会社員には手帳ブランドでおなじみ 日本初の経営コンサルが作った「産業能率大学」とはどのような大学なのか
2020年9月4日
ライフビジネス手帳「サンノー ダイアリー」ブランドで知られる産業能率大学。そんな同大を創立したのは起業コンサルティングの先駆者でした。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。
ビジネス手帳で有名
9月に入って、2021年の手帳が書店や文具店の店頭に並び始めました。
手帳の種類はさまざまですが、競争の激しいビジネス手帳を1979(昭和54)年から制作・販売しているのが産業能率大学(世田谷区等々力)から派生した株式会社産業能率大学出版部です。手帳は「Sanno Diary(サンノー ダイアリー)」のブランドで広く全国に知られています。
産業能率大学は自由が丘キャンパス(同)に本部と経営学部を、代官山キャンパス(目黒区青葉台)に大学院を、そして湘南キャンパス(伊勢原市上粕屋)に情報マネジメント学部を置いています。
そんな産業能率大学ですが、日本のビジネスの世界ではエポックメーキングな立ち位置にある大学です。
ところで、いち大学にすぎない同大がなぜビジネス手帳を手掛けているのでしょうか。その背景には、経営学者だった創始者の熱き理念がありました。
創始者は日本に近代的な経営概念を導入
産業能率大学の起源は、1925(大正14)年に設立された日本産業能率研究所までさかのぼります。
創始者の上野陽一は東京帝国大学で心理学を学び、アメリカ式の経営や管理方法を大正期の日本に初めて導入。日本初のマネジメント・コンサルタントとなった人物として知られています。

若い世代に経営や仕事管理を学ばせることが必要と感じた上野は戦時中の1942(昭和17)年、財団法人日本能率学校を立ち上げました。
同校は経済や経営の流れや思想を学ぶ場として、現在のビジネススクールの先駆けともいえる存在でした。
戦後、日本にアメリカのマネジメント思想が一気に導入されていったことを考えると、連合国軍総司令部(GHQ)の統治下であったとはいえ、上野陽一の先見の明(めい)は間違いではなかったと言えるでしょう。
1950(昭和25)年に短期大学、そして1979(昭和54)年に現在につながる四年制大学として開校。今でも経営学やマネジメントに特化した大学を貫いています。
産業能率大学は一般的な知名度は高くはありませんが、他の教育機関とは違った斬新なシステムを導入しています。
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