『鬼滅の刃』の聖地、台東区「浅草」が人々を引きつけてやまない根本理由
2020年12月12日
知る!TOKYOコロナ禍で観光客が激減も、アニメ『鬼滅の刃』の影響で再び注目を浴びる浅草。そんな同エリアの持つ魅力について、文教大学国際学部准教授の清水麻帆さんが解説します。
浅草の歴史文化の継承
歴史を感じられる街は数あれど、江戸時代からの風情や有形・無形の文化、人々の気質などが現在に継承されている代表といえば浅草ではないでしょうか。
浅草は江戸時代にはすでに参詣、行楽、歓楽といったエンターテインメントを楽しむ象徴的な街で、多くの人々が集まる一大歓楽街でした。
実際、当時は日本最初の遊園地である浅草花やしき(台東区浅草2)や映画館、劇場、花街、芝居小屋、食事処など多くの芸能・文化が集積。それらの一部は浅草の人々によって継承され、今日の浅草文化を構築しています。そうした街並みや風情が人々を魅了しているのです。
コロナ渦なかで興行収入の歴代1位に迫りつつある『鬼滅の刃』でも、アニメ版の第7回や8回では凌雲閣(りょううんかく)や仲見世(みせ)などが描かれており、大正時代の浅草が舞台になっています。

主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)は、多くの人が行き交い、夜でも明るくにぎわう浅草の発展ぶりに驚きつつも、人の多さに疲れ果てます。こうしたマンガやアニメ、小説などのコンテンツでも浅草のにぎわいがよく描かれています。
コロナ前の訪問者は年間約3000万人
浅草といえば浅草寺(同)ですが、寺伝によると約1400年以上の歴史があり、コロナ前には年間約3000万人の人が訪れていました。
浅草寺が全国に知れ渡るようになったのは、室町時代から安土桃山時代にかけて、名だたる武将たちの祈願所として定められたことに始まったといわれています。そして、その後の長期政権である江戸幕府からも祈願所とされ、現在に至っています。
また食文化に関しても、江戸時代から続く老舗の食事処が残っています。
例えば1801(享和元)年に創業された土壌鍋の店・駒形どぜう(台東区駒形1)、江戸銘菓の「雷おこし」が人気の常盤堂(浅草3)、1837(天保8)年創業で日本最古といわれる天ぷら屋・三定(浅草1)、1800年代前半に創業されたといわれる鰻駒形前川(駒形2)、1854(安政元)年創業の栗ぜんざいが有名な甘味処・梅園(浅草1)、1880年創業のリキュール「デンキブラン」と洋食が味わえる神谷バー(同)など、ほかにも数多くあります。

なじみがない人もいるかもしれませんが、花街も浅草文化を彩っている文化のひとつです。
浅草花街は浅草寺の裏手、浅草3丁目から4丁目に位置し、江戸時代から続いています。大正時代の浅草の芸者数は1000人以上で、料理屋も50軒ほどありましたが、現在では20人程度に。そうしたなかで浅草花街の特徴は、現在はここにしか在籍していない男性の芸者「幇間(ほうかん)」が6人在籍していることでしょう。

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