令和に息づく日本の伝統「江戸切子の指輪」が若者に人気のワケ
繊細な美しさが魅力の江戸切子「江戸切子」をご存じでしょうか。回転式の加工機を使ってガラスに文様(もんよう)を描き出す、職人の手作業で作り出される東京の伝統ガラス工芸です。その存在は知っていても、実際の品物は持っていない、という人も少なくないかもしれません。 この江戸切子の彫刻デザインを施した指輪やネックレスを渋谷区千駄ヶ谷のアクセサリーブランドが展開し、人気を集めています。作り手の思いを聞きました。 江戸切子の文様を施した指輪(画像:JAM HOME MADE) 江戸切子の発祥は1834(天保5)年、江戸屈指の商業地・江戸大伝馬町(現在の中央区)のビードロ屋、加賀屋久兵衛が金剛砂〈こんごうしゃ〉を用いてガラスの表面に彫刻したのが始まりとされています。 以降、明治から大正期にかけて切子(カット)技術は精度を高め、現在のデザインにつながる特長を確立しました。1985(昭和60)年に東京都の伝統工芸品産業に、2002(平成14)年には国の伝統的工芸品にも指定されています。 職人の数は年々減少 日本の職人技術らしい精緻さと美しさ、華やかさを兼ね備えたデザインは国内外で高い評価を受け、贈答品などとして長らく重宝されてきました。 一方で安価なガラスコップがいくらでも手に入る現代では、高級な江戸切子は庶民にとって、かつてより縁遠いものになりつつあります。歩を合わせるように職人の数もまた年々減少しているというのが現状です。 その状況に危機感を抱き、「誇るべき伝統をもっと身近なものにしたい」と考えたのが増井元紀さん。オリジナルのアクセサリーやジュエリー、革小物などを展開する「ジャム ホーム メイド(JAM HOME MADE)」(渋谷区千駄ヶ谷)のクリエーティブディレクターです。 きっかけは東日本大震災きっかけは東日本大震災 JAM HOME MADEの創設は1998(平成10)年。ブランド立ち上げ当初から増井さんは「日本の伝統技術を生かした商品を作りたい」と考え、さまざまな分野の職人を訪ね歩き、話を聞いてきたといいます。 江戸切子のアクセサリーをデザインした増井さん(2020年2月7日、遠藤綾乃撮影) その思いが形になるきっかけとなったのは、2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災でした。 利便性や速さ、安さが価値だった「ファスト消費」の潮流に、多くの人が立ち止まり、考えるひとつの契機となった大震災。 人と人とのつながりや自らのふるさと、古くからの伝承・伝統などに目を向ける人が増えるなか、時代の変化に導かれるように2014年、江戸切子の文様を宿したアクセサリーは誕生しました。 ストーリーのあるアクセサリーとは 協業を依頼したのは、1921(大正10)年創業「堀口硝子」の流れをくむ堀口切子(江戸川区松江)の職人たち。江戸切子に魅了され20代で入社した若い女性も携わっています。 指輪とネックレスに施されているデザインは「八角籠目文(はっかくかごめもん)」と呼ばれる、江戸切子を代表する文様です。細く繊細な幾本もの線で描き出される八角形には「幸せをかごみ、逃がさない」という意味が込められているといいます。 増井さんがデザインしたアクセサリーや小物が並ぶJAM HOME MADEの店内(2020年2月7日、遠藤綾乃撮影) 震災から9年近くが経過し、若い世代の価値観と江戸切子デザインのアクセサリーのコンセプトとは、今よりいっそう親密なものになっているようです。 JAM HOME MADEの店内で指輪を眺めていた20代の女性は、「ハイブランドのジュエリーよりも、ストーリーのあるもの、そして自分自身の思いを重ね合わせられるものの方に魅力を感じます。この指輪も、込められている意味を知って、すてきだなと思いました」と話していました。 残すべき日本の伝統技術 増井さんがアクセサリーの制作を続ける一番の理由は、「いつまでも残るものを作りたい」という思いから。「多くの製品が捨てられたり買い替えられたりするなかで、例えば結婚指輪は、棺おけの中まで持っていってもらえますから」。 残るもの、残すべきもの。その言葉には、指輪やネックレスといった形あるものだけでなく「日本の伝統技術」もまた含まれています。 増井さんがデザインしたアクセサリーや小物が並ぶJAM HOME MADEの店内(2020年2月7日、遠藤綾乃撮影) 江戸切子デザインのアクセサリーはいずれもシルバー製。指輪はそれぞれ2万4200円(税込み)で、銀色が13~21号の奇数サイズ展開、金色は7~13号で同じく奇数サイズ展開。ネックレスは各2万9700円(同)です。
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