新大久保で乗った韓国女性「一度死んだ」と話す彼女が、どうにか生き返れた話【連載】東京タクシー雑記録(10)

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新大久保で乗った韓国女性「一度死んだ」と話す彼女が、どうにか生き返れた話【連載】東京タクシー雑記録(10)

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橋本英男

フリーライター、タクシー運転手

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タクシーの車内で乗客がつぶやく問わず語りは、まさに喜怒哀楽の人間模様。フリーライター、タクシー運転手の顔を持つ橋本英男さんが、乗客から聞いた奇妙きてれつな話の数々を紹介します。

新大久保駅の転落事故から20年

 フリーライターをやりながら東京でタクシーのハンドルを握り、はや幾年。小さな空間で語られる乗客たちの問わず語りは、時に聞き手の想像を絶します。自慢話に嘆き節、ぼやき節、過去の告白、ささやかな幸せまで、まさに喜怒哀楽の人間模様。

さまざまな客を乗せて走る東京のタクシーのイメージ(画像:写真AC)



 今日はどんな舞台が待っているのか。運転席に乗り込み、さあ、発車オーライ。

※ ※ ※

 乗り逃げの詐欺にやられ、ショゲながらハンドルを回していると、知らぬ間に車は新宿・大久保通りのJR山手線新大久保駅あたりを走っています。

 この駅は2001(平成3)年にプラットホームから男性客が線路に転落して、それを救助しようとしたふたりも電車事故に巻き込まれて亡くなった場所です。

 そのひとりが韓国人留学生の李秀賢(イ スヒョン)さん、将来のある26歳でした。

 私もその事故があった1月26日19時過ぎに偶然この近くにいたことを思い出します。現場は長い時間、救急車や警察車両、消防車が何台も止まっていて大混乱でした。

おしゃべりな中年女性が乗ってきた

「チョンマル カムサハムニダ(本当にありがとう)」と、通過するときはいつも感慨深い気持ちになって冥福を祈っていました。

 あれからもう20年も経ちます。この間、日本と韓国とは互いの関係が悪化したこともありましたが、最近では若い世代を中心に文化での交流が大変活発だと聞きます。

 そうこうすると少し先の中央線の大久保駅あたりから、歌手のジュディ・オングさんそっくりな中年の女性が手を挙げます。はっきりした目鼻立ち、土地柄もあり韓国女性とすぐ分かります。

 ドアを開けて乗せると間髪入れずに、韓国語なまりのおしゃべりが始まりました。

ホームからの転落事故があったJR新大久保駅。あれからすでに20年が経過した(画像:写真AC)



「運転手さん、この道まっすぐ行っていいね。あのね私ね、水を飲むのが大好きよ。水をいつもいつも持ってるね。私は水と薬で生きてるねぇ。私ね、一度は死んだことある女よー」

 私の経験上、東京でタクシーの乗客として出会う韓国出身の人々は、皆とても明るい。それから自分で商売をしているという人も多い。

 何代か前から日本に暮らしている人もいれば、ビジネスのため一念発起して来日したという人もいる。異国の地に根を張ってしっかり成功を収めているのだから、必然パワフルな人が多いということなのでしょう。

「一度死んだだなんて、お客さん。そんな風にはとても見えませんよ……」

 私が相づちを挟む間もなく、女性はすごい勢いで話し続けます。

ストレス、過労、飲酒の末に

「私、30代でノウコウソク(脳梗塞)したね。原因はストレスよー。過労、お酒の飲み過ぎね。友達とおしゃべりしてたら突然に頭痛になって、話ができなくなって、机にうつむいたまま、そのままね」

「それは……。大変でしたね」

30代で脳梗塞を経験したという女性。発症の多い年齢は60~80代とされ、彼女は相当若いときの経験だった(画像:写真AC)



「2、3歳くらいの子どもの言葉『うーうー』しか出てこない。それまでの記憶もなくなったね。左目の黒い瞳がグルッと左に寄って白目ね。ぜぇんぜぇん駄目よ。私、これが死ぬことなんだと分かったよー」

 何年くらい前の体験ですか? と聞こうとしましたが、その女性、とにかくしゃべるしゃべる。

「有名な大学病院に入院したよ、1か月いたら70%くらい治った。まだ若いかったからね。でも先生、これ以上治らないと言った。私困るね、それじゃ好きな人できても結婚できないと思ったね。ぜぇんぜぇん一番困るよ、ホントよ」

「でも、今は元気そうで何よりですよ。すごくお元気そうだ」

「友達に薦められて韓国の世界的有名なのK大学病院に“コネ”で入って、針と漢方薬でぜぇんぶ治ったよー。すごいことよー。お金も日本で200万円、韓国で300万円使ったよー」

「お客さん、とにかく治って良かった。それにしても、お金持ちなんだなぁ」

お金? 命より大事なものないよ

「お金? 命より大事なものないよ、運転手さん。運転手さんも、何かあったらK大学病院に行くといいねー。これホントの話ね」

 それにしても、本当によくしゃべる。ひとつずつ真剣に聞き入っていると、運転がおろそかになってしまいそうなほど。

「それからね、いろんなことあったけど、友達の小さな2匹の犬がね……ペラペラペラ……」
「お、お客さん、ちょっと待って! あんまり話されると、どこを走っているか分からなくなってしまいます!」

「あ、怒った? 怒るは駄目ね、怒るは良くない」
「いえ、怒ってはいないですけど、えぇっと、行き先どちらでしたっけ。忘れちゃいましたよ。というか、お聞きしましたっけ?」

「あのね運転手さん、その犬がすごく困ったよー。夜中たくさんたくさん吠えて……ペラペラペラ……」

さまざまな客を乗せて走る東京のタクシーのイメージ(画像:写真AC)



 結局その後20分近く、女性の話にお付き合いすることになりました。

 何でも、最近小型犬を2匹飼い始めた友人が女性の自宅に泊りがけで遊びに来たらしいのですが、連れてきた犬たちがとにかく吠えて、頭痛がひどくなって、昔の脳梗塞が再発するのではととても不安になったとのこと。

 病気が怖いから犬を連れて早く帰ってほしいと友人に切り出したところ、相手が激高して、何年来の友情にヒビが入りかけてしまったとのこと。

 私は「ははぁ」とか「大変ですね」とか、いろいろな相づちを組み合わせながらもハンドルを握ります。

彼女が教えてくれたこと

 最終的に行き着いた彼女の目的地は、タクシーを拾ったところからほんの数分程度の場所でした。どこへ向かえばよいのか分からないまま「遠くじゃない」という言葉を頼りにグルグル周辺を走っていましたが、ひと通り話し終わると満足した顔で、「ここで降りていくね」と。

 本来ワンメーターだった料金は、確か3000円以上になったんだったか。

 難癖も付けずにきっちり払って去っていく背中を見守りながら、彼女のさっきの言葉を思い出します。「お金? 命より大事なものないよ」――

 大変な経験をいろいろしてきたから、ああしてどっしりいられるのかもしれないと考えて、ふと、日本で暮らす外国出身者たちの苦労や努力にあらためて思いをはせてみます。

活気あふれる新宿・新大久保(画像:写真AC)



 さっきは心の中で一瞬「うるさい客だなぁ」なんて毒づいてしまったけれど、失礼な考えだったかもしれない、と思い直します。

 新宿・大久保周辺は日本最大のコリアンタウン。聞こえる言葉にも韓国語が多いことに気が付きます。

 それ以外にも都内には、北池袋のチャイナタウン、錦糸町のリトル・タイランド、西葛西のリトル・インディアと、国際色豊かな街がいくつも点在しています。

 東京は国際都市の多様性を持つ活気にあふれた街。タクシーを通して彼らに出会うとき、そのエネルギーやバイタリティーにハッとさせられることがしばしばです。

※記事の内容は、乗客のプライバシーに配慮し一部編集、加工しています。

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