歌姫ユーミンを生んだのは「港区のレストラン」だった? 2009年楽曲から昭和の東京を振り返る

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歌姫ユーミンを生んだのは「港区のレストラン」だった? 2009年楽曲から昭和の東京を振り返る

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鈴木啓之

音楽ライター、アーカイバー

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ユーミン2009年発表のアルバム『そしてもう一度夢見るだろう』。同作収録の「黄色いロールスロイス」を手掛かりに、音楽ライターの鈴木啓之さんが港区「キャンティ」、60年代の東京をひも解きます。

2009年発表のアルバムに収録

「銀座の恋の物語」「カナダからの手紙」「ロンリーチャップリン」……カラオケに欠かせない歌謡曲のジャンルのひとつに男女によるデュエットのナンバーがあります。

 それは誰もが口ずさめる大ヒット曲ばかりとは限りません。アルバムの一曲としてさりげなく収録されているようなデュエット・ソングも少なくないのです。

 例えば、昨今再評価の波が著しいシティポップで、村田和人と竹内まりやが歌った「Summer Vacation」(1984年)などは知る人ぞ知る夏の名曲。松田聖子の名盤『Candy』に収録されていた「真冬の恋人たち」では、ほんの少しですが杉真理が参加しての掛け合いがあったりします。

 比較的新しい松任谷由実のアルバムにもそんな一曲がありました。通算35枚目となる2009(平成21)年のアルバム『そしてもう一度夢見るだろう』に収録されていた「黄色いロールスロイス」です。

「黄色いロールスロイス」が収録された『そしてもう一度夢見るだろう』(画像:ユニバーサル ミュージックジャパン)



 トノヴァンこと加藤和彦との珍しいデュエット。ノリのいい前向きな内容であるにもかかわらず、アルバムリリースからわずか半年後に加藤が自らの人生に終止符を打ってしまったのはとても残念なことでしたが…。

港区・飯倉にある「キャンティ」

 加藤とユーミンの縁は実に深いものがありました。そもそも、ユーミンの夫でありプロデューサーの松任谷正隆は、慶応大生だった1971(昭和46)年に加藤和彦から誘われてミュージシャンデビューを果たしたのです。

 その後、細野晴臣らと結成したキャラメル・ママ(後のティン・パン・アレー)でキーボードを担当し、1973年にまだ荒井由実だったユーミンの最初のアルバム『ひこうき雲』のレコーディングに参加しました。松任谷夫妻が結婚したのが1976年、その翌年に加藤は作詞家・安井かずみと再婚します。

1973年発表の荒井由実『ひこうき雲』(画像:ユニバーサル ミュージックジャパン)

 この才能あふれるミュージシャンたちの名前が並ぶと連想されるのが、現在も盛業を続ける飯倉のレストラン「キャンティ」(港区麻布台)です。

 川添浩史・梶子夫妻が飯倉片町で1960年に開業した店は、当時の日本にはまだ珍しかった本格的なイタリアンレストラン。妻の梶子の発案で深夜営業もされたことから、映画監督や作家、デザイナーや写真家といった文化人や、タレント、音楽関係者など各界の著名人が集まる文化交流の場として大いににぎわったのです。

 タンタンと呼ばれて慕われた梶子夫人は店の一角にブティック「ベビードール」を擁し、グループサウンズや人気歌手の衣装デザインも手がけました。

エンタメ界の図式を変えた「キャンティ」

 キャンティの常連客は、

・石津謙介
・岡本太郎
・三島由紀夫
・黒澤明
・三船敏郎
・勝新太郎
・石原裕次郎
・團伊玖磨(だん いくま)
・黛敏郎
・武満徹
・小澤征爾
・篠山紀信
・立木義浩
・伊丹十三
・石坂浩二
・加賀まりこ
・かまやつひろし
・堺正章
・井上順
・沢田研二

など、実にそうそうたる顔ぶれ。マーロン・ブランドやフランク・シナトラといった、世界的な俳優や歌手たちも来日の際に訪れて会食を楽しんだそうです。沢田研二らグループサウンズのメンバーや、加賀まりこ、石坂浩二らは最も若手の部類。なかでも最年少のなじみ客がユーミンでした。

 当時の渡辺プロダクション副社長(現・名誉会長、グループ代表)の渡邊美佐も常連客のひとりだったことから渡辺プロ関係者も多く、そのなかには後にアルファレコードを創設する作曲家の村井邦彦もいました。

「キャンティ」の所在地(画像:(C)Google)



 中学生時代からキャンティに出入りして川添夫妻にかわいがられていたユーミンが、デビューへと導かれたのは村井との出会いがあったから。渡辺プロ50周年の際の記念曲がユーミンとクレージーキャッツのコラボで作られた意義もお分かりいただけるでしょう。

 加藤&安井夫妻もこよなく愛したキャンティがもしも存在しなかったら、エンターテインメント界の図式はかなり違うものになっていたはずです。

60年代の東京の夜を想起するユーミンの楽曲

 話を戻して「黄色いロールスロイス」は、ユーミンが詞をつける際に加藤の姿をイメージしたことから、デュエットのオファーに至ったのだといいます。加藤はボーカルのみならずアレンジも手がけました。

在りし日の加藤和彦。画像は2002年発表の『Memories 加藤和彦作品集』(画像:ユニバーサル ミュージックジャパン)

 歌詞に特定の地名は登場しませんが、思い浮かぶのは六本木や飯倉周辺の風景。近くに大使館やアメリカンクラブが点在することから外国人の姿も多く、かつてあったハンバーガーインや、六本木野獣会など、1960年代の東京ナイトの風景を感じるのです。

『そしてもう一度夢見るだろう』という収録アルバムのタイトルにも、そんなタイムスリップ的な思いが込められている気がしてなりません。

ユーミンは同名映画から影響を受けた?

 ちなみに『黄色いロールスロイス』という映画もありました。アメリカとイギリス合作によるしゃれたオムニバスコメディーで、レックス・ハリソンやアラン・ドロン、イングリット・バーグマンらが出演した1964年のオールスター作品。

映画『黄色いロールスロイス』(画像:ワーナー・ホーム・ビデオ)



 もしかすると、子どもの頃に見たゴージャスで楽しい映画のイメージを、ユーミンは曲に反映させたかったのではないか、などと勝手な妄想が広がります。

 間もなく加藤和彦の十三回忌、そして2022年は松任谷由実がデビュー50周年を迎えます。二度と実現することのないふたりのデュエットナンバーを聴きながら、光り瞬く東京をナイトドライビングしてみたくはなりませんか?

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