浅草「神谷バー」 その芳醇な歴史を「電気ブラン」とともに振り返る
2019年11月24日
お出かけ浅草・雷門近くにある「神谷バー」。その名物は「電気ブラン」で、ルーツとなったものが誕生したのは1882年といいますから、歴史を感じざるを得ません。そんな「神谷バー」と「電気ブラン」について都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。
震災と戦災を生き抜いた「浅草の生き証人」
地下鉄浅草駅の雷門口を出てすぐにある「神谷バー」(台東区浅草)は、1912(明治45)年開店、オリジナル・リキュールの「電気ブラン」でその名を知られる国内初で最古のバー。今回は、浅草の生き証人とも言える老舗のバーの話です。
江戸時代から戦前まで、常に東京一の繁華街として賑わった浅草。時に銀座に、時に新宿にその座を譲りながら、今では江戸文化と下町風情、和洋折衷と大衆文化を旗印に、最もインバウンドが訪れる場所。そんな浅草を象徴するような、台東区浅草一丁目一番一号に建つのが、神谷バーの入店する神谷ビルです。

周辺がアーケードなので、ビルの前を歩いていると気がつきにくいのですが、目の前の信号を渡れば神谷ビルの全貌を眺めることができます。
神谷ビルは、1921(大正10)年築、鉄筋コンクリート造4階建のモダンなビルで、当時世界を席巻した建築潮流のひとつ、ウィーン分離派とよばれる様式をベースに造られています。特に2階部分の円形窓とその下に続く直線的なデザインは、まさにその典型といえるでしょう。
上階の窓周りを除いて、建物の正面はタイルで覆われ、特に1階に貼られている、縦に引っ掻き傷を施したスクラッチ・タイルは、大正末から昭和初期にかけて爆発的に普及した、この時代特有のものです。
先の大戦で館内が全焼し、オリジナルの内装が失われてしまったのは残念ですが、創建当時の写真を見ても、その外観は基本的に変わっていません。関東大震災と戦災を生き抜いた神谷ビルは、まさに浅草の生き証人と言えるでしょう。
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