高さはなんと1.6~1.7m! 港区「提灯殺しのガード」が低すぎるワケ

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高さはなんと1.6~1.7m! 港区「提灯殺しのガード」が低すぎるワケ

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内田宗治

フリーライター、地形散歩ライター、鉄道史探訪家

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鉄道ファンにおなじみの港区「提灯殺しのガード」。その歴史について、地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。

正式名称は「高輪橋架道橋下区道」

 山手・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅から田町駅方面へ約300mのところで線路をくぐっているのが、通称「提灯(ちょうちん)殺しのガード」です。

提灯殺しのガード。背の高い人は腰をかがめて約140m歩くことに。2022年1月撮影(画像:内田宗治)



 このガードは高さがなんと1.6~1.7m程度しかありません。正式名称は

「高輪橋架道橋下区道(たかなわばしかどうきょうしたくどう)」

といいますが、タクシーの屋根のあんどんがぶつかって壊れることが多発したため「提灯殺し」の異名が付けられました。もともとの長さは約230mあり、背の高い人は、延々と腰をかがめて歩かねばならず、通り抜けるのに覚悟がいるほどでした。

 2020年5月、このガードの西側半分の撤去工事が始まりました。西側半分の上は山手線や京浜東北線が走っていたのですが、線路が東側に切り替えられたため、線路跡は更地になり、ガードの撤去工事が容易になったためです。その前月からは車の通行が禁止されました。

 この頃、都内の珍スポットが無くなるということでテレビでもよく報道され、目にした人も多いのではないでしょうか。

日本最古の鉄道遺構も発見

 またこれに前後して、高輪ゲートウェイ駅付近で、鉄道史のうえで「大発見」がありました。約150年前の鉄道開業時に建設された線路築堤が次々と発掘されたのです。

 姿を現した区間は約800mにも及び、提灯殺しのガードをまたぐ部分も含まれます。まぎれもない日本最古の鉄道遺構で、2021年8月、「高輪築堤跡」として文化審議会から国の史跡指定の答申がされています。

仮設迂回路から見た高輪築堤の発掘現場。2021年6月撮影(画像:内田宗治)

 提灯殺しのガードは2022年1月現在、かつての東側半分にあたる区間が、人と自転車などに限って通行できます。高輪築堤に関しては一部保存されますが、多くの区間では再開発にともない姿を消してしまいます。

 高輪ゲートウェイ駅前は本格的建造物が存在せず、ガランとしていますが、数年後には複数の高層ビルをともなった街ができあがる予定なので、周辺の光景は一変することでしょう。提灯殺しのガード一帯は、月日とともに変貌していく東京を象徴するスポットのわけです。

東側半分の工事は未着手

 さて、提灯殺しのガードの歴史とこれからについて述べておきましょう。

 同ガードの西側半分はすでに取り壊され、地上に人と自転車用の仮設迂回(うかい)路が造られています。

提灯殺しのガードの東側入り口。上は東海道新幹線の高架橋。2022年1月撮影(画像:内田宗治)



 一方、東側半分(山手線や東海道線、東海道新幹線などの線路が上にある部分で約140m)は本格的工事が着手されておらず、背の高い人は前かがみで歩かざるをえないのは以前のままです。

なぜ低いガードが造られたのか

 そもそも、なぜこんなに低いガードが造られたのでしょうか。それは発掘された高輪築堤と関係があります。

 新橋~横浜間に日本で初めての鉄道を建設する際、現在の田町駅から品川駅付近まで、東京湾の沖合数十mの海のなかに線路を通すために盛り土をしたのが、高輪築堤です。当時の海岸線は現在の国道15号線付近で、例えば高輪ゲートウェイ駅の地は、当時でいえば沖合150~200mの海のなかにあたります。

高輪築堤を走る汽車。「高縄鉄道之図」月岡芳年・年延、明治4年(画像:内田宗治)

 線路をわざわざ海のなかに通したのは、高輪周辺に敷地をもつ兵部省が、鉄道より軍艦建造の方を先にするべきだとして、用地提供を拒否したためなどです。反対の中心メンバーは、西郷隆盛や黒田清隆(いずれも薩摩藩出身)でした。それで海中に線路を設けるしかないことになりました、

 江戸時代から一帯の海岸線には漁船などが係留されていました。海上の築堤は、漁船が東京湾へ出るのを遮ってしまうので、築堤を数か所途切れさせてそこに橋が架けられました。汽車は橋の上を通り船は橋をくぐります。高輪築堤では、そうした橋のひとつ第七橋梁橋台部が発掘されています。

 提灯殺しのガードのすぐ隣に並行して、水路が延びていました。今回の工事で暗渠(あんきょ。地下水路)とされるようですが、ガードの撤去が始まる前までは、この水路が金網越しに見え、小魚が泳いでいるのも確認できました。

 この水路は、線路築堤の陸側にあたる海岸線と東京湾とを結んでいたもので、その後海側の埋め立てが進み、水路も延びそれに並行して人が通る通路が造られたと推察されます。後に水路に並行して道路を造ったのが提灯殺しのガードです。高輪築堤は高さがさほどないので、その下の道路は背を低くせざるをえませんでした。

完成は2031年度

 現在提灯殺しのガードで始まっている工事は、高さも幅も十分にとった第二東西連絡道路として生まれ変わらせるものです。

 ガードの上は電車が頻繁に走るので、工事する時間帯が限られます。そのため工事に年月がかかり、歩道部分の完成が2026年度、車道部分を含めた完成は2031年度が予定されています。

提灯殺しのガード西側入り口への仮設迂回路。この迂回路を高輪築堤が横切っている。2022年1月撮影(画像:内田宗治)



 しばらくは「提灯殺し」だった姿(東側半分)を見ることができるだけでなく、仮設迂回路部分では、ほんの一部ですがフェンス越しに調査中などの高輪築堤の姿を見ることができます。

 変貌していく姿を追う楽しみも含めて、何度か訪れたい場所です。

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