八王子になんと「養蚕農家」が1軒残っていた! 日本の近代化を支えた産業の今とは

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八王子になんと「養蚕農家」が1軒残っていた! 日本の近代化を支えた産業の今とは

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小野和哉

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蚕を育てて繭を取る養蚕農家――東京とは一見縁遠い存在に思われますが、実は八王子市に1軒残っているのをご存じでしょうか。編集者・ライターの小野和哉さんが当事者インタビューを行いました。

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    赤枠のなかが、養蚕農家が1軒残る八王子市「加住町」(画像:(C)Google)
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    1906(明治39)年測図の現・八王子市加住町の様子(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)
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    条桑小屋には三つの「川」があり、奥行きは8間(1間は約180cm)。ここに飼育台を置いて育てる(画像:小野和哉)
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    卵(タネ屋)へ注文すると湿度が管理された箱で送られてくる(画像:小野和哉)
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    学校での飼育用に育ててている蚕、これで二令の状態(画像:小野和哉)
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    春の蚕は葉が柔らかく、繭の品質も高いのだとか(画像:小野和哉)
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    糸を吐く状態まで育った熟蚕(じゅくさん)という成長段階(画像:長田養蚕)
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    出荷の様子(画像:長田養蚕)
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    かつて八王子で生産された絹は「浜街道」と言われる絹の道を通り横浜港まで運ばれた(画像:小野和哉)
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    1885(明治18)年に建てられた長田家の母屋(画像:小野和哉)
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    繭を使った工作ができるキットも道の駅で販売されているそう(画像:長田養蚕)
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    高尾山からいただいてきたという養蚕守護の護符(画像:小野和哉)
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    東京で唯一の養蚕農家となった長田誠一さん(画像:小野和哉)
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    1885(明治18)年に建てられた長田家の母屋(画像:小野和哉)
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    母屋の大棚につるされた回転マブシ(画像:長田養蚕)
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    長田家の畑(画像:長田養蚕)
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    撮影中、地元の子に「おさだっち!」と声をかけられる誠一さん。長年、近隣の小中学生たちに養蚕を教えてきたせいか、子どもたちからの支持は厚い(画像:小野和哉)
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    長田家の目の前にある勝手神社内の「蚕神社」は長きにわたり加住町の養蚕を見守ってきた(画像:小野和哉)
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