八王子になんと「養蚕農家」が1軒残っていた! 日本の近代化を支えた産業の今とは

蚕を育てて繭を取る養蚕農家――東京とは一見縁遠い存在に思われますが、実は八王子市に1軒残っているのをご存じでしょうか。編集者・ライターの小野和哉さんが当事者インタビューを行いました。


農家から神のように敬われた「お蚕さま」

「養蚕(ようさん)」と聞いてピンとくる人はそれほど多くないかもしれません。というより、ほとんど皆無といっていいでしょう。養蚕とは、文字通り蚕(かいこ)を育てて、繭(まゆ)を取ること。小さな卵からふ化した蚕は幾度かの脱皮を繰り返し、やがて糸を吐いて白い繭にすっぽりとくるまれます。煮出した繭から細い糸が1本1本と紡ぎだされ、生糸となり、それが縦に横にと編み込まれ、絹織物へと形を変えていきます。

東京で唯一の養蚕農家となった長田誠一さん(画像:小野和哉)



 2014年、群馬県富岡市の富岡製糸場が「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産に登録されたことは記憶に新しいかもしれません。明治時代における殖産興業政策の象徴ともいうべき、その施設。かつて生糸は日本の主要な輸出品目でした。明治初年には、生糸と蚕種(蚕の卵)が輸出総額の3分の2を占めていたといいます。

 日本の近代化を支えた一大産業であった養蚕も、1929(昭和4)年の世界恐慌で生糸が売れなくなり低迷、戦後に再び盛り返したものの、国産生糸が輸出品やナイロン製品に押され、昭和30年代以降は一気に衰退の道をたどっていきます。

 農家にとって養蚕は貴重な収入源であり、全国各地で蚕の飼育が盛んに行われました。掃き立て(かえした蚕に初めて餌になる桑を与える作業)から1か月半で繭となり、すぐに現金に換えられる蚕は、庶民から神様のような扱いを受け、「お蚕(こ)さま」として大切に育てられたのです。

 しかし養蚕農家の数は、ピーク時には全国で221戸(昭和4年)ありましたが、2018(平成30)年までに293件までに減少(農林水産省『新蚕業プロジェクト方針』2019年9月)。東京においても徐々に数を減らしていき、ついに2021年、八王子の1軒を残すのみとなりました。

人間の赤ん坊を育てるように世話

「まあ、まずはこれでも食ってください」

 畑のなかから現れた男性が、そういってカゴの中から収穫したばかりの青々としたきゅうりを差し出してくれました。男性の名前は長田誠一さん(50歳)。八王子市の北部に位置する加住町(かすみまち)で、東京で唯一となった養蚕農家を夫婦で営まれています。

1885(明治18)年に建てられた長田家の母屋(画像:小野和哉)



 筆者(小野和哉)が長田養蚕を訪れたのは2021年6月下旬、ちょうど繭の出荷が終わった直後でした。糸を吐く状態になるまで蚕を育てる条桑(じょうそう)小屋は、既に掃除や片付けがなされ閑散としています。

 現在、長田家では春蚕(ハルゴ)、晩秋蚕(バンシュウサン)の2回に分けて蚕を育てています。ハルゴ1回で育てる蚕の数はなんと3万頭にもなるのだそうです。蚕を育てている期間はそれぞれ1か月半ほど。それ以外の時期はというと、畑で野菜を育てています。

「いま育ててるのは、きゅうり、ナスに、トマトに、ジャガイモに、ショウガもやってます。あと里芋。芋系は多いですね」

 長田家では現在、卵から蚕を飼育していますが、昔は三令(蚕の幼虫の成長段階、五令のあとに熟蚕を迎えて繭となる)まで育った状態の蚕を仕入れて育てていたそうです。

「群馬の稚蚕場で育てた蚕を、各農協また養蚕農家が取りに行ってたのですが、これじゃ大変なので、稚蚕(ちさん。一令から三令までの蚕)を家でやるようになりました。今はね、高原社っていうところから卵を取り寄せて、ふ化から飼育しています。本を読んだり、ネットを見たり、その技術に関しては手探りでやってましたよ」

 卵からかえって12日程度は「稚蚕室」と呼ばれる10畳ほどのスペースで育てます。ストーブで小屋を27~28度に保ち、やかんでお湯を沸かして湿度も一定にします。

製糸工場に繭が出荷されるまでの過程

 三令まで育ち、眠(脱皮の準備)に入り、起きて四令になったら、条桑小屋の広いスペースに設置された「スーパー飼育台」に移し、朝から晩までひっきりなしに桑を与えていきます。桑の鮮度が繭の品質にも影響するので、収穫するタイミングにも気を遣います。

「朝5時に起きて、7時まで畑で桑取りをして、それからずっと桑を与え続けます。桑はすぐしおれてしまうので、夜露のついた状態で収穫するのが一番いい。だから、日が昇るまでに収穫して、しおれないようにビニールを張った暗い桑置き場に置いておきます。日が落ちてきた夕方5時くらいにまた桑取りを始めて、7時くらいまでやってまた桑を与えます。夕方の桑は夜露がついてないので、水でぬらして取っておきます」

 蚕が小さいうちは桑の与え方にも繊細の注意を払います。

「桑を持ってきて、ボーンと放るだけじゃダメなんですよ。離乳食と同じで、柔らかい上の方の桑をあげ、人間でいうと3時間おきの授乳くらい丁寧に面倒を見てあげます」

 蚕が糸を吐いて繭を作れる状態までに育ったら、いよいよ上蔟(じょうぞく。マブシに蚕を入れる作業)の作業です。

母屋の大棚につるされた回転マブシ(画像:長田養蚕)



「五令まで蚕を育てたら飼育台の蚕を“回転マブシ”(蚕が繭を作る升目状に仕切りのできたケース。蚕が上へ上へとはいあがる習性を利用して、効率的に升の中へ蚕を入れることができる)に移して、母屋の上にある大棚につるします。それが終わったら飼育台に残った枝やふんの掃除が待っています。枝とふんってすぐ臭くなるし、放っておくと小蝿もわきます。上蔟が終わった次の日が雨だとひどいもんです。だから、雨でもなんとかカッパを着て作業をして、2日がかりで片付けます」

 これが相当の重労働のようで、繭を出荷したときよりも、上蔟してふん尿の掃除が終わったときの方が「お蚕がひと段落」した感があるそうです。

 マブシに収まった蚕は糸を吐き始め、4~5日後には玉繭にすっぽりと覆われます。上蔟から10日で繭かき、つまり繭の収穫が行われます。けば取り機で表面のけばを取り除き、選繭(せんけん)の上、ようやく繭が製糸工場に出荷されていきます。

「この土地で何かできねえかなって」

 そもそも八王子は「桑都(そうと)」と言われるほど、かつては養蚕業や絹織物の盛んな地域でした。長田さんの住む加住町もまた、桑畑が多く、戦前には養蚕を主軸にして農家を営む家が多かったそうです。

 長田さんの家も明治時代、8代目当主の長田五右衛門の代から養蚕業を営んでいる代々の養蚕農家。最初は生糸商人からスタートし、その収入を元手に畑を増やし、桑を植えて養蚕を始めたそうです。誠一さんは12代目当主になります。

「19歳の時に、父親が亡くなってしまったんですよ。それまで養蚕に関してはちょこっと手伝ったくらいだったので、当時まだ健在だった90歳のおじいさんと母に教えてもらいながらなんとか続けてきました。ただ私も遊び盛りでしたからね。多摩大橋の河原に行ってサバゲー(サバイバルゲーム)をやってましたから(笑)。だから20代の頃は、(家業を)やってんだか、やってないんだか、まあサボりながら。ちゃんと本腰を入れるようになったのは28歳で結婚してからですね。で、結婚してすぐに子どもができた。それが2000(平成12)年のこと。おじいさんは喜びましたね。安心したのか、その3か月後に逝ってしまいました」

 人の手を煩わせない2月の農閑期に亡くなるという、いかにも農家らしい最期を遂げたものの、誠一さんたちには相続という大きな問題が残されました。

「おじいさんは(遺言を)書くような人じゃなかったのでね。父は9人兄弟とあって、相続の話し合いは大変でした。私は畑が欲しい、叔父叔母は畑を売って現金が欲しいと。でもね、これまでせっかく大事にしてたものをポーンと売って金にして、その金で遊んで暮らすってのは何か気持ちのなかでね、そりゃあいけねえことだろうと思って。先祖が踏みしめたこの土の上、それをまた自分で踏みしめて何かできねえかなと思ったんです」

長田家の畑(画像:長田養蚕)



 畑は減ったものの、なんとか先祖代々の養蚕業を守ることができた誠一さん。しかし、これまでと同じやり方では続かないということもわかっていました。

「カミさんといろいろ相談してね、私はパソコンはめっきりダメなんですけど、当時デスクトップ型のパソコンをドンと買って、八王子長田養蚕のホームページを立ち上げたり、あとは繭の売り方もいろいろと考えたりしましたね。今までは繭を農協に出荷して、目方(重さ)で金もうけをしてましたけど、違う形で商売をしてみようということで、農協の直売所でサナギを抜いた繭を美容品として売ってみたんですよ。それがいい感触だったので、現在は農協から引き上げて、東京都初の道の駅『道の駅八王子滝山』(2007年オープン)1本に絞っておいてもらっています」

新規就農のネックは「土地・道具・稼ぎ」

 なぜ東京の養蚕農家は1軒だけになってしまったのでしょうか。ひとつの要因として相続の問題があります。

「桑ってどこでも育つんですけど、八王子にはひらけた平地も多いので、広い桑畑もたくさん残ってたんですよ。でも、養蚕農家のじっちゃんって80~90歳の高齢者が多いんです。亡くなって相続するタイミングで、子どもたちが畑をやめて農地を転用してしまう。だいたいアパートを建てたり、家を建てたりですね」

 続けることは難しくても、新しく養蚕業を始めるという選択肢は? 最近では、東京でも新規就農者が少しずつ増えているという話も聞きます。

「養蚕って場所が必要なんですよ。桑を育てる畑です。人工飼料っていうのもあるんですけど、結局金がかかりますからね。桑畑も、周りに農薬を使う農家がないことが条件です。蚕は農薬のかかった桑を食べさせると、1発で死んでしまいます。うちもそれで半分死んでしまったことがありました。あとは道具。養蚕の道具がまた手に入らないんですよ。新しく作ってないし、部品もないのでメンテナンスも難しい。長野県の岡谷では使わなくなった道具を1か所に集めて養蚕をやりたい人に渡しているということをしているらしいですが、東京ではそんなことはしていないので、養蚕農家がやめたって話を聞いたらすぐに話を聞きに行って、譲ってもらうしかないでしょうね」

 このような課題を乗り越えて養蚕を始められたとしても、繭の単価も決して高くはないので、やはり養蚕だけで食べていくことは難しいと、誠一さんは話します。

撮影中、地元の子に「おさだっち!」と声をかけられる誠一さん。長年、近隣の小中学生たちに養蚕を教えてきたせいか、子どもたちからの支持は厚い(画像:小野和哉)



 仕事としてはほとんど消滅状態にある東京の養蚕業。しかし、文化としての継承活動は続けられています。例えば誠一さんは、2001(平成13)年から八王子市内の小学校を中心に、見学を受け入れたり、蚕の育て方を教えに行ったり、といった活動を続けられています。

「今日も1件、小学校の見学がありました。みなさん養蚕というものがわからないので、教えてほしいと言われたら、自分で行ける範囲なら行っています。子どもたちに養蚕体験として蚕を育ててもらうこともあるんですけど、最近は事前に授業の内容を保護者に理解していただくことが必要で、餌をやり忘れて蚕がひもじい思いをしていたら説教することもありますよ、お蚕は君たちが親になってきちんと育てなきゃいけなんだよって、と保護者会で説明しているんですけど、ゲストティーチャーは叱らないでくださいと、とある学校に言われて。いや子どもは叱らなきゃダメだろうって思うんですけどね。昔、年配者から『叱るは愛情、怒るは憎しみ。だから怒っちゃいけねよ。でもたくさん叱ってやれよ、愛情だから』って言われたんですけどね……。すみません教育論になっちゃいました(笑)」

「糸」が紡ぐ人の人との縁と命の循環

 長田養蚕では、よそから養蚕の道具を引き取ることもあります。最近では、多摩シルクライフ21研究会という、東京の養蚕農家の繭を買い上げ制作活動を行っている団体から道具を預かったそうです。他の養蚕農家の道具を受け継ぐことに、特別な思いがあると誠一さんは語ります。

「繭から出た繊維によりをかけて糸にすることを『紡ぐ』って言うんですけど、養蚕という仕事も同じですね。いろいろな縁を紡いで、人と人をつないでくれる。そう思いながら最近は、蚕を育てています」

長田家の目の前にある勝手神社内の「蚕神社」は長きにわたり加住町の養蚕を見守ってきた(画像:小野和哉)



 繭から出たカイコガは、わずか1週間ほどの間に交尾と産卵を行い、次の世代にバトンタッチを無事終えるやいなや、慌ただしくその一生を終えます。

連綿と命の循環を繰り返していく蚕という種は、どこか地域に根ざして淡々と生活を営んできた農家の姿にも重なります。東京という地で紡がれてきたこの営みが、また次の世代に受け継がれていくことを願ってやみません。

●参考文献
八王子市市史編集専門部会民俗部会 編『新八王子市史民俗調査報告書 第2集 八王子市東部地域 由木の民俗』(八王子市総合政策部市史編さん室)2013年
八王子市市史編集専門部会民俗部会 編『新八王子市史民俗調査報告書 第4集 八王子市北部地域 加住の民俗』(八王子市総合政策部市史編さん室)2015年
田中優子 編『手仕事の現在 多摩の織物をめぐって』(法政大学出版局)2007年
大館勝治,宮本八恵子 著『いまに伝える 農家のモノ・人の生活館』(柏書房)2004年


【地図】養蚕農家が1軒残る八王子市「加住町(かすみまち)」

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