焼鳥の発祥地は秋葉原!?現在の焼鳥はゴミのリサイクルから生まれた

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焼鳥の発祥地は秋葉原!?現在の焼鳥はゴミのリサイクルから生まれた

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近代食文化研究会(食文化史研究家)

居酒屋の定番おつまみ、焼鳥。今から約120年前の秋葉原に、焼鳥の元祖とされる屋台がありました。時代錯誤のチョンマゲ姿をした親父が経営するその屋台の名は「ガラ萬」。ガラとは鳥肉店が捨てるゴミのこと。焼鳥の意外なルーツについて、焼鳥の歴史書『焼鳥の戦前史』を著した食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

焼鳥の発祥地は秋葉原!?

 1903(明治36)年4月16日の読売新聞朝刊記事「渡世のいろいろ (五)露店の焼鳥商」に、焼鳥の元祖とされる屋台が紹介されています。

 その屋台「ガラ萬」が存在した場所は神田仲町。現在でいうところの秋葉原駅前中央通りあたり。

旧神田仲町 現秋葉原駅前中央通り周辺 (画像:photoAC)



 新聞記事の挿絵には、焼鳥を焼くチョンマゲ姿の親父が描かれています。その親父が語るところによると、祖父の代から焼鳥屋台を営んでいるとのこと。

 “先ずガラ萬をもて嚆矢(こうし)と見るべく”。それほど昔から営業しているのならば、ガラ萬は焼鳥の元祖であろうと、記事では認定しています。

 当時の人々にとって屋台の焼鳥とは、最近現れた新種の食べ物。そこに3代続くと自称する古そうな屋台が現れたので、焼鳥の元祖ではないかと判断した訳です。

現在の東京においても、お祭りなどに焼鳥の屋台が出る(画像:近代食文化研究会)

ゴミのリサイクルから生まれた焼鳥

 ガラ萬という屋号の「ガラ」とは、鳥肉屋や鳥鍋を出す店から出る、骨や腸などのゴミ(ガラ)のことと思われます。その名のごとく、ガラ萬は捨てられていたニワトリの腸や、骨のたたき(つくね)を串焼きにして売る屋台でした。

  1897(明治30)年12月22日の読売新聞朝刊記事「歳暮の景色さまざま(十二)」 によると、鳥肉を扱う飲食店の「おとし」=ゴミを串に刺して焼く焼鳥屋が、「近頃大當(あた)りの大道商内(あきない)」、つまり路上の屋台商売として最近流行しているとあります。

 我々が現在食べている焼鳥は、ゴミのリサイクルから生まれた屋台の食べ物だったのです。

“併(しか)し軍鶏(しゃも)屋でも、臓物即ち血肝砂肝は客人が嗜好するから、焼鳥屋の鰻笊(うなぎざる)の中へ這入(はい)るのは、過半鳥の大腸のみである。”(『実業世界太平洋 1905年5号』所収の「職業案内 薄資本の商売(下)《燒鳥屋》 」)。

 血肝(レバー)、砂肝等の肉は鳥鍋の具として人気。焼鳥屋がもらいうけるゴミといえば、腸、骨、肺などが中心でした。

そもそも焼鳥とはなにか?

 鳥を焼く料理ならば、有史以前から存在したことでしょう。それこそ、人類が火を扱うようになった時点から、鳥を焼く料理はあったはずです。

 しかしながら、現在の我々が「焼鳥」と呼ぶ料理は、従来の鳥肉料理には存在しなかった以下のような特徴があります。

1.酒のつまみとしての性格が強い
2.一口大の鳥肉を串に刺して焼く
3.内臓肉(レバー、ハツ等)や骨(ナンコツ)など、正肉以外のメニューが豊富

 これらの焼鳥の特徴は、明治時代の東京で生まれた、ガラ萬のような屋台の焼鳥に由来するものです。

清水晴風『世渡風俗圖會』発行年不詳より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)

 これは明治時代の焼鳥屋台。このような屋台において、コップ酒とともに食べるのが原初の焼鳥の姿でした。

 ご覧のとおり屋台にはテーブルもカウンターもありません。コップ酒を置く場所がないので、片手には常にコップが握りしめられています。空いているもう片方の手のみで食べることができるように、肉を一口大に切り、串に刺して焼いたのです。

 焼鳥において内臓肉(レバー、ハツ等)や骨(ナンコツ)を提供しているのは、もともとがゴミのリサイクルから始まった商売であるため。

 腸や肺、骨を混ぜたつくねなどから始まった商売であるため、現在の焼鳥も正肉以外のメニューが豊富なのです。

食品偽装が常態化した焼鳥

 その後焼鳥が人気になると、 腸や骨などのゴミが品薄になり、価格も上昇します。

 読売新聞記事「渡世のいろいろ (五)露店の焼鳥商」では、焼鳥と称して牛肉や馬肉を焼いて売る食品偽装屋台が出現していると報じています。鶏肉の値段が高かったので、鶏肉より安かった牛肉や馬肉で食品偽装していたわけです。

 焼鳥の食品偽装に使われる肉は、大正時代以降豚の内臓肉が主流となっていきます。

 東京では明治時代末に浅草でラーメンなどの中華料理が普及。大正時代には東京中の蕎麦屋や西洋料理店で中華料理を出すようになりました。詳細については『身近過ぎて知らなかった! 東京のそば屋が「ラーメン」を出しているワケ』(https://urbanlife.tokyo/post/73078/)を参照してください。

 中華料理に使う肉といえば豚肉。1918(大正7)年には、屠畜から得られる牛肉が8,726,670斤、豚肉が12,486,241斤と、東京における豚肉の消費量が牛肉を上回るようになります(農商務大臣官房統計課 『第三十五次農商務統計表』 1919年刊 )。

 豚の正肉の消費が増大するにつれ、豚の内臓肉が豊富に出回るようになり、それが焼鳥の食品偽装に利用されるようになります。そしてあまりに食品偽装がまん延したために、東京における「焼鳥」とは、もっぱら豚の内臓串焼を意味するようになりました。

 今から30年ぐらい前、昭和時代の終わりまでの東京では、豚の内臓串焼を「焼鳥」といって売ることが当たり前だったのです。

焼鳥の変化:豚の内臓から鶏の正肉へ

 昭和の初めには「江戸政」(現在も営業)、「喜多八」といった、本物の鶏肉の焼鳥を出す高級店が出現するようになります。これらの高級店では、鶏肉の焼鳥を10銭、鶏肉のレバーの焼鳥を5銭という値段で提供していました。

 「豚の内臓の焼鳥」が1~2銭でしたから、今でいうと一串500~1,000円といったところでしょうか。当時の鶏肉は、和牛よりも高価な高級素材だったのです。

 1960年代に鶏肉の価格破壊が起こります。アメリカで開発された、少しの餌で早く育つニワトリの改良品種=通称ブロイラーの導入により、鶏肉は現在のように豚肉よりも安い肉となりました。 

 ブロイラーの普及につれ、焼鳥も現在のように鶏肉の使用が主流となります。一方、豚の内臓の「焼鳥」は改名され、「もつやき」「やきとん」と呼ばれるようになっていきました。

浜松町の老舗「秋田屋」のもつやき(画像:近代食文化研究会)

 この写真は創業1929(昭和4)年の老舗、浜松町にある「秋田屋」のもつやき。手前の串は豚のノドを骨ごと焼いた「ナンコツ」です。

 今でも東京の「焼鳥」の老舗では、このように豚の内臓串焼を提供しています。「豚の内臓の焼鳥」は100年以上の歴史を持つ、東京が誇るべき伝統食、郷土食なのです。

参考:『焼鳥の戦前史』

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