019年10月に訪問してみると、かっぱの数が少なくなっていることがわかりました。また、かっぱが移動していることも。以前お肉屋さんの前にかっぱはいませんでしたが、今は2体ありました。緑色の小さなかっぱは2005年に訪問したとき、別の店の前にあり、「蛙かっぱ」という名前がつけられていました。

 それにしてもなぜここにはこんなにかっぱの像があるのでしょうか。あるとき、このプロジェクトにかかわった古老からお話を聞くことができました。

かっぱはインスタ映えする?

 かっぱ橋本通りでは、毎年、七夕時期に「下町七夕祭り」を開催しています。2019年で32回目。お話をうかがった古老は、この祭りの立ち上げにもかかわったそうです。第1回が開催されたのは1988(昭和63)年7月6日。商店街の町おこしの一環で、これらのかっぱは作られたそうです。

お肉屋さんの前には以前いなかった2体のかっぱがいた(画像:下関マグロ)



 今は露店が出て多くのお客さんで賑わう下町七夕祭りですが、立ち上げ当時はかなり苦労したのだと古老は話します。

「宣伝しなくちゃということで、ピエロの格好をして上野駅のところで何人かでビラを配ろうということになったんだよ。衣装は用意されてたんだけど、どう化粧していいかわからない。で、化粧をしてくれる人がいるっていうんで、そこに行ったの。どんな人がしてくれたと思う?」

「えっ、わからないです」と筆者。「それがさ、浅草のストリップの踊り子さんだったんだよ」と笑う古老。なるほど、なんだか土地柄ですね。

 というわけで、かっぱ橋本通りへ上野からでも浅草からでも歩いてみてはいかがでしょうか。かっぱはインスタ映えするぞ――なんて思うのは、筆者だけでしょうか。

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