東京都心に残された“昭和の廃線” 雑草生い茂る鉄路とタワマンのギャップに「エモい」「しびれる」

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東京都心に残された“昭和の廃線” 雑草生い茂る鉄路とタワマンのギャップに「エモい」「しびれる」

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アーバンライフ東京編集部

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あっと驚く衝撃の場面、感心させられる発見や豆知識、思わず涙を誘う感動の出来事……。SNS上では毎日、新鮮な話題がいくつも発信されています。そのなかから「東京」に関連するものを厳選してご紹介します。

昭和32年に建設、平成元年に廃線

 30年以上も前に役割を終えた廃線が、今も東京都心にそのまま残されていることをご存じでしょうか。2021年9月、ツイッターに投稿されたその廃線の写真がユーザーたちの間で大きな話題となりました。

 投稿したのは、中央区晴海エリアに在住し周辺の情報を定期的に投稿している、晴海地区情報さん(@harumichiku)。

「遊歩道に生まれ変わる晴海橋梁(旧晴海鉄道橋)です。廃橋らしい姿を見られるのは今だけですね」

というつぶやきとともにアップしたのは、江東区豊洲側から晴海方面を臨む「晴海橋梁」の1枚です。

再整備される橋梁、惜しむ声も

 赤く錆びた線路と、青々と生い茂る雑草、そして後方に建ち並ぶ高層ビル群は、昭和と現代が交差するような独特の空気をたたえています。右奥には、小さく写り込む東京タワーの登頂部も。

赤く錆びた鉄橋と生い茂る雑草、背後には高層ビルが建ち並ぶ晴海橋梁(画像:晴海地区情報さんのツイート)



 この写真に対してフォロワーたちからは、

「晴海にこんなエモいスポットがあるなんて!」
「痺(しび)れるこの姿」
「こういう廃橋っていいよねえ」
「コロナ終わったら見に行きたい」

と次々に反応が寄せられて、いいね の数は2021年9月26日(日)7時時点でおよそ2万件。

 また、遊歩道として再整備されることを初めて知ったユーザーも多かったようで、

「これは変わる前に行きたいな」
「このままの雰囲気が残せる遊歩道になれば良いですね」

と、変わりゆく廃線跡に名残惜しさをにじませるファンも見られました。

東京港の貨物輸送を支えた歴史的建造物

 晴海橋梁は長さ190.3m、幅3.8m。晴海・豊洲間に架かる旧臨港鉄道(晴海線)の鉄道橋です。

 東京都港湾局によると同橋は、臨港鉄道東京都専用線である晴海線の開設に伴い1957(昭和32)年に架設されました。

1974~1978年頃の晴海橋梁の航空写真(画像:地理院地図)



 戦後・昭和期を通して東京港の貨物輸送を担ってきましたが、モータリゼーションの進展や高速道路などの充実したことにより、1989(平成元)年の晴海線の廃止をもってその役割を終えました。

 その後長らく閉鎖されていた晴海橋梁ですが、2017年5月に都が策定した「海上公園ビジョン」において、「旧晴海鉄道橋の遊歩道化など、歴史的な土木構造物」を「ダイナミックな港の景観が楽しめるビューポイントとして活用」することが盛り込まれました。

「かつての港湾物流で大きな役割を果たしていた臨港鉄道の一部である旧晴海鉄道橋を補修・遊歩道化」することで、「東京港の歴史を伝える新たなランドマークとしての活用を図る」と、その狙いを説明しています。

 同局は、大規模地震の発生時の倒壊や落橋を防ぐための耐震補強工事にすでに着手しており、それらの補強工事を2022年度までに行い、2023年度以降に歩道橋の整備を行う予定。

 ツイッターに画像を投稿した晴海地区情報さんの言う通り、今の廃線の姿を見られるのは残りわずかな期間と言えそうです。

都心で遺構を見られるという奇跡

 晴海地区情報さんに、晴海橋梁や同エリアに対する思いなどについて話を聞きました。

――今回投稿した写真は、いつ撮影したものですか。

「撮影日は2021年9月22日(水)です」

――晴海地区の撮影や情報収集、発信は、いつからしているのでしょうか。

「2009(平成21)年夏に晴海に引っ越してきました。そのときから、変わりゆく晴海の景色を写真に残していこうと思い、撮影し続けています」

――晴海橋梁はいつ頃からウオッチしてきましたか。

「晴海橋梁も同じく2009年からウオッチしています。自宅から歩いて豊洲のららぽーとやスーパービバホームに買い物に行く際、いつも見ていました」

「晴海かいわいでは、タワーマンションなど新しい建築物を造るために古いものが次々に壊されていたので、晴海橋梁もすぐに撤去されるのだろうと(当時から)思っていました。正直、今日までよく残されてきたなという印象です」

――東京都心部にこのような廃線が残っていることは独特の趣を感じさせますね。

「このような雑草が生い茂った廃線跡は、地方へ行けば見られるのかもしれません。しかし、タワーマンションに囲まれ、遠くには東京タワーや東京スカイツリーが見える都心で、このような遺構が残されていることは奇跡的なことなんだあと感慨深いものがあります」

「橋の歴史的価値は残す」と都港湾局

――遊歩道として整備されることについては、どのような受け止めでしょうか。

「今回のツイートに対してはたくさんの方がコメントをくださいました。多くの方が(今の状態は)情緒があっていい、このままの状態で残せないものか、という反応でした。長い間、立入禁止のまま放置されたことで、偶然にこのような景色になったのだと思いますが、これが都心にあるからこそなおさら見ていて郷愁にかられるのでしょう」

「遊歩道に改修することは決定済みなのでしょうが、皆さんのコメントを読んでいて、私自身も今の状態を少しでも残してもらえたらなと思っています」

 都港湾局は、遊歩道の整備について「有識者などの意見を踏まえながら、橋の歴史的な価値を残しつつ、バリアフリーにも配慮した魅力的な歩道を整備」するとしています。

オリパラ開催に沸いた晴海地区

 2021年7~9月に開催された東京オリンピック・パラリンピックでは、晴海地区は選手村として活用され、街並みや風景が日々の報道でたびたび映し出されました。

――東京オリンピック・パラリンピック開催時の晴海地区はどのような雰囲気でしたか。

「期間中は世界中からたくさんのアスリートおよび関係者が晴海の選手村に滞在しました。皆さんご存じの通り、新型コロナウイルス感染拡大防止のため『バブル方式』が採られたため、選手村滞在者と地元住民との直接的な交流は残念ながら実現しませんでした」

「しかし、アスリートたちが乗るバスに手を振ったり、地元自治会が主催した『おもてなし清掃』に参加したりするなどして、私を含め地元の人々は選手村があったがゆえに東京2020大会の雰囲気を競技観戦とは異なる視点から楽しめたと思います」

「また、アスリートの人たちが選手村内で撮影した写真をインスタグラムなどSNSで積極的に発信してくれました。結果的に晴海という街の魅力が世界に発信されたと思います。いつかコロナ禍が収束したら、アスリートの皆さんや選手村でボランティアをされた方々には、晴海にまた来ていただきたいです」

東京を撮影し続ける意味とは

――最後に、晴海地区の魅力を教えてください。

「たくさんあると思います。タワーマンションが無計画に乱立したというわけではなく、計画的に街づくりが行われてきたと思います。海や運河に囲まれていて、水辺の魅力を生かした整備が行われています」

「緑に親しめる公園もたくさんあります。銀座に近い都心でありながら、緑と水辺に癒やされる湾岸エリアならではの住環境が晴海の魅力なのではないでしょうか」

――今回の投稿で、あらためてその魅力が広く伝わったとも思います。

「晴海橋梁については、ほかにも多くのユーザーがこれまでツイートしてきましたが、私のツイートはいつになく大きな反響を呼びました。それはアーチ型の鉄橋部分ではなくて、雑草が生い茂った線路の部分を強調したアングルだったからだと思われます。このアングルは珍しいはずです。もしかしたら地元の方も、晴海橋梁の魅力を再発見したかもしれませんね」

※ ※ ※

 少しずつ、常に変わりゆく東京の風景。晴海地区情報さんのように、今ある姿を記録にとどめておこうとその街並みにカメラを構える都民は決して少なくありません。

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