フランスに残された「3振りの日本刀」幕末期を戦った仏軍人と将軍慶喜の数奇な交流をたどって
2020年9月13日
知る!TOKYO幕末期に来日したフランス軍人、ジュール・ブリュネ大尉をご存じですか? 彼が祖国へ持ち帰った3振りの日本刀には、彼の日本での思いが垣間見えるようです。フランス現地でも取材を重ねたノンフィクション作家、合田一道さんが歴史の足跡をたどります。
江戸に現れた「青い目のラストサムライ」
箱館戦争(1868~1869年)を戦った“青い目のサムライ”がいた――。
フランス軍人のジュール・ブリュネ大尉。本当の意味のラストサムライはこの人、と筆者(合田一道。ノンフィクション作家)は思っています。

幕末期に、幕府の兵士を訓練するため、招聘(しょうへい)されて来日したフランスの軍事顧問団。
その副団長・砲兵隊長を務め、横浜の太田村野毛で幕兵らに砲術を教えるかたわら、倒幕を狙って江戸をかく乱させる薩摩藩邸目がけて、自ら指揮して大砲を撃ち込んだつわものです。
2000人を率いて品川沖から出帆するも
戊辰(ぼしん)戦争が起こり、江戸城が開城になると、旧幕府方の武士たちは、薩摩・長州中心の新政府に憤まんを抱き、抵抗します。
ブリュネはひそかに旧海軍副総裁の榎本武揚(えのもと たけあき)と会い、部下のカズヌーブ伍長とともに合流し、江戸・品川沖から2000余人を8隻の艦隊に分乗させて出帆し、蝦夷(えぞ)地へ向かったのです。
1868(明治元)年冬、五稜郭(ごりょうかく。現在の北海道函館市)を奪い、松前藩を鎮圧した榎本軍は、蝦夷島臨時政権を樹立し、総裁に榎本を選出。ブリュネは参謀に就任します。
しかし翌年4月、新政府征討軍の反撃に遭い、敗色濃厚になった同年5月1日、ブリュネは
「戦いは敗れた。日本の友人に対して心が痛むが、万事休した」
の書面を残し、戦線を離脱しフランスに帰国します。
間もなく五稜郭は開城になり、戦争は終結します。
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