DaiGo発言を完全否定――渋沢栄一は「貧者の救済」こそ日本の発展につながると説いていた!

「ホームレスの命はどうでもいい」メンタリストのDaiGo氏の発言が世間の厳しい批判を受けています。しかし今から150年前、そのような考え方に敢然と立ち向かった民間人がいました。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


「貧困は自己責任」という意見は昔から

 メンタリストとして活動するDaiGoさんが、自身が開設するYouTubeチャンネルで「生活保護の人が生きててもボクは別に得しない」「犯罪者を殺すのと同じ」「ホームレスの命はどうでもいい」といった発言をして、批判を浴びています。

 DaiGoさんの発言は優生思想と呼ばれます。優生思想はナチス・ドイツが積極的に奨励していた危険思想です。しかしYouTubeなどで優生思想のような発言をするのはDaiGoさんが初めてではありません。内容に濃淡はありますが、これまでにも何人もの有名人が優生思想を口にし、「貧困は自己責任」という雰囲気をつくりあげてきました。

 そのたびに批判が巻き起こったわけですが、こうした貧困は自己責任という意見は今に始まったわけではありません。

 現在、NHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送されていますが、その主人公・渋沢栄一は500社以上もの企業を興しました。そのため、世間からは資本主義の父と呼ばれています。

渋沢栄一(画像:深谷市、日本経済新聞社)



 しかし、渋沢は医療・福祉・教育といった非営利団体を600以上も設立・支援しています。そのため、近年は「日本資本主義の父」ではなく、「社会事業家」「公益の人」と呼ばれるようになっています。

 渋沢は自身の分身ともいえる国立第一銀行の頭取を1916(大正5)年に辞任。以降、経済界から一定の距離を置き、非営利事業にまい進していきます。

 渋沢は引退後に取り組む非営利事業の目標として、「経済と道徳の一致」「資本と労働の調和」「細民救恤(きゅうじゅつ)手段の統一」の三つをあげています。特に、渋沢が重視していたのは、3番目の「細民救恤手段の統一」でした。

養育院を立ち上げた渋沢

 渋沢は1872(明治5)年から養育院という施設の院長を務めてきました。養育院とは、生活困窮者や難病、身寄りのない高齢者、親を失った幼児などの面倒を見る施設です。

 幕末期、徳川体制を支持する勢力と明治新政府を支持する勢力がぶつかり合い、日本各地で戦が起きました。そうした戦乱により親・兄弟を失った人々がいたのです。また、幕府が崩壊したことにより田畑を焼き尽くされたり家屋を失ったりした人もいます。

 そうした人たちが路上にあふれてしまったため、渋沢は養育院を立ち上げたのです。養育院では生活保護や自立支援、病気療養といったさまざまな困窮者の救済にあたりました。

2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のウェブサイト(画像:NHK)



 当時は明治維新後の混乱期だったこともあり、養育院に入所する人たちは後を絶ちませんでした。渋沢は入所者を受け入れるため、養育院を増設・拡張していきます。養育院を開設したばかりの頃、養育院は本郷にありました。拡張のために浅草、そして上野、神田、本所、大塚へと移転しました。

 大塚に移転してからは、分院も開設。大塚の本院と新設された分院は役割分担を明確にし、分院では主に非行少年の更生を受け持ちました。

「努力をしたくてもできない人たちもいる」

 その後、非行少年の社会復帰を手助けするために、井之頭公園内に井之頭学校を設立。当時の井之頭公園は御料地で、宮内省が所管する土地でした。庶民が軽々しく立ち入れるような場所ではありませんが、渋沢の非行少年を更生し、社会復帰させるための学校をつくりたいという気持ちが政府や皇室を動かしたのです。

現在の井の頭公園(画像:写真AC)

 渋沢は生活困窮者や身寄りのない高齢者、難病患者、非行少年を手厚く保護してきましたが、そうした渋沢の取り組みに反対を唱える政治家・実業家も少なくありませんでした。
 彼らは「自分の怠惰によって生活が困窮したのだから、公金を使って手助けする必要はない」と口をそろえたのです。

 渋沢はそうした意見に真っ向から反対します。渋沢は武蔵国の富農の家に生まれました。武士にひどい仕打ちを受けましたが、それなりに順風満帆に人生を歩んできました。もちろん、それは渋沢が努力した成果といえます。

 しかし渋沢は自分の努力をひけらかすことなく、

「努力をしたくてもできない境遇の人たちもいる」

と訴えました。そのうえで、

「そうした境遇を改善することで、社会に活躍できる人材が増える。それは国家にとっても好ましいことであり、経済界にとってもプラスになる」

と財界を説得していったのです。

 また、さらなる経済発展には「富の再分配こそが必要」とまで渋沢は断言しています。昨今、格差社会が大きな影を落とし、富の再分配を訴える人も増えてきました。

 その一方で、貧困層に再分配することを無駄と断じる富裕層もいます。そうした再分配を嫌悪する富裕層に通底しているのは、「自分が納めた多額の税金を、なぜ貧困者に使われなければならないのか?」という不満です。

今こそ渋沢栄一に学ぶときだ

 今回のDaiGoさんの発言にもそうした意図が読み取れるわけですが、渋沢は約150年前から、「富の再分配」を提唱し、格差の解消を目指していたのです。

 渋沢には

「日本が一等国となるためには生産力を上げなければならない。そのためには、優秀な人材をひとりでも多く育てなければならない」

という考え方がありました。

 つまり、優秀な人材は自分たちで育てるということです。だから渋沢は生活困窮者を救い、そして学校で学ばせたのです。

 渋沢は実業家だったので、設立・支援した学校として東京高等商業学校(現・一橋大学)がクローズアップされやすいのですが、そのほかにも日本女子大学校(現・日本女子大学)や早稲田大学、二松学舎(現・二松学舎大学)、工手学校(現・工学院大学)など、渋沢は多分野で活躍する人材を育てようとしていました。たくさんの学校を設立することで、たくさんの子弟に教育の機会を設けたのです。

 また、障害者教育にも力を入れました。日本で遅れていた知的障害者の教育は石井亮一・筆子夫妻が立ち上げた滝乃川学園から始まっています。石井夫妻に共鳴した渋沢は、滝乃川学園の運営をサポート。また、社会へ出てから活躍できるようにはり・マッサージなどの技術を習得する訓練も取り入れました。

国立市にある滝乃川学園(画像:(C)Google)



 優秀な人材だけを選別して育てることは、一見すると効率的と感じるかもしれません。しかし、人には向き不向きがあり、それに優劣をつけることはできないからです。

 2020年から感染拡大した新型コロナウイルスによって、生活が立ち行かなくなっている人も多いことでしょう。そうした境遇の人たちを無駄と切り捨ててしまえば、社会はいつまでたっても前に進みません。

 渋沢は政財界を説得するために、経済発展のためという名目を掲げました。大河ドラマ「青天を衝け」が放送されている今、生活困窮者・高齢者・難病患者・非行少年といった人たちの救済について考える必要がありそうです。


【画像】渋沢栄一が愛した「山高帽」

画像ギャラリー

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