世界的ブームを巻き起こした「数独」 あまりの人気にスペインでは「出生率低下」を不安視されていた!

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世界的ブームを巻き起こした「数独」 あまりの人気にスペインでは「出生率低下」を不安視されていた!

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金平奈津子

フリーライター

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数字パズル「数独」の名付け親・鍜治真起さんが8月10日、亡くなりました。ということで、今回は数独が世界的な人気を誇るまでの道のりをご紹介。フリーライターの金平奈津子さんが解説します。

世界でブームになった数独

 パズル制作会社「ニコリ」(中央区日本橋浜町)の前社長で、数字パズル「数独」の名付け親として知られる鍜治真起(かじ・まき)さんが8月10日(火)、69歳で亡くなりました。

数独(画像:写真AC)



 コロナ禍の現在、家のなかでひとりで遊べるとして改めて脚光を浴びているパズルゲームですが、そのなかでも数独は日本で生まれ、世界でブームになった「暇つぶし」です。

 そんな数独が広く知られるようになったのは、2005(平成17)年頃からでした。

 鍛冶さんがパズルに魅せられたのは、ブームよりはるか以前の1970年代後半から。印刷会社でサラリーマンをしていた頃、仕事仲間のイラストレーター・清水眞理さんからアメリカのパズル雑誌を見せられたのがきっかけでした。

発行部数1000部からのスタート

 日本には当時、パズル雑誌はひとつも存在していませんでした。かねてより雑誌をつくりたいと思っていた鍛冶さんは、清水さんとその姉の樹村めい子さんの3人で1980年に『パズル通信ニコリ』を創刊します。

「ニコリ」とは競馬が好きな鍛冶さんの発案で、イギリスのダービー馬が由来。「通信」と付けたのは、当時読んでいた雑誌『流行通信』にちなんでいます。

中央区日本橋浜町にある「ニコリ」(画像:(C)Google)

 当初の発行部数は1000部。パズルの制作も編集も、書店周りの営業もすべて未経験からのスタートでした。創刊号には鍛冶さんの考えた、こんなコピーが踊っていました。

「明日晴れれば、気も晴れる。パズル解ければ、心も解ける。今、街に出るパズルスピリッツ。パズル通信「ニコリ」。どうぞよろしく」

 今では雑誌やアプリなどで、大人から子どもまで楽しめるパズルが多数存在しています。しかし当時の市場はまだ小さく、子ども向けの迷路や間違い探しか、大人向けのクロスワードがある程度。そこで、一躍人気のパズルとなったのが数独でした。

数独本の誕生は1988年から

 数独の元ネタは「ナンバープレース」です。こちらも今では多くの愛好者がいるものの、当時の日本では未知のパズルでした。

 もともと18世紀にスイスで考案されたと言われるナンバープレースは、アメリカではパズル雑誌の定番でした。クロスワードと違って、英語がわからなくても誰でも解けるため、紹介すれば面白いだろうと鍛冶さんは思いつきます。

「ニコリ」のウェブサイト(画像:ニコリ)



 こうして「パズル通信ニコリ」に登場したナンバープレースですが、鍛冶さんはこのとき「数独」という名前を付けます。意味は「数字は独身に限る」というもの。「独身」とは1から9までの1ケタの数字を見立てた名称です。

 数独はたちまち人気となり、1988(昭和63)年にパズル本『数独1』を刊行、これもシリーズ化されます。

イギリスで大ブームに

 ただ人気とはいえ、あくまで日本国内の話。それが世界的なブームとなったのは2004(平成16)年でした。

 同年11月にイギリスの新聞『タイムズ』が数独を採用。きっかけとなったのは、香港在住のウェイン・グルードさん。グルードさんは、日本で偶然見かけた数独を『タイムズ』に売り込みました。

 当初はそんなに人気になるとは思われていなかったようですが、掲載から間もなく読者からの熱い反響の声が寄せられます。これを気に『タイムズ』は連日数独を掲載するようになります。グルードさん自身もその後、パズル制作者としてイギリスでパズル本を出版し、大人気となっています。

イギリスのロンドン市街(画像:写真AC)

 これを見たイギリスの新聞各紙では「Sudoku」が大ブームになります。『タイムズ』のライバル『ガーディアン』はニコリと契約を結び、自分たちこそ本家だとして、連載を開始。

 また『インディペンデント』もパズル制作者を見つけて連載を始めます。さらに『デイリー・テレグラフ』『ミラー』『サン』と、イギリスの新聞は高級紙からゴシップ紙まで、経済専門紙の『ファイナンシャルタイムズ』を除いた媒体がSudokuを毎日掲載するという空前のブームが到来します。

 その人気たるや、イギリスのテレビ局が2005年7月、Sudokuの実況中継番組を放送するほどでした。数独の実況中継とはどんな番組だったのか気になりますが、当時の資料によれば、ゲストに有名人やタレントを招き、賞金2万5000ポンドをかけてパズルに挑戦する視聴者参加型の番組だったそうです。

 現在の日本円換算で約300万円ですから、かなり気合の入った金額です。なお新聞各紙もパズルに賞金をかけることが当たり前になっており、人気を過熱させていました。

いつまでも古びない「暇つぶし」

 こうして、ブームはヨーロッパ全土まで波及していきます。

 2006年3月にはスペインの首都マドリードで「第1回スペインSudoku選手権」という催しも開かれ、鍛冶さんも招かれています。このとき、鍛冶さんは現地の新聞記者から

「数独のせいで、スペインの出生率が低くなったらどうするのか?」

と質問されたといいます。

 こうして数独は世界で楽しまれるパズルとなりオックスフォード英語辞典にもSudokuという単語が掲載されるようになりました。

パズル通信ニコリ別冊 数独通信Vol.41(画像:二コリ)



 数独の名付け親かつ仕掛け人として世界から称賛された鍛冶さんですが、その人物的魅力は常に自然体だったことにあります。ブームの最中の取材でも、鍛冶さんは「自分のニコリでの仕事は雑誌にコピーを書くだけ」と語っています。そのコピーは常にゆるく、ホッとするものでした。

「それはそうと、遊びすぎていませんか」(1993年3月37号)
「遊び上手は喜び上手」(1993年8月44号)
「方針?ヴィジョン?そんなもんなあい」(1999年7月87号)

 パズルの効果としてよく言われた脳のトレーニングや老化防止については「考えていない」と答え、座右の銘は「保留」、基本スタンスは「逃げる」と話していた鍛冶さん。

 そんな独特の人間的魅力こそが、数独をいつまでも古びない「暇つぶし」として成長させたのでしょう。

●参考文献
『出版ニュース』2005年8月21日号
『週刊朝日』2005年9月9日号
『週刊東洋経済』2006年7月15日号
『Gainer』2006年7月号

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