『美味しんぼ』でシェフが脱帽した「モツ煮込み」、実は150年以上の歴史を持つ東京の伝統料理だった

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『美味しんぼ』でシェフが脱帽した「モツ煮込み」、実は150年以上の歴史を持つ東京の伝統料理だった

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食文化史研究家

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東京の居酒屋の代表的料理、内臓肉の「煮込み」。実は150年前から存在する、東京の伝統的な郷土料理だったのです。しかも、馬の内臓肉の煮込みも戦前の東京の名物でした。『牛丼の戦前史』において煮込みと牛丼の歴史を明らかにした、食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

『美味しんぼ』でフランス人シェフを脱帽させた「煮込み」

 グルメ漫画『美味しんぼ』連載開始直後の第5話「料理人のプライド」で、フランス人の三ツ星レストランシェフが、日本人は牛の内臓を食べずに捨てると聞いて呆れます。

 “日本人は(中略)肉の食べ方がわかってませんね。一番おいしいのは内臓なのにそれを捨てるなんて。”

 それを聞いた主人公・山岡士郎は、月島の居酒屋にフランス人シェフを連れて行き、チューハイと「煮込み」をご馳走します。

「弁慶」の串煮込み(画像:近代食文化研究会)



 この写真は、東京三ノ輪の居酒屋「弁慶」の「串煮込み」。東京の居酒屋で、「何々の」という修飾がついてないただの「煮込み」といえば、内臓肉を醤油や味噌で煮込んだ料理を意味します。

 居酒屋の煮込みの味に感嘆したフランス人シェフは、それから毎日煮込みを食べ、日本人の内臓食文化を見直すようになった、というのが漫画のあらすじです。

浅草のホッピー通り

 浅草の伝法院西側に、「ホッピー通り」というストリートがあります。

ホッピー通り(画像:近代食文化研究会)

 昼間からホッピーを飲む人で混雑する飲兵衛の聖地。ズラリと並ぶ居酒屋の名物は、ホッピーと煮込みです。このストリート、別名「煮込み通り」ともいいます。

 この内臓肉の煮込みは、150年以上前から存在する東京の伝統食。記録に残る動物の内臓料理としてはかなり古い部類に入ります。

 古い資料ですと、坪井正五郎『工商技芸看板考』(1887年刊)に、明治維新の頃に富士山藤次郎という人が、品川で牛の煮込屋を開業したとあります。

 進斎年光『浮世繁昌穴さがし』(1871年刊)には、天秤棒で煮込みを売り歩く振り売りの姿が描かれています。

 これらの資料には煮込みの具体的な姿は描かれていません。煮込みの姿が明らかになるのは、1884年の服部誠一『東京新繁昌記初編』においてです。

 そこに描かれた煮込みは、「弁慶」のような串に刺さった煮込みでした。

150年前の煮込みと牛丼

 “露肆(だいどうみせ)を開ひて肉を賣(う)る者有り。烹籠(にこみ)と曰(い)ふ。”

 “竹串以(もっ)て肉を貫き。之を大鍋に投す。”
 
 “輓夫(くるまひき)鍋を囲んで而(しか)して之を喰ふ。”
 
 路上の煮込み屋はくるまひき=人力車夫を客としており、立ち食いできるように串にさして売っていました。煮込みはもともと、居酒屋のつまみではなく、労働者のエネルギー源だったのです。
 
 1886(明治19)年に初演を迎えた歌舞伎の演目「初霞空住吉(はつがすみそらもすみよし)」においては、貧乏な登場人物が“牛の煮込で丼飯か”と言います。煮込みは庶民のご飯の友ともなっていたのです。

 やがて煮込みは、丼飯の上にかけるようになり、屋台などで丼物として提供されるようになります。煮込みをかけた丼物は「かけ」「ぶっかけ」「牛めし」と呼ばれていました。

 本郷に牛めし元祖を名乗る店がありました。1897(明治30)年頃、野口英世が通っていたその店においても、丼飯の上にかける肉は内臓肉の煮込みでした。

>>関連記事:野口英世が通った東京一の牛丼屋。その意外な具材とは?

 やがて牛めしの肉は内臓肉からすじ肉へ変化し、そして正肉となって現在の牛丼へと変化しますが、煮込みの聖地・浅草には、昔ながらの牛めしを出す店がいくつかあります。

 そのような店の一つが、煮込みが名物の「正ちゃん」です。正ちゃんでは明治時代末から昭和初期まで主流だった、すじ肉の牛めしを提供しています。

「正ちゃん」のすじ肉の牛めし(画像:近代食文化研究会)

東京名物だった「馬の煮込み」

 こちらは御徒町の居酒屋、「大統領」の煮込み。現在では珍しくなりましたが、かつては東京の郷土料理であった馬の内臓肉の煮込みを提供している店です。

「大統領」の煮込み(画像:近代食文化研究会)

 『食道楽』(1935年7月号)掲載の中村蓉一「ルンペン食味 かけとにこみ」によると、当時の東京市内ではいたるところで馬の内臓肉の煮込みが食べられていたそうです。

 “現在は市内到る處(ところ)にあり、殊(こと)に深川城東等下町に多い。前記二長町は最も古く、門前仲町これに次ぎ、共に現在四、五軒のにこみ屋がある。大きい鍋へ串差の馬の臓物を味噌で煮込んである。其を長い竹箸で好みのものをとつてたべるのだ。” 

 意外に思われるかもしれませんが、戦前の東京は日本の中で最も多く馬肉を食べていた都市でした。明治時代末の馬の屠畜頭数は、馬肉料理の伝統がある長野県の二倍。人口あたりにしても、長野県と同等の馬肉を消費していたのです。

 馬肉は主に、東京の郷土料理である馬肉のすき焼き、通称「桜鍋」に利用されていました。

 そしてその内臓肉は煮込みとして売られていたのです。

>>関連記事:吉原の馬肉店は24時間営業だった!なぜ桜鍋(馬肉のすき焼き)は深川と吉原の名物なのか

古今亭志ん生の電気ブランの飲み方

 牛の内臓肉の煮込みが牛めし/牛丼になったように、馬の内臓肉の煮込みも馬丼として庶民に普及していました。

神谷バーの電気ブラン(画像:近代食文化研究会)

 浅草には「地酒」があります。神谷バーのカクテル・電気ブランです。アルコール度が高いこの電気ブランを、どうやって胃腸を痛めずに飲むのか。その飲み方を、酒飲みで知られた落語家・五代目古今亭志ん生が指南しています。それは水だけでなく馬丼もチェイサーにするというものでした。

 “だから、呑みかたてえのがむずかしい。途中でうっかり、タバコなんぞ喫おうものなら、火ィ呼んで爆発するてえくらい。どうするのかてえと、牛どん……馬肉屋だから馬どんてんでしょうが、そいつを三銭で取っておいて、別にドンブリに水もらっておく。”

 “ブランをクーッとやって、大急ぎで水を半分ギューと呑んで、馬どんをサーッとかっ込んで、また水をキューッと流し込むんですよ。腹ン中で、そいつがうまく混ざって、しばらくたつてえと、ポーッとしてくる。”(古今亭志ん生『びんぼう自慢』ちくま文庫2005年刊)

>>関連記事:サントリーがお手本にした! 日本最古のバー「神谷バー」の創業者とは

参考
『牛丼の戦前史』

弁慶
所在地:東京都荒川区南千住1-15-16
TEL:03-3806-1096
営業時間:平日15:00~22:00/土日14:30~22:00
定休日:水曜
アクセス:都電三ノ輪橋駅より徒歩2分
東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅より徒歩5分

正ちゃん
所在地:東京都台東区浅草2-7-13
TEL:03-3841-3673
営業時間:12:00~21:00
定休日:月曜・火曜
アクセス:つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩2分
東京メトロ銀座線・都営浅草線・東武伊勢崎線 浅草駅より徒歩7分
東京メトロ銀座線 田原町駅より徒歩8分

大統領
所在地:東京都台東区上野6-10-14
TEL:03-3832-5622
営業時間:10:00~24:00
アクセス:JR上野駅不忍口より徒歩3分
京成上野駅より徒歩2分

神谷バー
所在地:東京都台東区浅草1-1-1 1~3F
TEL:03-3841-5400
営業時間:11:00~21:00(L.O.20:30)
定休日:火曜(祝日の場合は翌日休)
アクセス:地下鉄銀座線 浅草駅よりすぐ
都営地下鉄浅草線 浅草駅より徒歩1~2分
東武本線・伊勢崎線 浅草駅より徒歩1~2分
つくばエクスプレス浅草駅より徒歩約10分

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