「見てるだけで涙が」とSNSで反響 8mmフィルムに残された昭和時代の家族の肖像とは

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「見てるだけで涙が」とSNSで反響 8mmフィルムに残された昭和時代の家族の肖像とは

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自分がそこにいたわけでもないのに、なぜか懐かしさが込み上げてくる映像集があります。昭和期の世田谷区の人々が撮影した、ホームムービーのデジタルアーカイブ『世田谷クロニクル 1936-83』。制作担当者に、この企画の狙いについて話を聞きました。

世田谷で暮らした人々の記録

「見ているだけで何だか涙が出てくる」
「全く知らない人たちの映像なのに、なぜか懐かしくてグッとくる」――

 2021年5月現在、SNS上で静かな話題を呼んでいるウェブサイトがあります。

『世田谷クロニクル 1936-83』。せたがや文化財団 生活工房(世田谷区太子堂)が区民に呼び掛けて集めた8mmフィルム映像のデジタルアーカイブ集です。

ウェブサイト「世田谷クロニクル 1936-83」のワンシーン(画像:生活工房)



 全84巻・計約15時間の記録には、昭和時代を生きた市井の人々の“ハレの日”や何気ない日常が残されていました。

・生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱く母親。
・よちよち歩きの子どもの手を引くお父さん。
・鉄棒に挑戦する男の子のきょうだい。
・笑顔のおばあちゃん。
・家族で訪れた遊園地や動物園。
・近所の住民でにぎわう新年のモチつき。

 自分自身がその場にいたわけでもないのに胸に迫るものを感じるのはなぜでしょうか。思いの源泉を知りたくて、企画の担当者に話を聞きました。

初めて一般に普及したホームムービー

 生活工房の佐藤史治さんによると、このプロジェクトがスタートしたのは2015年。

 NPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo、大阪市)との協働で、世田谷区内の一般家庭に眠るフィルムの収集・公開・保存・活用に取り組み、2018年までの3年間で28人から約200巻のフィルムが寄せられ、計84巻をデジタル化しました。

 8mmフィルムは日本で初めて家庭向けに流通した映像の記録媒体。一般に広く普及したのは主に昭和30年代から50年代にかけてです。当時の撮影者本人はすでになく、保管していた家族も「何を映したのか覚えていない」というケースが少なくなかったと言います。

ウェブサイト「世田谷クロニクル 1936-83」トップページ(画像:生活工房)



「8mmフィルムを見てみたいと思っても、専用の映写機がないと再生できません。そこで私たちが機材を用意して『大切な記録を一緒に見てみませんか?』と提供者に呼び掛けました」

 remoの松本篤さんが、活動の過程を振り返ります。

「提供者のための上映会をしてみてとても印象的だったのは、提供者の方々が映像には映っていない当時の生活の細部や時代の背景までありありと思い出されたことでした」

「公開の鑑賞会では『懐かしいですね』という誘導発言を私たちはNGワードにしていました。それにもかかわらず(撮影された)その場・その時代を体験していない人たちからも『何だか懐かしさを感じる』という声をたくさんいただき、びっくりしました。ほかにも『自分も当時同じように暮らしていた』『自分の場合はこうだった』といった声がいくつも聞かれました」

さまざまな人が見ることで意味が増していく

 こうしたさまざまな反応が生まれることこそが、本プロジェクトの大きな意義のひとつなのだそう。

 所有者にとってはプライベートな生活の風景であったとしても、別の人が見ればまた違った景色が立ち現れて、自身の体験を重ね合わせたり当時の記憶をたどったりする契機になる。

 それぞれが思いを足していくことで、音もないひとつの映像の持つ意味が増えていき、意義や価値が増していく。記録と記憶の積み重ねが、世代を超えて人々の貴重な財産となっていくのです。

世田谷というまちが持つ歴史と特性

 世田谷区は、都心部から少し外れ、今も自然が残るまち。

 2021年現在こそあこがれの高級住宅地のひとつに数えられますが、昭和期を記録した8mmフィルムの世界では、人々の素朴な笑顔が映され、幸せな家族の“ごく普通”の暮らしが営まれていたことがうかがえます。

ウェブサイト「世田谷クロニクル 1936-83」フィルム一覧ページ(画像:生活工房)



 佐藤さんによると『世田谷クロニクル』には、新潟から上京して下北沢に開業した理髪店など、就職や結婚を機に地方から移住してきた人たちの映像も多く含まれているそう。

 関東大震災や第2次世界大戦、そして高度経済成長期を経ながら、全国各地から多くの人が集まり、住宅地が形成されていったまち。その過程でさまざまな記憶も集積されていきました。

「公的な資料に残されていないような語りを今回のプロジェクトでいくつも聞くことができました。そういう意味では世田谷の記録と記憶は『戦後日本の家族像の縮図』とも言えるかもしれません」(松本さん)。

 映像を見た多くの人が懐かしさを感じる理由も、世田谷というまちが持つ歴史や特性に由来していると言えそうです。

自分もそこにいたかのような感覚

 2020年には映像やインタビュー、当時の記憶にまつわる日用品や思い出の品などを展示する企画展も開催していましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により会期途中で閉幕に。

 しかしその一方で、冒頭で紹介した通り映像を紹介するウェブサイトがSNS上などで注目を集めました。

「外出の難しい今の時期に、『世田谷クロニクル』の映像を通して東京・世田谷、ひいては日本の歩みに思いをはせる機会にしていただけたら。世代の異なる家族同士で見ても、またそれぞれに違う気付きがあるはず」と佐藤さんは話します。

※ ※ ※

 人の記憶は風化するものと言われますが、一度忘れてしまったからこそ再び思い出したときに鮮やかな色彩を放つこともあります。

 数十年という時間を超えて鮮やかによみがえり、新たな意味を付与されていく『世田谷クロニクル』の8mmフィルム映像。SNS上には、こういった趣旨の感想も寄せられていました。

「人のホームビデオってなぜか、見ていると自分もそこにいたのではないかと錯覚してしまう」

ウェブサイト「世田谷クロニクル 1936-83」のワンシーン(画像:生活工房)



 映されているのは、もしかしたら自分だったかもしれない「名もなき誰か」の何気ない一コマ。しかし同時に、きっとその「名もなき誰か」自身でしかあり得なかった、かけがえのない瞬間でもあります。

 匿名と固有、誰かと自分、俯瞰(ふかん)とミクロ、過去と現代を行き来するような、不思議な体験を味わうことのできる貴重な映像集です。

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