震災から10年 石巻市出身31歳女性が大卒後も「江東区」に住み続ける納得の理由【連載】上京女子物語(2)
東京で暮らす人の、約半数は地方の出身。皆、どのような夢を描いて上京し、どんな毎日を過ごしているのでしょうか。あなたの隣にいるかもしれない「上京女子」たちの物語をたどります。2011年3月、運命を変えた出来事 在住する人のうち、約半数が地方の出身者だという街、東京。住み慣れた土地を離れて東京へ。そのとき、どんな想いが胸に去来し、そして東京にどのようにして居場所を作っていくのでしょうか。 上京してきた独身の女性に東京での物語についてお聞きします。 ※ ※ ※ 今回、お話を聞いたのは江東区に暮らすアカリさん(仮名)31歳。大学進学と同時に、宮城県石巻市から上京してきました。 「当時は海外に行っていて空いている、という親せきのマンションで暮らしていました。大学からは少し離れているんですが、おばあちゃんの親せきも近所にいて安心でしたね。江東区の木場という場所なんですが、あまり東京っぽくないな、という印象でした」 そんなアカリさんが大学3年生のときに大きな出来事が襲います。そう、東日本大震災。アカリさんの出身地である石巻市は大きな被害が出た町のひとつでもあります。 「実家は海寄りの場所にあったので、家は全部流されました。幸い、家族はみんな無事で、意外と元気に過ごしていたみたいです。母なんかは避難した山の上から自分の家が流されるのを見て、その迫力に圧倒された、と言っていました」 10日間も、家族の安否が分からず10日間も、家族の安否が分からず「震災のダメージは本当に人によると思う」とアカリさん。比較的、アカリさんの家族はポジティブに震災後も過ごせたのだそう。 「被災した人それぞれ、状況は違います。震災自体も恐ろしいものですが、震災のあとにもさまざまな苦しみがあるんです。それこそ、家のローンといったお金のこととか」 「うちはローンもなかったので、新しく家を建てるにしてもマイナスからのスタートではなかったのは救いだったんだと思います。あと、底抜けに明るい家族だった、というのも大きいかも」 2011年3月11日の東日本大震災は、アカリさん(仮名)とその家族にも大きな影響をもたらした(画像:写真AC) ひとり、故郷から離れた東京で暮らしていたアカリさん。約10日間、家族とは連絡が取れないままでした。大学生だったアカリさんの心を不安が覆い尽くしていきます。 「まず、親が生きているのかどうかわからない。まだ大学生で、もし両親が亡くなっていたらどうやって生きていけばいいんだろう、とそのあとの自分がどうなっていくのか想像ができませんでした。悲しいとかより、そのときは生きていくことに必死な10日間でしたね」 今も消えない震災の影響今も消えない震災の影響 とても明るいアカリさん。話をしているとポジティブな女性だということが分かります。しかし、震災の影響で、アカリさんは長く苦しんでいました。 「毎年2月、3月になると、頭痛に悩まされようになったんです。それで病院で診察を受けてみたら、お医者さんに『震災と関連しているんじゃないか』と言われて」 毎年2、3月になると、頭痛に悩まされるように。医師の診断を受けたところ、震災の関連を指摘された(画像:写真AC)「実は、震災のときのことを話せるようになったのはつい最近のことなんです。話をされた方も困るだろうし、話したことによって相手の態度が変わったことがあって、同じ経験するのが嫌だったから」 医師からは「僕が聞き役になるから、少しずつ話してみてください」という言葉をもらい、当時のことを少しずつ話すようになったアカリさん。 「話すことで、自分の気持ちを言語化し、整理できたのがよかったのかもしれません。消化することができた、というか。今は乗り切れたかな、という感じがします」 「当時、被災地にはいなかったけど、私のように苦しんでいる人は多いんじゃないかな。被災地から離れた場所に住んでいると、メンタルケアの対象にはならないし、支援もないので」 未曽有の大震災。その被害は、物が壊れた、流された、というだけではなくさまざまなところに及ぶのだということを私たちはもう少し理解しておかなければならないのかもしれません。 大きく変化した防災意識大きく変化した防災意識 多くの人が東日本大震災をきっかけに防災意識が高まったはず。アカリさんは東京にいながらして、震災を身近に感じている分、その意識がより強くなっています。 「リモートワークなのをいいことに、今は大きな揺れがあったら外に出るのを躊躇(ちゅうちょ)してしまいますね。避難経路がイメージできないところには行きたくないです」 震災直後は、スマホの充電器や、使い捨てコンタクトなど災害セットを自分でまとめたポーチがバッグの中に入っていないと心配だった時期もある、と言います。 東京でひとり暮らし。いざというとき頼れるのは自分自身だからこそ、防災アイテムは自宅に常備しておきたい(画像:写真AC) もちろん、家での備蓄も万全。 「水は箱で三つ程度は常備しています。当時、日用品で困ったものは1か月分はストックとして持つようにしています。あと、支援が遅れそうなものに関してもそうですね。生理用品やコンタクトレンズなどは多めに用意しています」 2021年に入ってから大きな地震が続いていることもあり、今一度、自宅の備蓄や防災グッズはひとり暮らしだからこそ、見直したほうがいいのかもしれません。 震災で人の優しさを知った震災で人の優しさを知った 実家が震災、さらに家族とは連絡が取れないという状況。心細さはなかったのでしょうか。 「震災のときに住んでいたマンションの両隣は顔見知りで、地震が起きたときも隣の年配のご夫婦が心配して尋ねてきてくれたんです。宮城出身だというのも知っていたから、気遣ってくれました」 木場は昔から住んでいる人が多く、町内のつながりもしっかりしているのだそう。アカリさんは大学卒業時に引っ越しもしていますが、今住んでいるのも木場です。 「木場っていい人が多いというイメージがあって。大きい公園があったり、住宅街があったり……朝と夜がちゃんと分かれている感じがするのも良いですね」 東京へ上京して12年。大変な出来事がたくさんありましたが、その中で自分の居場所を見つけつつあるアカリさん。アカリさんにとって、木場がこれからも愛せる場所でありますように。
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