中野区民にとっての「中野サンプラザ」は、エジプト人にとってのピラミッドである【連載】記憶の路上を歩く(1)
2020年8月4日
ライフ中野駅新北口の駅前エリア整備にともなう再開発で、失われるかつての光景。そんななか、編集者の影山裕樹さんが中野で過ごした自身の青春を振り返りつつ、東京の「ローカル」について考えます。
東京は「ローカル」の根深い課題が潜む街
中野サンプラザ(以下、サンプラザ)の再開発のゆくえについては、中野区民として生まれ育った僕(影山裕樹。編集者、千十一編集室代表)自身にとって人ごとではありません。
コロナの影響もあるのか、「東京都中野区、中野サンプラザ再開発の事業者選定延期」(『日本経済新聞』2020年6月18日付)という記事が出ていました。サンプラザが本当になくなってしまうのか、いや、やっぱり残るのかどうかにやきもきする毎日です。
コロナによって僕たちの日常生活がどのように変わるのか、あるいは変わっていないのかについて先日「note」に書いた記事「コロナ後のローカリティはどうなっていくの?」(2020年4月14日付)が割と反響があったので、僕が考える東京の「ローカル」について、改めて説明したいと思います。

一般的に「ローカル」という言葉が語られるとき、観光や移住といった東京目線から「ローカル」(地方)が消費財として捉えられています。さらに地方に暮らす人の多くがマスメディアのイメージを内面化し、消費される側として振る舞いがちです。
もともと地縁の希薄な暮らしをしてきた、東京生まれ・東京育ちの人にはあまり実感がないかもしれません。ですが、大人になってまちづくりや全国各地の地域プロジェクトに関わるようになって、東京こそが「ローカル」の根深い課題が潜んでいる街と僕は感じるようになりました。
僕の「ローカル」の定義
僕が定義する「ローカル」とは、「ただ、そこに暮らしている」という意味です。

つまり原則として、「ローカル」に暮らしていない人はこの世に存在しないということになります。でもそれに気づいていない人が多い――つまり、中野区に暮らしているのに「東京」に暮らしていると思っているのです。
東京に暮らす人の多くは街の自治会に顔を出さず、お祭りにも参加しません。会社と家の往復だけ。たまの休みの日に、友達と遊びに繰り出すのが日常です。
彼らは、テレビで紹介されるおいしい飲食店や新しいショッピングモールを一視聴者として眺めるだけで、そこに本当に暮らしているという実感はないのかもしれません。
コンビニや駅などのインフラに頼りっぱなしで、地域コミュニティーに参加していないため、都市に暮らす人はみんな、コロナ以前からテレビやネットなどのメディア空間上で暮らしている、つまり「バーチャル人間」たちなのです。だからオンラインで遠隔の仕事をしても、違和感がそんなにない。
東京にも「ローカル」がある
結局、僕たちはマスメディアから流れてくる情報をうのみにして、「地元」を消費されるもの(= 客体)として眺める視点が染み付いてしまっています。
だから「ローカル」という言葉が使われるとき、「東京vs地方」という構図が前提とされるため、東京には「ローカル」がないというミスリードを犯してしまいます。

じゃあ、みんな一体どこで暮らしてるんでしょう? ずばり言うと、Twitter島、Instagram島、あるいはzoom飲み会島、Netflix島で暮らしてるのです。
そのため、この連載では自分の幼少期の記憶を振り返りながら、東京の「ローカル」がどのように消費され、消えたり残ったりしたのかを歩きながら考えてみたいと思います。
サンプラザは「小さなプライド」
僕は、中野区の江古田で生まれ育ちました。ちなみに練馬区にある江古田駅は「えこだ」、中野区の江古田は「えごた」と読みます。
中学高校は吉祥寺だったので、中野区の「えごた」から毎日バスに乗って中野駅北口に降り立ち、そこから中央線に乗って吉祥寺まで。
帰りは中野駅北口で降りて、中野サンモール商店街(以下、サンモール)を抜けて中野ブロードウェイに行き、エレベーターで3階まで上がって「裸のラリーズ」などマニアックなCDがいっぱいあるレコード屋や、サブカルの聖地として名高いタコシェ(中野区中野)で時間をつぶしていました。
あるいは、もうないのですが、サンモールの脇道にクラシックという喫茶店があって、そこでコーヒーを飲む。あるいは、いまは無き名画座の中野武蔵野館でインディペンデント系映画を見る。ある意味、90年代の中野を存分に味わって育ってきました。

サンモールの脇道を入ると飲食店が立ち並び、お店の移り変わりも激しく、こんなお店できたんだ、と思うこともあります。
でも悲しいのは、クラシックや中野武蔵野館がなくなること、そして何より、毎日必ず目に入ってくる、輝かしくそびえ立つ不思議な三角の建物であるサンプラザがなくなってしまうこと、その現状に対し何もできないことです。
いまは豊島区民なので、人ごとになっている部分もあります。でも中野で小学時代を過ごした人なら、誰でも社会科の教科書でサンプラザ周辺のことを学ぶと思います(今は違うかも?)。「なぜ三角なのか」というと、近隣に対し日光を遮らないように三角にしたという説があるそうです。
あるいは都庁の展望台に登ると、必ずサンプラザの位置を確認します。パネルにも「サンプラザ」と書いてあります。東京が誇るサンプラザ、みたいな小さなプライドを刺激してくれます。
ブロードウェイがなくなったら……
僕らにとって、サンプラザはエジプト人にとってのピラミッドに比肩する存在です。
サンプラザを擁する中野に暮らしているという、小さなプライド。かわいいものですが、東京で暮らすうえで、それぞれの小さな街に愛着を持てるかどうかって重要だと思います。もしかしたら、青森の人にとってのアスパム(青森市にある観光施設)に近いかなぁ。青森の人たち、もしアスパムなくなったらどうします?
もしサンプラザがなくなってしまったら? たぶんなくなることはないですが、ブロードウェイがなくなってしまったら? それは「中野」と言えるのでしょうか?

丸井中野本店の屋上遊園地ももうありません。これら「中野らしさ」がすべてなくなったら、果たしてそこで暮らしていくことの誇りや喜び、帰ってきたという安心感は残るのでしょうか? たぶん、「東京に暮らしている」という感覚しか残らないのではないでしょうか。
再開発で見慣れた風景が、どんどんなくなってしまう東京。幼少期に脳に染み付いた風景が、自分たちの手の届かないところでどんどん消えてしまう街に暮らすということ――。
東京はこの方向でいいのでしょうか? もちろん東京で暮らす人の多くは都外から移り住んできた人や観光客で、公共空間はみんなの場所だから、地元民のちっぽけなプライドなどお金にならないから、一考に値しないのかもしれません。
そんなわけで、この連載では中野サンプラザをスタート地点として、中央線から山手線、そして私鉄沿線へ。記憶の路上をめぐりながら、都市と「ローカル」について考えていきたいと思います。
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