「食べていけない」 東京の難関大学で“博士号”を取った女性が、いまも派遣社員を続ける現状

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「食べていけない」 東京の難関大学で“博士号”を取った女性が、いまも派遣社員を続ける現状

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越野すみれ

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博士号を取ったものの、大学の教員にはなれず企業への就職も難しい「ポスドク問題」。渦中にいる当事者は、どのようなことを経験し、何を感じているのでしょうか。現在、派遣社員として生計を立てる女性の話から、ポスドクの現状を考えます。

ポスドク女性がいま思うこと

 博士号を取ったものの、大学の教員にはなれず企業への就職も難しい「ポスドク問題」。時折り取りざたされはしますが社会の最優先課題としては扱われにくく、忘れられがちな問題でもあります。現在、派遣社員として生計を立てている女性の話から、ポスドクの現状について考えます。

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 沢田さん(仮名)は1973(昭和48)年生まれで48歳。2021年9月現在、派遣社員として東京都内の出版社で学習参考書の編集アシスタントをしています。今の会社は2年目。派遣法で3年の期間が定められているので、そろそろ次を見据えて動き出さねばなりません。

博士課程に進んでも就職が容易ではない「ポスドク問題」のイメージ(画像:写真AC)



 沢田さんはいわゆる「団塊ジュニア」で人口のボリュームゾーンに当たるため、50歳になっても派遣であれば仕事はあるだろうと派遣会社のキャリアカウンセリングで伝えられました。今の会社で契約社員にならないかという話も出ています。しかし、ボーナスや住宅手当をしっかり保障される正社員には届かないのが現実です。

 沢田さんは正社員として働いたことがありません。社会人となった最初からずっと派遣社員です。それには理由があります。

 彼女は大学院で人文系の研究をしており、博士号を取得したのちに大学の教員になりたいと考えていました。しかし、都合良くはいきませんでした。彼女に与えられたのは非常勤講師1コマだけで、これでは生活ができません。

 ふと周囲を見ると、同じ境遇の女性研究者は結婚しているか実家暮らしなのでした。一方で彼女は非常勤1コマで実家も遠くひとり暮らし。30を過ぎている身ですが、なんとかして食べていかねばなりません。

 ダメもとで派遣会社に登録してみたところ、知見を生かした予備校での教材作成の仕事に就くことができました。以来、ずっと派遣社員としてキャリアを積んできたといいます。

団塊ジュニア世代、地方から東京へ

 重要な仕事を任されることもあります。しかし、派遣はやはり派遣であって「キャリアを積んだ」と言えば世間の人は笑うだろう、と沢田さんは思っています。

 団塊ジュニアとして、大勢のライバルがひしめき、1点の差が合否を左右するという受験戦争をへて、沢田さんは西日本から東京の難関大学に現役入学しました。当時はまだバブルの余韻が残っており、県外でひとり暮らしをするための経済的なハードルも今ほどは高くありませんでした。

 もともと本を読むことや学ぶことが好きな沢田さんは、将来は研究者もいいなと考えていました。それが現実味を帯びてきたのは、先輩たちがバブル崩壊のあおりで就職活動に苦労するのを見てからです。

 女子の就職は「ゲジコ」でないと、と耳にしました。「現役・自宅・コネ」が成功の条件だと言われていたのです。残念ながら沢田さんには「現役」しかありません。そこで、親の理解もあって大学院への進学を決めました。しかし、大学院に入る際に1浪してしまいます。当時、大学院の定員は少なく、沢田さんの同級生たちにも浪人せざるを得なかった学生は何人かいました。

変化していく大学院のあり方

 一方で、1990年代には当時の文部省が主導し、大学院重点化政策が進められています。そのため「博士」学位の取得がそれまでよりハードルの低いものに。所定の単位を取得し、論文を提出すれば「課程博士」の学位が得られます。

 大学の教員になるためは教員免許は必要ないが、博士号は基礎ライセンスのようなもの。だから、沢田さんは研究に必要な資料代や学費を奨学金やアルバイトでまかないつつ、必死に取り組んだのです。

 しかし誤算もありました。研究はひとりでできるものではありますが、同じ研究室での上下関係や教授からの雑用などもこなさねばならなりません。そして、沢田さんはそうしたものを回避するのが苦手。

「いつも振り回されてしまっていました」

 それでも努力していれば良いことがあると、自分の選択を信じて努力を続けました。

変化していった目標とハードル

 2000年代に入ると異変が起こります。大学院のレベルに満たない学力の学生は、たとえ定員割れしていても受け入れないとしていた国立大学が、文部科学省の指導で定員いっぱいまで入学させるようになったのです。

 そのため、例えば他の大学を卒業して東京大学の大学院に進学するといった例もあります。彼らの最終学歴は「東大大学院」であり沢田さんより上。役職を得て、月々の助成金を受けることもあります。

「大学院に進学すれば」が「博士になれば」に変わり、やがて「博士論文を出版すれば」に変わりました。しかし、人文系の研究書は1冊1万円ほど。自費出版的な側面も強く、買取100冊が一般的です。要するに、100万円ないと本は出せないのです。それでもお金を出しさえすれば本を出してくれる出版社があるうちはよかったかもしれませんが、出版不況のあおりで専門書の出版社は廃業が相次いでいるのが現状です。

研究に明け暮れた大学院時代のイメージ(画像:写真AC)



 課程博士になって、自分のこれからを考えたとき「とにかく働かねばならない」と沢田さんは考えました。研究室ではどれだけ学年が上がっても雑用は自分の担当でした。それは性別関係なく、性格なので仕方がないと割り切っていました。しかし、それは教授から自分への評価が“その程度”ということなのだろうと考えました。

 もっとも、雑用をこなすために事務的な技術を身につけていたので、派遣で働くようになった現在は皮肉にも役立つスキルもあると言います。

ニュースになったポスドク問題

 数年前、派遣社員と非常勤講師として働くなか、同じような「ポスドク問題」「高学歴ワーキングプア」で苦しむ人を取り上げたニュースを見ました。共感し、思わず放送局にメールを送ったところ、取材依頼が入ります。

 二度、三度と断りましたが食い下がられ、「先方もお仕事だから」と受け入れました。しかし「ポスドクで収入がないので結婚できない」というストーリーが作られており、それに沿ってインタビューを受けなければなりませんでした。

 放送は見ませんでしたが、再編集されて特集化された番組を少しだけ見ました。自分の姿を珍しいもののように見ながらしゃべる評論家や大学教授を見ることが苦痛で、すぐにテレビを消したと沢田さんは言います。

 取材ディレクターから感想を求めるメールが来ましたが、返信はしませんでした。

リケジョにスポットが当たる裏で

 あれから何年かたって、大学はまた変容しています。実務家教員が増え、「特任」「特命」という肩書の有名人教員が増加。どのくらいがきちんと研究をして、大学の実務もこなしているのかは分かりません。

 かつて「団塊の世代の先生方がやめたら、ポストがたくさん空くから」と言われていましたが、いざそのときが来ると、世の中は「文学部不要論」に満ちていました。ネットには「文系は役に立たない」という書き込みがあふれました。「リケジョ」が脚光を浴び、理系のポスドクを救う動きも見られます。

「もちろんそれらが大切なのは分かりますが、文学や歴史も理解したうえでこそ、真にテクノロジーを発達させることができるのではないか」というのが沢田さんの考えです。「頭が硬いのです」と苦笑いしながら語ってくれました。

学歴の「院卒」を隠す理由

「博士になってよかったことを上げるのは難しい」と沢田さんは明かします。派遣先を変わるときの面接では、職歴を書いたキャリアシートのみが使われるので学歴のことには触れないようにしています。

就職・転職の際に記入する履歴書のイメージ(画像:写真AC)



「以前、よく知らないで『大学院に通っていました』と伝えたら『そんな大層な人はけっこうです』とお断りされたことがありました。院卒で派遣をしている知人もいますが、みんな共通して学歴のことは黙っています」

「もちろん院卒でも歓迎してくれる企業はありますから、そうしたところに行けばいいだけです。ただ、つらくないわけではないですよね。あるお笑い芸人の方が、いまいちブレークできない理由として『人見知り』『お酒が飲めない』『軍団に入らない』の三つを挙げていましたが、まさに私はこれでした」

「でも、きちんと研究しているだけで認めてもらえる場所もあるし、そうした人もいるんです。自分の立ち回りや見切りが甘かったんですね。でも、やっぱり釈然としない気持ちもあって」

大学という「都市」に揺られて

 いまはコロナ禍でほとんどの大学が部外者の立ち入りを禁じているし、沢田さんもリモートワーク中でほぼ自宅にいます。しかし、以前は早く仕事が終わった際に大学に立ち寄ることも多かったそうです。

 大学にはコンビニやカフェなんでもあり、その場所自体がひとつの都市のようなもの。いろんな大学へ行き、使える場合には図書館で新着の研究書をチェックし、最新の動向をキャッチアップ。また、大学のある街を歩いてみることで、都市のありようを俯瞰(ふかん)できるのが面白いといいます。

 大学は多くの場合、その街の中枢を担い、経済効果を及ぼしています。そしてその中に喜怒哀楽がある。そんなことを考えながら歩いたり本を読んだりすることで、かろうじて研究とつながっているように感じるのだそう。

 日本全国に多くいる「ポスドク」たち。あなたの街のどこかにもいるでしょう。この問題はいつ解決するのか。すでに非常勤講師のまま還暦を迎えた人も少なくありません。さまざまな社会問題解決が急がれる中、彼らにもいくらかの支援があればと考えます。

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