伊豆諸島の最南端 絶海の「青ヶ島」はかつて「独立宣言」を行っていた!
伊豆諸島の「絶海の孤島」として知られる青ヶ島。そんな青ヶ島がかつて「独立宣言」を行ったことがあるのをご存じでしょうか。離島ライターの大島とおるさんが解説します。発端は1978年 青ヶ島は伊豆諸島(東京都)の最南端にある島です。その距離は都心から約357kmで、文字通り「絶海の孤島」という言葉が似合います。これまで筆者は ・絶海の日本最小自治体「青ヶ島」は上陸難易度もピカイチだった(2020年8月16日配信) ・絶海の孤島「青ヶ島」に理想を求めた教育者がいた(2021年6月20日配信) ・今月公開のアプリ「東京宝島うみそら便」、これで「青ヶ島」も近くなる?(2021年7月21日配信) という関連記事をアーバンライフメトロで書いてきました。 青ヶ島の様子(画像:海上保安庁) そんな魅力あふれる青ヶ島ですが、実はかつて独立を宣言したことがあります。しかし青ヶ島の面積は山梨県の河口湖よりも少し小さい約5.2平方キロメートルで、かつ断崖絶壁に囲まれています。とても国家として呈を成せるとは思えません。 発端となったのは1978(昭和53)年1月。青ヶ島の村議会が、島の周囲3kmを領有すると宣言したことでした。この宣言は、あくまでも住民の気持ちをつづったもの。青ヶ島近海が多くの水産資源に恵まれた好漁場でありながら、ほかの地域の漁船による乱獲が止まらないことを指摘しています。 「青ヶ島住民はこうして祖先伝来の海産資源即ち生命財産を他島他県に横領略奪され生活基盤を失い、遂に挙島転出も止むない事態に追い込まれることになる。200海里時代に至ってこの乱獲はますますシレツを極めている」 その上で、青ヶ島に電話や道路、空港といったインフラが整備されていない状況を明らかにし、領有を求める旨を述べています。 「離島の海産資源の保護、離島住民の産業基盤として一定限の海域(3海里)を離島住民に専有せしめる等法の改正をすると共に一層離島の平等公平なる抜本的開発を強く国都に求め、広く世にアピールせんとするものである」 原因はインフラ整備の遅れ原因はインフラ整備の遅れ これを読むと、宣言は島民の利益を要求しているように見えますが、最後の部分で自衛手段としての領有を宣言しているのです。 「青ヶ島古来の海の生活権を防衛する自衛の手段として、ここに青ヶ島領海3キロメートルを宣言する。自今、青ヶ島3キロメートルの海域に於ける他島他県の漁船の無断操業を一切禁じるものである」 この宣言は、当時6人で構成されていた青ヶ島村の村議会において満場一致で可決。強い調子で書かれた内容は、奥山治村長(当時)によるものでした。この宣言が騒ぎになった後に、奥山村長は取材に対して、こう答えています。 「あの三キロ宣言も粗製濫造でしてね。これほど騒がれるんなら、もっと丁寧に書くんだったと……」(『月刊ペン』1978年11月号) そう、実は宣言を作成した当人もあまり重要なものと考えていなかったのです。であれば、なぜ青ヶ島はこのような宣言をしたのでしょうか。 青ヶ島の風景(画像:写真AC) その理由は、青ヶ島のインフラ整備の遅れでした。現在こそ島には空路が整備され、東京愛らんどシャトルによるヘリコプターの定期便が就航していますが、当時は欠航の多い定期船のみ。 発電機もようやく設置されて、ランプを使った生活から脱していたものの、それでも本土に比べればインフラ整備は格段に遅れていたのです。 道路のほとんどが泥道で、島でもっとも立派な建物といえば、本土から赴任する教員の宿舎。そんな宿舎も 「快適な生活を確保しないと、先生がいついてくれない」 と、東京都に陳情を重ねてようやく完成したものでした。 島民の信念に今学ぶもの島民の信念に今学ぶもの 青ヶ島は当時、電話の設置をくり返し要望していました。今でこそ全国どこへでも通話できますが、当時はそのような整備すら遅れていました。 青ヶ島以外の伊豆諸島では、既に全島で普通電話網が整備されていました。ところが青ヶ島だけは遅れ、都内につながる島内有線回線(限られた地域だけで掛けられる電話)が1本、郵便局に全国へつながる赤電話が1台。警察署に専用回線が1本という状況でした。 前述の領有宣言は本来、この陳情を行う際にオマケとして添えられるはずでした。しかし発表されると、陳情ではなく領有宣言だけがメディアに注目されてしまったのです。 当時の報道を見ると、マカオやモナコのようにカジノをつくれば島に観光客を誘致できる――などと軽く扱われています。青ヶ島の思いは顧みられなかったのです。 青ヶ島の風景(画像:写真AC) しかしこの後も青ヶ島の人たちによる陳情は続き、空港や港湾の整備が飛躍的に進展しました。とりわけ、宣言から15年後の1993(平成5)年に空路が確保されたことは画期的でした。そして現在に至ります。 島の人たちの決してあきらめない信念は、元気のない今の日本に力を与えてくれる――筆者はそんな気がしています。
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