インターネット普及に多大な貢献も 一瞬で消え去った「渋谷ビットバレー」の熱狂
「ビットバレー」とは何か 21世紀を迎える頃、正直なところIT産業は「海の物とも山の物ともつかない」イメージでした。しかし、今や日本に欠かせない産業へと進化しています。そんなIT産業の集積地として知られているのが、品川区の北部に位置する五反田で、「五反田バレー」とも呼ばれています。 命名の由来は、地域を流れる目黒川を渓谷に見立てて米シリコンバレーにちなんだものと「ビットバレー」に関係しています。 ビットバレーとは、IT産業の興隆期に関連ベンチャー企業が集まっていた渋谷区とその周辺の通称ですが、残念ながらこの名を使う人は今ではほとんどいません。 渋谷の様子(画像:写真AC) ムーブメントの始まりは1999(平成11)年3月頃。この前月に小池聡氏(現・ベジタリア代表)を始めとする当時の若手企業家が飲み会で集まったときだとされています。 この飲み会では、日本でITベンチャーへの起業支援の枠組みが遅れていることが話題となり、それをつくろうという機運が盛り上がったといいます。 こうしてビジネス交流を目的としたメーリングリストが始まり、現座では著名なエンジェル投資家として知られる松山大河氏などの人材が集まります。こうして当初30人程度だったメーリングリストは、瞬く間に1000人の規模に広がっていきました。 日銀総裁も参加したイベント日銀総裁も参加したイベント インターネット上でのさまざまな人的交流が当たり前となった現代とは、事情が異なります。当時ユーザーがまだ多くなかったメールを使い、顔を合わせたことのない人たちが1000人規模で交流していること自体が最先端だったのです。当然、このことは大きなニュースとなりました。 そして同年4月からは、「ビットスタイル」というメーリングリスト発の飲み会が開催されるようになります。「インターネット」「若手企業家」「渋谷」「異業種交流パーティー」というキーワードは耳目を引き、そこに集まる人脈を期待して、さまざまな起業家や投資家などが初回から100人も集まりました。こうして、ITベンチャーが集まる渋谷を指したビットバレーという言葉が広がっていきました。 ビットスタイルは、その勢いをさらに増していきます。毎月開催されていたビットスタイルには、当時の速水優(まさる)・日本銀行総裁や石原慎太郎・東京都知事まで参加するようになります。 2000年2月に六本木のクラブ「ヴェルファーレ」で開催されたときは、なんと約2000人が参加。加えて、ソフトバンク会長の孫正義氏がスイスで行われたダボス会議から帰国後に会場へ直行し、「ほかに方法がなかったので、3000万円でジェット機をチャーターして駆けつけました」と話し、喝采を浴びました(『週刊ダイヤモンド』2001年9月22日号)。 「ヴェルファーレ」の跡地(画像:(C)Google) しかし現実は「起業しやすい環境を日本に生み出す」という本来の理想から、次第に離れていきます。当時の日本では、ビットバレーがけん引したIT企業の伸長によってインターネット関連企業の株価の上昇が始まり、「インターネット・バブル」「ドットコム・バブル」と呼ばれました。 しかし多くの新興産業がそうであったように、優れた才能だけでなく、そうではない者たちも集まるという玉石混交の状態が生まれます。ビットバレーの生み出したブームは、まさにこの言葉がよく似合っていました。 「イマイチよくわからない」の連続「イマイチよくわからない」の連続 当時、「インターネットで金もうけをしたい」「取りあえず会社に勤めたくないので、インターネットで起業したい」という人たちが次から次へと現れました。世間一般ではインターネットに触っている人が増え始めた段階です。 そのため、渋谷に住所を置いて会社をつくり、社名に「ドットコム」と付けておけば、何かしらの仕事が来るといううわさもありました。 加えて、当時はナスダックやマザーズといった新興株式市場が注目されていた時代。何の仕事をしているのかイマイチよくわからない若手起業家が株式公開を叫べば、似たような素人投資家たちが真贋(しんがん)を見抜かないままに投資するという状況が生まれていました。 この頃の交流会では「(肩書がたくさんあるので)名刺を8枚も持っている」という起業家が「すごい」と持てはやされていました。今、冷静に考えると怪しさしかありません。 このような熱狂にあおられた政府は2000年にインターネット上の博覧会「インターネット博覧会(インパク)」を開催。110億円もの税金が投入されたものの、こちらもイマイチよくわからない結果となりました。 渋谷の様子(画像:写真AC) こうしてビットバレーの熱狂は一瞬で終わり、2000年12月に入ると再び景気は後退期に突入し、「IT不況」と呼ばれるようになります。 渋谷には今も多くのIT企業が本社を置いていますが、彼らはバブルに踊らされることなく、腰を据えてインターネットが一般に普及していくことを待ち、手堅いサービスを提供してきた企業といえるのです。
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