猥雑だが魅力満載 『全裸監督2』ロケ地に見る、90年代の古き良き渋谷・新宿とは

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猥雑だが魅力満載 『全裸監督2』ロケ地に見る、90年代の古き良き渋谷・新宿とは

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岩本信彦

フリーランスライター

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Netflixで配信され、シリーズ1に続いて人気の『全裸監督2』。そのロケ地と舞台となった90年代の東京の街について解説します。

舞台は90年代初頭の渋谷・新宿

 ビデオ・オン・デマンドは今や世界中に住む人々の生活の一部となっています。とりわけ、各サービスのオリジナル作品のクオリティーには目を見張ります。

 そんなVODで、特に日本国内で話題になった作品といえば、Netflixで配信された全裸監督でしょう。アダルトビデオ監督として名をはせた村西とおるの人生を基に作られた同作は、波乱万丈なストーリーが魅力です。

 1作目で非常に大きな話題を呼んだ『全裸監督』ですが、2021年6月に続編となる『全裸監督2』が配信されました。

 すでに見た人はわかるかもしれませんが、舞台の多くは

・渋谷
・新宿

を中心に展開されます。といっても今の渋谷・新宿ではなく、90年代初頭の渋谷・新宿です。

 本記事では、そんな全裸監督2で再現された90年代初頭の渋谷・新宿と、ドラマで使用されたロケ地について言及します。なおロケ地の写真に関しては、筆者が本編を鑑賞した上で確認したもので公式の発表ではありません。

バブルに湧いた日本

 全裸監督2が前作と大きく異なる点は、ロケでの撮影にこだわっていることです。前作ではセットを使用することが多かったのですが、続編となる全裸監督2ではロケ地での撮影がメインです。

 撮影許可はロケーション許諾を代行する会社を通すなど、いろいろと大変なケースが多く、人通りの多い新宿や渋谷は特に許可が下りないことで知られます。にもかかわらず、徹底的にロケ撮影にこだわった本作は、非常に見応えのあるリアルな作品に仕上がっています。

トウセン宇田川町町ビルの外観(画像:岩本信彦)



 画面に登場する渋谷・新宿は、当時を知る人からすれば、懐かしさを感じるでしょう。逆に幼くて当時の記憶がない人や、まだ生まれていなかった10代や20代前半の若者からすれば、見慣れた渋谷・新宿が異世界にさえ見えるかもしれません。

新たなカルチャーが生まれた90年代初頭の渋谷

 本編の最も特徴的な渋谷の撮影スポット、「サファイア映像」の事務所として登場したトウセン宇田川町ビル(渋谷区宇田川町)です。

 ハンバーグで有名な「ゴールドラッシュ」の本店が入っているので、立ち寄ったことがある人も多いでしょう。音楽が好きな人からの認知度が高い場所で、90年代のはじめには、今も残るライブハウス「チェルシーホテル」を筆頭に「SHIBUYA TAKE OFF 7」が入っていました。

 トウセン宇田川町ビルはある意味、渋谷のランドマーク的な存在で、多くのカルチャーが生み出されました。今も近寄りにくい雰囲気ですが、入り口には当時から所狭しとステッカーが貼られていました。

『全裸監督』の原作本(画像:徳間書店)



 少し全裸監督2のネタバレを含みますが、社長の川田と袂(たもと)を分かつ形で、村西は「サファイア映像」を去り、新たに「ダイヤモンド映像」を立ち上げます。

 新たな事務所として、同じ渋谷区内の代々木上原に事務所を構えるわけですが、こちらは打って変わり、高級住宅街にある洋館です。本編では女優たちがその洋館で一堂に会するシーンがありますが、今ほど世間にアダルトビデオが受け入れられていないこと考えると、異様な光景だったことが想像できます。

怪しい色香漂う90年代初頭の新宿

 90年代の新宿は現在よりもっと怪しく、近寄りがたい街でしたが、多くの人を引き付ける魅力がありました。ストーリーのなかで主に舞台となるのは歌舞伎町です。

 歌舞伎町といえば、今も昔も日本を代表する歓楽街ですが、全裸監督2で再現される90年代の歌舞伎町は今よりも危険な香りが漂っています。

歌舞伎町の様子(画像:(C)Google)

 90年代初頭の日本といえば、まだ好景気に沸いており、企業の時価総額ランキングを見ても上位を日本企業が独占していた時代にありました。

 筆者は当時まだ幼かったので歌舞伎町の具体的な様子を知りませんが、落とされる金額が桁違いであったことは想像できます。

 そんな歌舞伎町ですが、全裸監督2のストーリーのなかでもインパクトのあるシーンが撮影されたのが、2007(平成19)年建築のとあるビルで、当時の様子とは異なりますが、ビル内のクラブで起こる出来事を見ると、当時の歌舞伎町の危うさは十分に垣間見えるのではないでしょうか。

 続いて、新宿駅の東口と西口をつなぐ連絡通路です。

 本編では村西が露店を出している場所ですが、現在はトンネル内には旧青梅街道の宿場について紹介するイラストが描かれており、暗い雰囲気が軽減されています。路上ライブを行うミュージシャンを見かけることも多く、今も新宿らしさは健在です。

想像が街の見方を変える

 今でこそDMMやTENGAのような企業の登場で、「エロ」がオープンになってきましたが、当時のアダルト業界は規制も多く、娯楽として楽しむには背徳感がありました。

 それゆえに、アダルトへの人々の渇望も強烈なものでした。

東西連絡通路(画像:岩本信彦)



 そんな人々の欲望が渦巻くがゆえに、新宿・渋谷といった街も独特の輝きを放っていました。

 当時を経験していない世代からすると、映像を見てどんな時代だったのかを想像するしかありませんが、経験していないからこそ未知の世界にドキドキします。街の歴史を深く掘り下げてみると、街の見方もガラッと変わるでしょう。

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