90年代まで築地のオマケだった「勝どき」が人もうらやむタワマンエリアに変わるまで
かつてマイナーだった勝どき 東京・中央区の佃から月島あたりは下町の雰囲気を残す地域と言われてきましたが、それも日々失われつつあります。佃で100年の歴史を持つ駄菓子屋「山本商店」も去る5月末に閉店してしまいました。 現在、もっとも変化が著しいのは月島の「もんじゃ通り」でしょう。 ここは風情ある商店街と思いきや、通りに面してタワーマンションが建設されています。アーケードのある商店街の真ん中にマンションができて分断を増すという光景は、地方のシャッター通りでよく見かけますが、観光客の多い月島でもこうなるとは少し驚きです。もっとも1階はこれまで通り商店が入るようなので、時代に併せて進化したという見方もできます。 中央区勝どき(画像:(C)Google) さて佃や月島はまだしも、勝どき橋を越えた先にある勝どきかいわいは倉庫と集合住宅を中心とした街並みで、近年まで都内でもマイナーな場所でした。 バブル時代に増した存在感バブル時代に増した存在感 そんな勝どきがにわかに注目されるようになったのは、バブル時代です。当時のイケてるデートスポットの『東京クルージング・デートブック』(講談社。1989年)からは、時代の雰囲気が見て取れます。 東京クルージング・デートブック(画像:講談社) この本は「バブル時代のデート」を語るときには絶対に読んでおきたい1冊です。なにしろ、オビからして 「クルマを飛ばしてアーバンからサバーバンを元気いっぱい遊びまくろう!」 「大都会東京に住むボクたちは、いつでもセンセーショナルな話題を待っている。ショップについても同じこと。せっかくふたりっきりでドライブするのに、定番スポットだけではつまらない。食の追求、楽しさの演出。その姿はさまざまだけれど、デートはやっぱりトレンディが一番!」 とあおっています。さらには、「ダッシュボードに常備のスーパー・デートバイブル」というキャッチコピーも。 冒頭には「東京最先端クルージング・スポット」、すなわちイケてる男女なら一度はデートで立ち寄るべきレストランである、 1.市川カーニバルプラザ(サーカスレストラン) 2.パイク・ファクトリー(レストラン&バー) 3.キュイジーヌ(レストラン&バー) 4.カバラ(タイ料理) 5.クイーンズ(チャイニーズレストラン) 6.ギーガー・バー(バー) 7.レ・スィルコンスタンス(レストラン&バー) という計7店舗が紹介されています。 興味深いのは21世紀の現在、1店舗も残っていないことです。そんな打ち上げ花火的なノリが、まさにバブル時代を象徴しているとも言えます。そんななかで、まず注目したいのは「パイク・ファクトリー」です。 興隆の背景にあった地元企業の力興隆の背景にあった地元企業の力 パイク・ファクトリーは当時、「ウオーターフロント」を称する湾岸の倉庫街に次々と誕生したトレンディーな店舗で、日産自動車(横浜市)のショールームを兼ねていました。 『東京クルージング・デートブック』の説明文によれば、「入口にはパオとエスカルゴが展示されオリジナルブランド“パオサイド”が買えるショップもある」とあります。 一見すると意味不明ですが、実は「パオ」「エスカルゴ」ともに日産自動車のクルマのブランド名。店内はインド料理をメインで、日本未輸入の音楽などが流れるかなりとがった空間でした。そんな店があったのが勝どきだったのです。 とはいえ、現在のにぎわいと比べてそれはわずかなもの。東京の繁華街を網羅する地図帳『タウンガイド東京』1991年版(昭文社)をひもとくと、同じウオーターフロントでも、芝浦(港区)のマップは存在していますが、勝どきはありません。 そんなわけで1990年代に入っても、勝どきも、隣接する豊海町の認知度は低く、「月島の一部」ぐらいにしか見られていませんでした。 しかし、変化は徐々に現れていました。1987(昭和62)年には隅田川に面したイヌイ建物(現・乾汽船)が自社の所有地に、高級マンション「プラザ勝どき」(中央区勝どき1中央区勝どき1)を完工。さらに「イヌイビル・カチドキ」(同)の建設を進めていました。 中央区勝どきにある「イヌイビル・カチドキ」(画像:(C)Google) 同社は元々、イヌイ倉庫の名前で倉庫業からスタートしています。勝どきは同社にとって1929(昭和4)年以来の創業の地でした。 しかしこの時期には会社名を変更し、不動産施設賃貸業に本格参入していました。勝どきの代表的な企業が銀座からすぐの立地を生かして業態を変化させたことは、街の変化の始まりと言うべきものでした。 1993年には「なにかが起こりそう」な街に1993年には「なにかが起こりそう」な街に そんな変化を受けて、1990年代になると勝どきかいわいでも「バブルのあだ花」とは言えないような店舗が徐々に見られるようになります。雑誌のおしゃれな飲食店特集で、勝どきかいわいの店が取り上げられるようになってくるのです。 この時代の特徴は「オマケ」感です。月島は単体で特集が組まれたり、コーナー分けで紹介されたりしているのですが、勝どきはあくまで対岸の築地のオマケ扱いです。 例えば『Hanako』1991年2月21日号の湾岸のお店特集では「築地・勝どき」というカテゴリーで紹介。この特集は飲食店を基本的に紹介していますが、勝どきからエントリーしている店は、フレンチレストラン「双葉亭」「CLUB NYX」となぜか「カチドキゴルフセンター」です。紹介すべき店がなく、編集者が考えあぐねて作った感じが伝わってきます。 そんな扱いの勝どきかいわいですが、そこから数年がたつと少し扱いが変わってきます。『Hanako』1993年5月20日号では、再び同様の特集が組まれており、ここでは「築地・勝どき・晴海」というカテゴリーでお店を紹介。ここでは、地域全体を次のように語ります。 「また、なにかが起こりそう。スタイルを大きく変えた晴海といまどきの勝どき」 この一文が示す通り、倉庫ばかりが目立つ土地だった勝どき、晴海かいわいでは次々と再開発によるビル建設が始まっていました。 それを証明するように、紹介される店の数も増えています。上記の2店舗のほか、勝どきの清澄通りと晴海通りの交差点近くにあった「おたべ鮨」。晴海の客船ターミナルにあった「メイキッス」。それに、東京ホテル浦島の裏手にあった「ピア晴海」が取り上げられています。 バブル期を体感できるファミレスが残存バブル期を体感できるファミレスが残存 当時、特に人気スポットとして名高かったのはメイキッスとピア晴海です。 前者は近未来的な新築の客船ターミナルに入居する、おしゃれなレストラン。後者は店内にいけすを備えたシーフードレストランとして話題になっていました。 もっともまだ都営大江戸線もない勝どき・晴海は、銀座から徒歩圏内と言うには少し遠いスポットです。外食企業「ニュートーキョー」(中央区日本橋室町)系列だったピア晴海は、有楽町のニュートーキョー本店(当時)のところから、無料シャトルバスが出ているほどでした。 こうした店舗を発端として、今や激増したタワマン住民やオフィスに通うサラリーマンをターゲットにした少しおしゃれな店舗であふれる勝どき・晴海かいわいが形成されていったわけです。 今や地域の中心である都営大江戸線の勝どき駅(2000年開業)はホームを増築するほどのにぎわいを見せていますが、ここで挙げた店舗はもうすべてありません。おたべ鮨は、再開発で建築された勝どきビュータワー(勝どき1)に入居して、営業を続けていましたが2019年閉店しました。 中央区勝どきにある「デニーズ 勝どき店」(画像:(C)Google) 時代の面影を残しているのは「デニーズ 勝どき店」(同)です。ここは元々、前述の双葉亭のあった場所なのですが、建物は当時のまま。そのため、窓際の席で隅田川とライトアップされた勝どき橋を見ながら楽しめる、バブル期の雰囲気を体感できます。 消えゆく「街の記憶」を記録しよう消えゆく「街の記憶」を記録しよう 今回、過去の地図などを参照にしながら1990年代初頭の地域の姿を回想したのですが、何らかの資料が残っている店はまだラッキーです。多くの店はほとんど記録されないままに消えているのです。 例えば清澄通り沿いの、現在は「松乃家 勝どき店」(勝どき4)になっている場所にあった大衆食堂「月よし」はその一例です。同店は大衆食堂の見本のような店で、倉庫街だった勝どきならではの店でしたが、時代の流れに抗しきれず、2012年に閉店しました。 在りし日の「月よし」。2010年撮影(画像:(C)Google) 現在も勝どきにオフィスは多いわけですから、客層が変わっても存続できたのではないかと思いますがそうはいかなかったようです。 跡地を訪ねたときに近くを歩いていた老人に尋ねたところ「運転手の利用者が元々多かったのだが、再開発で路上駐車の取り締まりが厳しくなってやめた」との話を聞きました。 今では街歩きを趣味にする人も多く、記録も丁寧に残されるようになっています。しかし1990年代から2000年代初頭にかけてできた店・消えた店の記録は意外に失われています。放っておけば、すぐに消えてしまう街の記憶は何らかの形で記録していきたいものです。
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