ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『カッコマン・ブギ』――銀座が若者文化を背負っていた最後の時代 中央区【連載】ベストヒット23区(22)
紅白で堂々たる存在感を見せた椎名林檎「ベストヒット23区」を決めていく連載も、いよいよ残り2区。今回は中央区です。 中央区と言えば銀座。銀座と言えば音楽の宝庫、と思いきや、実は『銀座の恋の物語』(1961年)に代表される「ムード歌謡」の宝庫という感じで、この連載で取り上げているポップス系については、実はそんなに曲が無いのです。 今回は、そんな数少ない「銀座ポップス」を、新しいところから掘ってみましょう。2017年4月20日にリリースされた、椎名林檎とトータス松本『目抜き通り』。 これは、リリース同日にオープンした銀座の大型商業施設「GINZA SIX」(中央区銀座6)のテーマ曲でした。ということは、「有楽町そごう」のCMソングだったフランク永井『有楽町で逢いましょう』(1957年)の後継になりますね。 数々のムード歌謡を生み出した銀座の街(画像:写真AC) 2017年のNHK紅白歌合戦では、白組でも紅組でもない特別枠として、この曲が歌われました。翌2018年の紅白では、同じく特別枠で、同じく椎名林檎が、宮本浩次と『獣ゆく細道』を歌いました。 この両回での椎名林檎は素晴らし過ぎました(私は椎名林檎を「2010年代紅白のMVP」だと思っています)。日本屈指の声量を持つオヤジふたりを、その独特のパフォーマンスと歌声で完全に食ったと、個人的には感じ入ったものです。 トータス松本と宮本浩次は1966(昭和41)年生まれで、いわゆる「丙午(ひのえうま)」。迷信で「丙午の女性は男を食い潰す」と言われ、実際1966年の出生数も少なかったのですが、紅白においては「丙午の男性(トータス松本と宮本浩次)が女(椎名林檎)に食われた」結果となったと、私は見ました。 サザンの「昭和ノスタルジー」サザンの「昭和ノスタルジー」「銀座ポップス」の大ヒットと言えば、時計の針をぐんと戻して、その「丙午」の年に生まれた和泉雅子・山内賢『二人の銀座』が有名です。作詞は永六輔、作曲はベンチャーズという、何とも個性的なソングライター・チーム。 元々はベンチャーズのインストゥルメンタルの曲で、それに歌詞を付けたもののようです。なので本質的に器楽曲であり、実に歌いにくい。特に「♪僕と君が 映るウィンド 肩を寄せて 指を絡ませ」の、音が上下にせわしなく動くところ。 5年後の1971(昭和46)年には、同じくベンチャーズ作曲の欧陽菲菲『雨の御堂筋』が大ヒットします。東京のど真ん中=銀座から、大阪のど真ん中=御堂筋へと、ベンチャーズがテケテケ移動しました。 『雨の御堂筋』がリリースされた1971年は亥(いのしし)年。同じく亥年の1983(同58)年に、天下のサザンオールスターズが、銀座にちなんだシングルをリリースします。題して『東京シャッフル』。「♪君と銀座のキャフェテラス」と、冒頭から昭和ノスタルジー的に、銀座が取り上げられます。 第一線で活躍し続けるサザンオールスターズ(画像:TOKYO FM) サザンは1983年の紅白でこの曲を歌ったのですが、正直、あまり私の記憶に残っていません。と言いましょうか、前年1982年の紅白に、三波春夫をちゃかしたような衣装で大暴れしながら歌った『チャコの海岸物語』の印象が、相対的に強すぎるのでしょうが。 アーティストたちの、宇崎竜童へのあこがれアーティストたちの、宇崎竜童へのあこがれ ここで「ベストヒット中央区」を決めたいと思います。歌い出しのいちばん初めが「銀座」から始まるということで、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『カッコマン・ブギ』(1975年)にしたいと思います。 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『カッコマン・ブギ』(画像:東芝EMI) ダウン・タウン・ブギウギ・バンドや、そのボーカルの宇崎竜童という人は、これまで述べてきた音楽家たちと、いろいろと関係しています。 まず椎名林檎は『音楽ナタリー』でのヒャダインとの対談(2014年)で、「作家としては宇崎竜童・阿木燿子夫妻のコンビに憧れていて、あの形をひとり二役でこなすのが一生の夢」と語っています。 またダウン・タウン・ブギウギ・バンドは1976(昭和51)年の9月にベンチャーズと葉山マリーナで共演していますし、極めつけは、桑田佳祐と宇崎竜童の接触です。 サザンとしてのデビューが決まった後、桑田佳祐は宇崎竜童を訪問し、彼の事務所に入れてくれとお願いしたそうです。宇崎は断るのですが、その理由として「俺は言葉がわかんねえロックはやだ!」と言ったとか言わなかったとか(宇崎本人はこれを否定)。 結局、サザンはアミューズ所属となり(2020年6月21日配信の前回記事「ベストヒット北区」の内容とつながりますね)、人気バンドとなって、宇崎竜童に『Hey! Ryudo!』(1980年)という、おせっかいな歌をささげます。このあたりについて、詳しくは拙著『サザンオールスターズ 1978-1985』(新潮新書)をご一読ください。 銀座から原宿、六本木へと銀座から原宿、六本木へと『カッコマン・ブギ』の歌い出しは「♪銀座・原宿・六本木」、この地名選択には、中央区・銀座から渋谷区・原宿、港区・六本木に、トレンドスポットが移行していく流れが埋め込まれています。70年代のシンボルである銀座の歩行者天国から、竹の子族の原宿、ディスコの六本木への移行。 若者の人気スポットとして台頭した港区・六本木(画像:写真AC) つまり70年代は、銀座が若者文化を背負っていた最後の時代。ダウンタウン・ブギウギ・バンドも一時期レギュラーだった若者向け人気番組で、銀座から生放送していたTBS『ぎんざNOW!』も、1972(昭和47)年に始まり、1979年の9月に終わってしまいました。 若者を捨てて大人の街となっていった銀座に思いをはせながら、いよいよ次回は最終回。「ベストヒット台東区」です。
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