世間の「普通」から外れることは、どうしてこんなに怖いのだろう【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(1)

何とは言えないのだけど何となく息苦しい。そんな気持ちでいる人へ、東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理さんに生き方のヒントを尋ねる企画「トーキョー知恵の和」。今回のテーマは「東京と『普通』とは」です。


私が20代で「週休5日」生活を始めた話

 遅刻をせずに会社へ行って、毎日働いてお給料をもらう。なるべく人に嫌われないように、笑顔で愛想よく振舞う――。「世間の普通」はいつの間にか私たちをがんじがらめにしていて、何だかときどきとても息苦しくなってしまいます。それなのにその「普通」からはみ出すことは、なぜだか途方もなく恐ろしく思えるのはなぜなのでしょう。東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理(おおはら・へんり)さんが、「世間の普通」を手放した先にある「自分のための普通」について語ります(構成:ULM編集部)

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 こんにちは。20代から東京で隠居生活を始めました、大原扁理といいます。

「隠居生活」といっても、投資やITでさっさと儲けてアーリーリタイア、みたいな話ではありません。週に2日間はまじめに働いて月に7~8万円稼ぎ、あとはなるべく社会とは距離を置いて、少労働、低消費の生活を6年間続けてきました。

 そういう生活にぴったりくる名前がなかったので、既存の言葉のなかから一番しっくりくるものを選び、勝手に「隠居してます」と言ったのです。

 国分寺市内の家賃2万8000円(最寄り駅まで徒歩20分以上)という「価格破壊アパート」(!)に住んで、食事は基本的に毎日自炊。さらに野草を摘んできて食べたり、服は3~4パターンをローテーションで1年間着回したりです。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(画像:大原扁理さん制作)



 仕事のない日は、だいたいお茶を飲みながら図書館で借りてきた本を読むか、散歩するか、寝てました。携帯も持たず、ほとんど引きこもりのような生活……。

「そんな生活、何が楽しいの?」って思いますよね。私もそう思ってました、実際に隠居をしてみるまでは。

「世間の普通」を拒否したら、本当の生活が始まった

「普通」という基準は、マジョリティに最適化されたものです。今現在、多くの人が採用している生活スタイルや考え方が「普通」と呼ばれるようになる。「一般的」と言い換えると、わかりやすいかもしれません。

 隠居生活に突入してから、それまで当たり前のように受け入れていた「普通」っていったい何だったんだろう、と考えてしまうことが多々ありました。

 テレビでは、「東京でひとり暮らしをするには最低でも月に17万円必要」とか言っていたけど、全然そんなことないじゃん。私の東京での生活費は、ひと月7万円。あれ、「世間の普通」って、全然当てにならん……。そう気づいた瞬間でした。

 もしかしたら、はた目には、やるべきことから逃げてるだけ、と映ったかもしれません。ところが実際は、引っ越して仕事や人間関係を整理したとき「人生の舵(かじ)を初めて自分で握ることができた」と感じていたのです。

「世間の普通」を拒否して、そこからはみ出てしまったとき、頼りになるのは自分だけ。間違えても誰かのせいにはできないという緊張感。自分の人生に対するコミットメントや、覚悟のようなもの……。これでやっていけるのか、と本当は不安もあったけれど、初めて人生が自分のものになったと感じた、私にとっては記念すべき主体的な体験でした。

「自分の普通」とは、自分自身の居心地よさ

 とはいえ「世間の普通」というものは、人の深いところにまで内在化しているから、無自覚に信じ込んでしまっている「世間の普通」が私にもあると思います。「今どき携帯がないと生きていけない」とか、「東京に食べられる野草や山菜はない」なんていうことについては「そんなことないんじゃない?」と疑ってかかってみましたが、まだまだ気がついていないことはほかにもあるはず。

 日々の違和感や疑問に思ったことを、そのままにしておかない。覚えておく。調べる。知る。そしてやってみる。

 いい感じだったら、続けてみて様子を見る。改善点は必ず出てくるから、今の状態を完璧だとは思わないこと。これを何百回も繰り返していくと、世間に頼らない「自分だけの普通」ができていきます。

「20代で隠居」とか聞くと、自分とは関係ない、恵まれた特殊な例だと思われるかもしれません。でも、その中身を解体して見てみれば、実はこうした非常に地味で小さな気づきと取捨選択の積み重ねでしかないのでした。

ちょっとやそっとじゃ、動じなくなる

 さて、それではなぜ「世間の普通」ではなく「自分の普通」を追求していくほうがラクに生きられるのでしょうか。

 私が自分の生活のことを本に書いたり話したりする機会によく感じるのは、ほんとはみんな「世間の普通」に合わせるのがそろそろしんどくなってきていて、「自分の普通」で生きるほうがいいって薄々わかっているけど、なんだかんだでやらないのではないか、ということです。

 まあそうは言っても、母体が大きい「世間の普通」の方がまだ安心感があるのかもしれません。大きなものに寄りかかりたくなることって、あると思う。

 確かにそれぞれの生き方に合わせた「自分の普通」をイチから作っていくのって、前例がない場合も多いので、めんどくさい。だけど、同時にごほうびもあるんです。

「自分の普通」ができてくると何がいいかって、「年間所得が122万円以下は貧困」「老後2000万円必要」とか言われても、そのまま受け取らず、「私は100万円以下でも満足してるんで」「ほんとに2000万円必要か、自分でやってみて確認しますね」となるんです。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(画像:大原扁理さん制作)



 ちょっとやそっと、常識や潮流が変わったところで、一喜一憂しなくてすむんですよね。長い目で見ると、これって実はすごく安心。

みんなが「普通」を自給自足すると、何が起きる?

 とはいえ私のような「週休5日」みたいな少数派の生活スタイルは、それをやる人の数が少なければ少ないほど、とくにやり始めの時期には、世間になかなか受け入れてもらえないことも事実です。でも、やっちゃう。

 なぜかというと、どこの誰がいつ作ったんだかわからない「普通」は、どこかの誰かにいつでも都合のいいように作り替えられかねないからです。

「普通」を突き詰めていった結果、その「普通」をやる人が自分だけになったら、どうなるのでしょうか。考えただけでわくわくしませんか。みんなが自分の「普通」をやったら、「普通はこうでしょ」なんて台詞で暴力的に否定されることはなくなっていく。いろんなことがあっていい世界になるのです。

「普通」を自給自足すること。「世間の普通」を弱体化させること。それが結果的に、知らないうちに人生の舵をほかの誰かに握られてしまうことに対する、最大のカウンターになると信じて、今日もいそいそ隠居しています。


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