90年代の秋葉原ファンは全員思い出す? 不毛地帯なのは「食」だけじゃなかった!
2021年2月20日
知る!TOKYO1990年代の秋葉原が「食の不毛地帯」だったことは有名です。それと同時にトイレの不毛地帯でもあったことをご存じでしょうか。当時の様子をフリーライターの真砂町金助さんが解説します。
不毛地帯っぷりは「食」だけなかった
1990年代前半――。上京したばかりの筆者は当時、「生活に必要な家電は秋葉原で買うものだ」と思い、早速出掛けました。
現在秋葉原を歩くと、メイドのコスプレをした女性たちが路上でビラをよく配っていますが、当時はメイドカフェのような店はなく、その代わりにビラを配っていたのはバッタ屋(正規ルートを通さずに仕入れた物を安く売る商人)でした。
Windows95が1995(平成7)年に発売されて、パソコンがブームになり始めた頃、パソコンを買おうと訪れたのも秋葉原でした。そんな時代の秋葉原に欠けていたのは、「食」と「トイレ」です。食の不毛地帯っぷりは、漫画『孤独のグルメ』の17話「東京都千代田区秋葉原のカツサンド」でも描かれていて、わりと有名なため、今回はトイレについて書きます。

秋葉原は、とにかくトイレにたどり着くのが困難な街でした。1991年に家電量販店「シントク」が、当時の国内最大級となるオーディオビジュアル(AV)ソフト専門店をオープンさせて注目されました。なお、シントクは現在の「セガ秋葉原1号館」(千代田区外神田1)に本店がありました。
そんな時代の最先端を走っていた同店のフロア構成でも、
「各階にトイレを設置するなど、女性、ファミリーという秋葉原市場の新しいターゲットを顧客化できる設計としたのが特徴」(『流通サービス新聞』1991年8月30日付)
と書かれていることからも、他の店舗のトイレがいかに少なかったかがわかります。

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