ついに紅白落選 AKB48はそもそも本当に「国民的」アイドルグループだったのか?
2005年に活動を開始したアイドルグループAKB48。彼女たちは2020年、NHK紅白歌合戦への出場を逃しました。知名度が高く、CDの売り上げも群を抜く彼女たちですが、果たして「国民的」グループと言えるのか? ライターの谷保乃子さんが考えます。「国民的」の定義のあいまいさ「AKB48は『国民的』アイドルグループと言えるのか否か?」 仲間数人の酒席でそんな他愛ない議論を交わしたのは2010年代の初頭、すでに10年近くも前のことになります。 制服風の衣装に身を包んだアイドルのイメージ(画像:写真AC) そこにいたほぼ全員の回答は、「言えると思う」。 なにせ当時のAKBは、テレビ番組やネットニュースで見掛けない日はない活躍ぶり。すでに『ヘビーローテーション(ヘビロテ)』などのヒット曲を持ち、人気のお墨付きとも言える「NHK紅白歌合戦」には毎年当たり前のように出場を果たしていた頃でした。 ただひとり「言えない」と断言したのは、当の議論を提起した新聞記者の男性。 「国民的というのは幅広い世代をまたぐ支持があってこそ言えるものでしょう。たとえばサザン(オールスターズ)は3世代のファンがコンサートに行っている。AKBは確かに知名度は獲得したけど、話題ばかりが先行しているようにも思う」 有名人や著名な作品などに対してたびたび用いられ、ややインフレを起こしているきらいのある「国民的」という呼称。その条件を満たす指標とは何か、あらためて考えさせられる議論として折に触れ思い返すことになる話題でした。 ただ少なくともそれ以降何年かのAKBは、CD不況と言われストリーミング視聴もまだ今ほど一般的でなかった2013年に、多くの国民が口ずさめる曲となった『恋するフォーチュンクッキー(恋チュン)』を、2015年にはNHK朝の連続テレビ小説の主題歌『365日の紙飛行機』を発表するなど、全世代におよぶ一定の評価を得るまでになっていたように思います。 紅白落選に驚きと「そりゃそうだ」の声紅白落選に驚きと「そりゃそうだ」の声 2020年も残すところあと3週間余り。今年も71回目となる「NHK紅白歌合戦」が放送されます。11月、出場する歌手42組が発表され、NiziU、LISAさん、瑛人さんなど話題の顔ぶれが出そろった一方、そこにAKBの名はありませんでした。 2005(平成17)年12月に活動を開始した彼女たちにとって、ちょうど15周年となる節目の年の落選でした。 前年までの通算出場は12回。この報にネット上では「ついにその日が来たか」「時代が変わったのを感じる」といった嘆息が聞かれ、また同時に「そりゃそうだよ、新曲全然聞いたことないもん」という冷めた意見も聞かれた名簿発表日でした。 「聞いたことのないヒット曲」 AKBの人気や変遷を振り返るうえで避けて通れないのは、やはり「選抜総選挙」イベントの投票券や握手券を封入したCD販売の手法です。 特に2010年代後半以降、発表する曲がかつてほどのインパクトを残せず、それでも全てのシングルが100万枚超の売り上げを記録し、年間シングル売上ランキングで上位を独占する状況が続くと、世間の違和感は無視できないものへと膨らんでいきます。 往年のロックバンドRCサクセションの楽曲『トランジスタ・ラジオ』の歌詞になぞらえ、「聞いたことのないヒット曲」などと揶揄(やゆ)する声もありました。 実際、近年の年間CD売上ランキングで1位を獲得したAKBの各曲、 ・サステナブル(2019年) ・Teacher Teacher(2018年) ・願い事の持ち腐れ(2017年) ・翼はいらない(2016年) ・僕たちは戦わない(2015年) これらをサビの歌詞だけでもそらで口ずさめる、あるいはメロディーだけでも鼻歌でなぞれる人は、「ヘビロテ」や「恋チュン」と比べればおそらく格段に少ないでしょう。 国民の“体感”との乖離(かいり)は、この頃決定的になったように思われます。 2020年、彼女たちがリリースしたシングルCDは『失恋、ありがとう』1枚。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で各種イベントを開けず、「会いに行けるアイドル」という本来の活動を展開できなかった、そのことが紅白出場の当落にも影響した――。そう指摘するメディアもありましたが、実際にはコロナ以前からある程度覚悟しておかなくてはならない今回の結果だったのかもしれません。 一方、レコ大・優秀作品の曲とは一方、レコ大・優秀作品の曲とは 一方で興味深いのは、紅白と並んで年末の名物番組に数えられる「輝く!日本レコード大賞(レコ大)」(TBSテレビ系)で、2020年も彼女たちの楽曲が「優秀作品賞」のひとつに選ばれたことです。 ただ例年と違うのは今回、シングル曲ではなく配信リリースの『離れていても』という曲で名を連ねた点。 制服風の衣装に身を包んだアイドルのイメージ(画像:写真AC) 配信限定ということもあり、同曲の知名度が決して高くないことは、公式YouTubeチャンネルの再生回数からも見て取れます。 ・『離れていても』約151万2000回(7月1日配信) ・『失恋、ありがとう』約202万9000回(3月18日発売) AKBの「公式ライバル」として活動してきた乃木坂46のシングルCDと比べても、 ・『しあわせの保護色』約1004万6000回(3月25日発売) とその差は歴然としています(再生回数はいずれも2020年12月6日16時現在)。 しかしあえて解釈するのなら、この『離れていても』という曲には、かつてAKBが目指した「国民的」アイドルグループの矜持(きょうじ)ともいえる気概が垣間見えるように筆者には映るのです。 コロナ禍、再び大衆と同じ地平にコロナ禍、再び大衆と同じ地平に タイトルや配信時期からも分かる通り、同曲は新型コロナウイルス感染拡大に見舞われた2020年ならではのメッセージソング。ミュージックビデオ(MV)ではメンバーたちが感染予防のマスクを着け、手指をアルコール消毒し、スーパーでは人と間隔を取りながらレジの列に並ぶ姿がドキュメンタリータッチに映し出されます。 配信リリース当時のネットニュースでは、黄金期を支えた前田敦子さんや大島優子さんらOG8人も参加したことが主なトピックとして取り上げられていましたが、筆者が注目したいのはMV中、老若男女数多くの人々(国民)が登場し、メンバーらとともに「共演」していることです。 どこか懐かしい感覚を抱いて、その理由に思い当たりました。2013年のあのヒット曲「恋チュン」を想起させる、メンバーと人々とが同じ地平で描かれた構図だったからです。 あらためてAKB公式YouTubeチャンネルで各曲のMVを見てみると(正直に言えばほとんどの曲が初見でした)、『離れていても』のように数多くの市井の人々が登場する作品は近年ほぼ皆無。 さらに言えば同曲MVでメンバーたちは、いつものような華美な(日常という視点で見れば過剰な)衣装に身を包むこともなく、なにげない日々を感じさせる私服姿で現れます。群衆の中で突然ダンスを踊り出すことも、その群衆を「その他大勢」のモブとして従えることもありません。 秋葉原、渋谷、東京駅、東京タワー、スカイツリー、そば店、カフェ、スーパー、親子が遊ぶ公園、都庁、路地裏の猫。雨の日、くもりの日、晴天の日。 映し出されるそれらの景色は、彼女たちのために演出された派手なステージではなく、あくまで日常の風景。コロナという災禍を等しく経験し、収束を願い今は「離れていよう」と思いながら過ごすあくまで一個人たちとして描かれているのが特徴です。 今立ち返る「国民的」グループの矜持今立ち返る「国民的」グループの矜持 AKBと大衆との距離を近づけた過去の活動のひとつに、2011年3月に発生した東日本大震災の被災地支援がありました。同年5月から現地訪問を開始し、その後も多忙な合間を縫って9年にわたる活動を継続しています。 国民全体が強い不安に包まれたコロナ禍のムードを、震災当時のそれと重ねる声が数多く聞かれた2020年。 AKBも当時と同じように「人々(国民)のために何ができるか」を考え同曲を発表したのであるならば、あの頃彼女たちが抱いていた矜持に今あらためて立ち返ろうとするメッセージと受け取ることもできるかもしれません。 「飽きた」と言われても日々は続く AKB48は国民的アイドルグループと言えるのか(言えたのか)? あるいは、「国民的」という呼称はどのような条件を満たしてこそふさわしいものなのか? 冒頭の問いをあらためて考えるとするならば、「国民的」とは、人気の頂点を極め、大衆の先を行くトレンドを作り出し、羨望のまなざしを一身に受けるポジションのことだけを指すわけでは決してないのではないかと、コロナ禍を体験した2020年の終わりだからこそ思わされます。 市井の人々と同じ地平に立ち、時代性という同じ“体感”と文脈の中で自分にできることを考え、黙々とこなす。それが、(少なくとも一度めの)全盛期をすでに過ぎた彼女たちが2020年に体現した、「国民的」グループのあり方でもあります。 彼女たちの活躍にもうしばらく期待したいと思う理由は、もうひとつあります。 エコやサステナブルといった言葉がキーワードとして盛んに使われるようになった近年でさえ、トレンドの入れ替わりはなおいっそう目まぐるしく、一度は世間を大いに彩ったタレントたちをもまた、時期を過ぎれば「飽きた」「オワコンだ」と冷笑的に見る向きはむしろ加速しているようにも思われます。 たとえ多くの人が飽きたとしても、本人たちの日々は続いていきます。そしてマイクを握り舞台に立つ以上、表現の場も続きます。 12月30日放送のレコ大で、彼女たちはどのようなパフォーマンスを見せてくれるのでしょうか。「国民的」グループがその矜持を果たすのは、これからこそが正念場なのかもしれません。
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