木に浮かぶ顔、殉教者のうめき声……昼に訪れたい都内「怪談スポット」を歴史からひも解く
怪談は、土地の隠された歴史を教えてくれる 皆さんは「心霊スポット」と聞くと、どのようなイメージを持たれますか? 若者たちがスリルたっぷりの恐怖を味わうために、夜中に肝だめしに訪れる……そんな印象が強いのではないでしょうか。 それはそれで結構ですが、「心霊(怪談)」と「スポット(場所)」との関係性は、それだけに終わるものではありません。怪談はときに、「その土地の隠された文化や歴史をひも解いてくれる」糸口となってくれるのです。 東京はまさに、そのような「心霊スポット」が随所にひしめいている都市です。東京の歴史を楽しめる「怪談スポット」を紹介していきましょう。 高級住宅街の片隅に残る、宣教師の情念・切支丹坂 まず足を運びたいのは、「切支丹坂(きりしたんざか)」(文京区小日向)。茗荷谷駅から上っていった高台に、ひっそりある坂です。 切支丹坂に作られた慰霊碑(画像:吉田悠軌) 坂の名前は江戸時代、禁制だったキリスト教徒(キリシタン)の宣教師らを収容する施設「切支丹屋敷」が設置されていたことに由来します。拷問による取り調べは過酷で、ここでキリスト教を捨てなければ、そのまま死を迎えることとなりました。そんな殉教者を偲んだ慰霊碑が、高級住宅街の片隅に今もひっそり残されています。 今でも夜になれば殉教者たちの悲鳴・苦痛の声が聞こえてくると噂され……。そんな由来からでしょうか、この辺りは明治時代から不気味な場所として有名でした。いわば心霊スポットの「老舗」ともいえるでしょう。 例えば夏目漱石は小説『琴のそら音』で、「なぜ切支丹坂と云うのか分らないが、この坂も名前に劣らぬ怪しい坂である」と記述。ちなみに漱石が描写しているのは現在の切支丹坂ではなく、すぐ近くの庚申坂のことですが、まあエリアとしてはほぼ同じです。 300年間眠っていた「最後の宣教師」の人骨 また近代「怪談」文学の元祖ともいえる岡本綺堂は、ここを『青蛙堂鬼談(せいあどうきだん)』の舞台に選びました。切支丹坂の屋敷へと集まった人々が、奇妙な怪談会を行うという連作小説で、江戸と明治の「怪談」を繋ぐような趣きを感じられます。 切支丹坂の様子(画像:吉田悠軌) 同地では、最近でも不思議な偶然が起きています。2014年、付近のマンションを建設中、イタリア人中年男性および日本人男女ふたりの白骨体が出土。それらの人骨は、屋敷に幽閉されていた「最後の宣教師」と言われるジョバンニ・シドッチと、密かに彼から洗礼を受けた老夫婦のものだと目されているのです。 シドッチが地下牢で亡くなったのは、1714(正徳4)年。つまりちょうど300年目になって遺骨が掘り起こされたというのだから、まことに因縁深い話ではないでしょうか。 『遠野物語』関係者がイチョウの木に見た女の顔『遠野物語』関係者がイチョウの木に見た女の顔・小日向神社 そんな切支丹坂のすぐそばにある「小日向神社」(同)。ここも明治時代、とある青年が心霊体験をしています。青年の名は佐々木喜善(きぜん)。あの柳田国男が『遠野物語』を記すにあたり、取材対象の話者となった人物です。 小日向神社と敷地内に立つイチョウの木(画像:吉田悠軌) 遠野出身の佐々木喜善が、かの地の伝承を柳田に教え、作られた『遠野物語』は日本民俗学のルーツとして有名です。しかし同時に、実録ものの恐怖体験が詰まった、近代怪談のルーツだとも考えられます。そんな佐々木喜善がある日、小日向神社にて奇妙な女の顔を目撃してしまうのです。 東北出身の純朴な青年というイメージの強い喜善ですが、実は恋愛沙汰で悩む文学青年でもありました。ある女性とのデート中、彼は神社のイチョウの木に「白く光った女の顔」を見てしまいます。その顔はどうも、喜善と女性の共通の知人のようでもあるのですが……。 当時の彼の日記を読むと、プレイボーイさながらの恋愛遍歴と、それに悩む様子が生々しく書かれています。「イチョウの木の顔」についても、なんだか裏にドロドロした人間関係が隠れていそうで、けっこう怖ろしい体験談なのです。今なお神社に残るイチョウの木を訪れ、『遠野物語』という怪談の語り部・佐々木喜善に、しばし想いをはせてみましょう。 錫杖を振って歩く「化け地蔵」とは……錫杖を振って歩く「化け地蔵」とは……・牛込城の地下道 ここから神田川を越え、南に下った場所には「牛込城」跡地が。現在は光照寺(新宿区袋町)というお寺の境内ですが、徳川家康の江戸入りより前、牛込氏が戦国時代に築いた城跡です。 光照寺の外観(画像:吉田悠軌) その前に今も残されている「地蔵坂」には奇妙な怪談がありました。日が暮れる頃になると、この坂に「化け地蔵」が現れ、錫杖(しゃくじょう)を振って歩き回るというのです。その正体は光照寺境内の「大穴」に住むタヌキで、寺に人間が多く寄り付かないよう、地蔵に化けて人々を驚かせていたらしいのです。 これだけならほのぼのした言い伝えですが、私はこれを別視点で考えています。実際は化けタヌキではなく、光照寺地下の「大穴」の秘密を守ろうとした人々が、人を寄せ付けないため怪談の噂を流したのではないかと……。 どうも牛込城には、秘密の地下道があったらしいのです。実際、明治末に光照寺で井戸工事を行った時、150メートル先の大久保通りまで続く横穴が発見されたとのことです。 怪談の裏に隠された歴史ロマン また1957(昭和32)年にも、近所に日本出版クラブ会館(同)の建築中、地下10メートル地点で大きく延びる横穴が見つかったのです。 日本出版クラブ会館の外観(画像:吉田悠軌) この一帯は、江戸時代のクーデター計画「慶安の変」首謀者の由比正雪にゆかりある場所です。もともとあった牛込城の地下道が、由比正雪(ゆい しょうせつ)によって江戸城まで続く秘密の地下ルートとなったのではないでしょうか。それが今でもアスファルトの下に埋まっているのではないか……。化け地蔵の怪談の裏に、そんな歴史ロマンが隠されているのではないかと想像するのも楽しいものです。 これらはほんの一例ですが、怪談はときに、「その土地の隠された文化や歴史をひも解いてくれる」ということがわかってもらえたと思います。 ぜひとも明るい昼間に、知的好奇心を満喫するための散歩として、都内「心霊スポット」巡りをしてはいかがでしょうか。
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