漫画『3月のライオン』の舞台! 美しい橋から見る「佃・月島」エリアの魅力とは

漫画『3月のライオン』に登場し、若者からも注目を浴びる中央区佃・月島。同エリアにかかるふたつの「橋」を通して、その魅力についてフリーライターの有馬里美さんが解説します。

舞台は中央区佃・月島エリア

 東京都中央区にある佃・月島は、隅田川が東京湾に流れ込む河口にあり、周囲をぐるりと川と海に囲まれた地域です。佃が北側、月島がその南に位置し、下町の昔懐かしい趣が残る町並みとして観光客を集めています。エリア周辺は高層ビルが林立しており、レトロ感ある町並みと周囲の都会的なビルのコントラストも印象的です。

 このエリアは、羽海野チカ原作の漫画『3月のライオン』の主要な舞台として登場し、多くのファンが訪れています。高校生プロ棋士で孤独な境遇の主人公・桐山零を受け入れ、癒やしてくれる川本三姉妹が住むのが、佃の町をモデルとする三月町です。

中央区佃にある佃小橋(画像:写真AC)



 作品内では、中央大橋や佃小橋などの橋が地域のランドマークとして何度も登場。コミックス1巻表紙の背景にも中央大橋が描かれています。主人公が自宅のある新川(作品内では六月町)から佃(作品内では三月町)にある川本家に向かう際に通るのが、中央大橋と佃小橋のふたつの橋です。主人公の家と川本家というふたつの異なる世界をつなぐのがふたつの「橋」であり、作品内で重要な意味を持つモチーフと言えます。

 今回は『3月のライオン』に登場する佃・月島エリアを、橋に焦点をあててその特色や訪れるべき味わい深いスポットをご紹介します。

なぜ佃・月島エリアは橋が印象的なのか

 作品を見た人や実際に地域を訪れた人はご存じかもしれませんが、佃・月島エリアは橋が風景のランドマークとなっています。

 なぜ橋が風景のなかで強調されるのかと言うと、この地域が隅田川と東京湾に周囲を囲まれた島のような土地になっているためです。もともと、この一帯は寄洲(よりす、河口や海岸などに、土砂が風波で吹き寄せられてできた州)をもとにして江戸時代から造成を重ねられてきた埋め立て地でした。

 この地域は、佃島や石川島、月島、新佃島などいくつかの造成年代の異なる埋め立て地が複数寄り集まって構成されています(小田夏美「新佃島研究―東京湾フロンティアの伝統と近代ー」、2014)

 佃島は江戸時代初期に大阪の佃村出身の漁師たちが隅田川の河口にあった寄洲を造成して築いた土地が発祥で、昭和の初め頃まで漁師町として栄えてきました。下町の風情が残っているのはその名残と言えます。

『3月のライオン』第1巻(画像:白泉社)



 月島は佃島より造成された時代が新しく、明治中期にできた土地です。対岸にある築地との間に渡し舟が往来し、そこから商いが発展、商店街が生まれました。

 埋め立てでできた島々から構成される地域のため、橋があちこちに架かるようになったのです。見晴らしの良い河口や海に面し、風景を遮るものが少ないことも、より景色のなかの橋を映えさせていると言えるでしょう。

フランス・パリとの縁を結ぶ中央大橋

 隅田川に架かり、中央区新川2丁目と佃1丁目を結ぶのが中央大橋です。

中央大橋(画像:写真AC)



 白色で背の高い主塔が印象的な橋で、『3月のライオン』では主人公の零が自宅から川本三姉妹の家へ行くときに最初に通る橋となっています。作品内では、時折この橋を背景に主人公の心情が描かれるので、印象深く感じている人も多いのではないでしょうか。

 中央大橋は河口や海に面し、広々とした展望が楽しめるエリアの中でも有数のビューポイントです。特に夜には海に浮かぶビル群や、北に目を向けるとブルーにライトアップされる永代橋があり、美しい夜景を満喫することができます。 

 また、佃側川沿いの石川島公園にある「パリ広場」は、芝生もあり、春は満開の桜で彩られ、桜と中央大橋がセットになった美しい景色を楽しめます。

 実はこの中央大橋はフランスと深い関係があります。橋が架かる隅田川とフランス・パリのセーヌ川は友好河川提携を結んでおり、橋の設計はこれを縁にフランスのデザイン会社が設計したものです。白い主塔はかぶとがモチーフであり、他の橋とやや違う印象を受けるのはその独自の意匠から来るものでしょう。

 フランス由来の独自性のある橋のデザインによって、作品内でもどこか印象に残るランドマークとなっていると言えます。

昔ながら下町と近代的な街をつなぐ佃小橋

 佃小橋は佃1丁目の入堀(市中に作られた人工の堀)に架かり、モダンな高層ビルを背景にレトロな赤い欄干が風景の中に映える橋です。『3月のライオン』に登場したのをきっかけに、多くのファンが訪れる人気スポットとなりました。

『3月のライオン』では川本三姉妹の家がある三月町にある橋で、橋を越えると主人公・零の住む家の周辺とは雰囲気が打って変わり、温かな昭和の下町のような町並みが描かれます。

 下町の入り口となる佃小橋ですが、現在の橋は1984(昭和59)年に完成したものです。しかし江戸時代中期にもほぼ同じ場所に橋が架かられており、橋のある風景は江戸の昔も今も変わらず受け継がれています。

 佃小橋が架かるレトロな町・佃はかつては漁師町でした。その佃島の漁師たちが海で捕った魚を保存食にしたものが「つくだ煮」であり、今も地区には老舗のつくだ煮店が残り、歴史を伝えています。

佃島にあるつくだ煮店(画像:(C)Google)



 作中には「三日月堂」という老舗和菓子屋が登場しますが、そのモデルのひとつが佃にあるつくだ煮屋なのではないかと話題になっています。

 また、橋のすぐ隣にある昔ながらの銭湯「日の出湯」も、地域の常連客に親しまれており下町風情を感じられる場所のひとつです。

 佃小橋は周辺の近代的な街と、歴史と昔の趣を残す町をつなぐ架け橋となっているのです。

「佃の渡し」に代わって往来を引き受けた佃大橋

 中央大橋と佃小橋が、特色の違う場所同士をつないできましたが、架けられたことで受け継がれてきた歴史に幕を下ろすことになった橋もあります。

 それが、佃大橋です。佃大橋は、月島と対岸の湊(みなと)を結び、都道473号新富晴海線が通る橋で、1964(昭和39)年、東京オリンピックが開催されたのと同じ年に架けられました。

 橋が開通するまで、佃と隅田川の対岸とは「佃の渡し」という江戸初期に端を発する渡し舟の往来が行われており、昭和に入ってからも蒸気船で船の往来が行われていました。しかし完成を契機に、対岸との行き来の役割は橋が担うようになり、約300年続いた佃の渡しは歴史に幕を下ろすことになったのです。

1950年頃の地図。「佃島渡」の記載がある(画像:国土地理院)



 川や海に面し、橋が印象深く、新旧の町が入り交じる佃・月島エリア。随所に架かる橋は、場所だけでなく異なる特色や歴史をつなぎ、ときには切り離し新たに受け継ぐ役割も果たしてきました。佃・月島エリアを訪れた際は、異なる世界をつなぐ「橋」に目を向け、町を散策してみても面白いかもしれません。

【画像】明治初期「佃島・月島」を見る

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