進む郊外化で揺らぐ商店街の価値、生き残りの「最大のヒント」とは?

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進む郊外化で揺らぐ商店街の価値、生き残りの「最大のヒント」とは?

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荒井禎雄

フリーライター、放送ディレクター

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かつて大きなにぎわいを見せていた商店街。しかし今やその存在は風前の灯火です。生き残りの道はどのようなところにあるのでしょうか。商店街に関する著書があるライターの荒井禎雄(さだお)さんが解説します。

ロードサイドの開発と発展

 前回の記事(個人商店に「トドメを刺した」のは誰か? 都内の商店街、その衰退の歴史を振り返る)では、商店街の衰退の理由を説明しました。今回はその続きです。

中野区弥生町の「川島商店街」は陸の孤島だが、需要があれば滅びないことを証明している(画像:荒井禎雄)



 コンビニの定着により、個人商店は大打撃を受けましたが、それでも「商店街への人の流れはある」という状況ではありました。

 ところが、それすらぶち壊す新たな脅威が出現します。それが郊外のロードサイドなどに作られた大規模なショッピングモールです。

 90年代に入ると、海外資本の大規模店が日本進出を開始します。その際に障害になったのが大店法なのですが、アメリカを含めた諸外国が「世界貿易機関のルールに反している」と圧力をかけた結果、大店法が廃止され、新たに「まちづくり3法」が制定されました。ちなみに、この直接のキッカケになったのは玩具量販店の「トイザらス」です。

 このまちづくり3法の中に、大店法の後継というべき「大規模小売店舗立地法(大店立法)」があるのですが、この法律は立地面積や営業時間などが厳しく定められていた大店法とは異なり、渋滞・ゴミ・騒音などの、環境への配慮といった点に重きが置かれていました。

 これは日本側のせめてもの抵抗という意味合いがあったと思われますが、これにより、大型店舗は実質的に郊外にしか建てられないようになったのです。ところが、これが古い商店街、特に地方都市の商店街にとって致命傷となりました。

 郊外型のショッピングモールや大型店は、これまでにない商品を取り扱い、またちょっとした遊園地・ゲームセンター・映画館という娯楽施設も併設されていたため、商店街などより圧倒的に求心力の強い存在でした。

 ロードサイドにしかないという不便さはありますが、地方都市に住む人々はそもそも車社会に生きているため、大して苦にはなりません。

 これが以前の記事の「東京や大阪といった一部の大都市には辛うじて昔ながらの商店街が生き残っている」という話に直結します。

 コンビニという新システムによって多くの個人商店が致命傷を負い、そして郊外型の大型ショッピングモールによって 「街自体の動線が奪われる=古い街が空洞化する」 という事態が起きてしまったのです。

インターネット通販の脅威

 これだけでは終わりません。皆さんは特に品質にこだわらない、けれど定期的に買い続ける物や、運ぶのがおっくうな物をどこで買っているでしょうか。例えば、お米のような重たくて消費量の多い物、醤油や酒などの瓶入りの商品、トイレットペーパーやティッシュといったかさばる雑貨、気になる本などです。

都内の商店街には文化財レベルの老朽化物件が多数ある(画像:荒井禎雄)



 一昔前はお母さんたちが自転車のカゴに無理やり突っ込んだり、荷台にくくり付けて運んでいましたが、今はインターネット通販で定期購入すれば済むのです。

 しかもインターネットには、「価格.com」のような価格比較サイトなどがアチコチにあり、商品レビューも多い。運んで貰えることを加味すれば、送料を入れても、もっともコストパフォーマンスに優れた買い物場所だと言えます。

 私もかつて親の手伝いでやらされましたが、昔は街の酒屋がお得意さんの家を回って「何かありますか?」など、御用聞きや配達をしたものですが、今はインターネットがそれと同じことをよりお安く、煩わしい他人とのコミュニケーションを排除して、やってくれるのです。

 インターネットの発達により、今や「郊外に動線が取られた」どころか、買い物するのに「家から出る必要がない」という時代になってしまったのです。

人と建物の高齢化

 商店街および、商店街にある古い個人商店には、さらなる問題点もあります。それが「人と建物の高齢化」です。江戸時代や明治時代に創業した老舗ではなく、1950~60年代の商店街絶頂期に商売を始めたような個人商店が特に問題となっています。

 店主が高齢で商売を続けられなかったり、後継者がいなかったり、建物が老朽化してしまったりなど、どうにもならない事情で店を閉めるケースが後を絶たないのです。

 以前の記事で「商店街での買い物はコストパフォーマンスに優れている」と書きましたが、それを支えているのは、持ち家かつ人件費のかからない店主夫婦が営業しているからこその価格設定です。そのため、高齢化や老朽化、後継者不足といった問題が起きると、たやすく壊れてしまうのです。

 過去にはスーパーマーケットやコンビニといった新業態が敵だった個人商店ですが、今やそうしたものに抗う力もなく、ただ寿命に直面しているという状況にあります。

商店街が追及すべきは利便性と信頼

 商店街と個人商店が直面する問題点や、衰退の歴史を長々と書き連ねてきました。商店街は今後どうすれば、庶民の買い物場所としてのポジションを守れるのでしょうか。

 実はその答えはとても簡単で、一言で言うならば「商店街を守ることを最優先してはいけない」ということに尽きます。

「商店街を守ろう」という考えは、ともすれば大店法時代の商店会や商工会と同じ過ちを繰り返すことになり兼ねません。歴史に「if(もし)」は禁物ですが、あえて言わせていただきます。

 あの当時、各地の商店会が法律で庇(かば)われることを望まず、大規模店やコンビニに対して経営努力によって戦う道を選んでいたならば、商店街の歴史はもう少し違うものになっていたかもしれません。何故なら、今の時代になって、その「if」の答えが形になり始めているからです。

生き残りには「専門知識の濃さとマニアックな品揃え」が必要

 先に私の生家は商店街の酒屋だったと言いましたが、その店はもうコンビニに売り払ってしまい残っていません。そのコンビニも潰れ、今は持ち帰り寿司になっています。

 ところが、私の生家より遥かに規模が小さく、細々と商売していた同じ商店街の酒屋(しかも2軒)は、今や街の外から客が来るほどの人気店として繁盛しているのです。その秘密は、「専門知識の濃さとマニアックな品揃え」にあります。

 私の一族は代々酒にまつわる仕事をしており、小売店・問屋・造り酒屋と手広く商売していました。そのせいもあって、私の親は親族(本家)の問屋からしか仕入れができず、思うような商品を集められない状況でした。

 ただ、小売りも卸しも両方やる大きな店だったので、調子の良い時は都内の葬祭場や会館と取り引きがあり、ありふれた大企業の定番商品しか扱っていなくても、莫大な売り上げがありました。それもこれも「酒が免許品だったから」という点に尽きます。

「今の時代に通用する武器」を持て

 ところが、小泉政権時に大規模な規制緩和が行われ、お酒がどこでも買えるようになると、ウチのような大手どころのどこでも手に入る酒しか扱っていない店は商売が厳しくなり、父親は早い段階で「もう先が無い」と、店を閉じる事を決意しました。

 もっと言えば、親が店を閉じるどころか、今や一族の中で酒に関する仕事をしている人間などおらず、みな不動産管理などで食べています。

 実際その後、酒屋に冬の時代が訪れたのですが、先に挙げた同じ商店街にある2軒の酒屋さんは規模は小さいながらも、日本中の酒蔵を足で回って直取り引きをしたり、オタクしか知らないような銘柄を「これは良い!」と全力で仕入れたりと、客から「その店に行かないと買えない」という信頼を得て、繁盛店になりました。

 その内の1軒は酒蔵ツアーを定期的に開催しており、そのツアーでは地方の酒蔵をバスで回って、ラベルも付いてないようなお酒を好きなだけ飲ませて貰えるという、夢のような内容です。私も実際に何度も参加しましたが、静岡の「正雪」、新潟の「鶴齢」と惚れ込んだお酒も少なくありません。

 ところが、そういう仕掛けをしているお店は、コンビニからも声がかからないような小さな店舗で、そんなに凄いことをやっているとは思えません。おそらく知らずに前を通ったら素通りするでしょう。

 私の生家は法律や免許で守られることに甘んじていた、悪い意味での古い酒屋でした。ところが、今なお元気でやっている酒屋は並々ならぬ努力で「冬」を乗り切った「今の時代に通用する武器」を持った凄いお店なのです。

 商店街が今後も生き残っていくための最大のヒントが、これであると私は考えています。

信頼ある買い物場所になることが第一

 商店街とは成立当時、そのシステムが最も利便性が高かったから隆盛を誇りました。だからこそ、利便性で他に後れを取った時、衰退が決定付けられたのです。

古い宿場と新しいオシャレな店が融合している北千住(画像:荒井禎雄)



 商店街が再び「利便性の高い個人商店の集合体」であると認知されれば、人の流れを取り戻す、いや新しく生み出す事ができるでしょう。それを考えると、商店街という形に固執することすら、実はナンセンスなのかもしれません。

「人々にとって便利で、買い物場所として信頼できるならば、別に商店街に人を呼び込まなくてもいい」

 それくらい突き放した考えをした方が、結果的に商店街を未来に残すことに繋がるのではないでしょうか。守るべきは商店街ではなく、人々にとっての便利な買い物場所なのです。

 商店街の専門家としての私の執筆活動は、こうした各地の頑張っている商店街の良いところを探し、それを求める人々と繋げる、いわばマッチングのような活動だと考えています。

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