水害と戦い環境保護にも熱心 東京で最も小さい「狛江市」を巡る【連載】多摩は今(6)

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水害と戦い環境保護にも熱心 東京で最も小さい「狛江市」を巡る【連載】多摩は今(6)

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鳴海侑(まち探訪家)

東京都の多摩地域東部に位置する、「水と緑のまち」狛江市。そんな同市の成り立ちと魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。

小田急線沿線にある自治体

 新宿から南西に進み、箱根方面へ向かう小田急線ですが、沿線の自治体は世田谷区や町田市といったイメージが強くあります。例えば独特な印象のある下北沢や高級住宅街のイメージが強い成城学園前は世田谷区ですし、町田駅周辺は南多摩の一大拠点として都内と神奈川県内から多くの人がやってきます。

 実は小田急線沿線にはもうふたつ、都内の自治体があります。ひとつは多摩ニュータウンに属する多摩市です。こちらに関しては小田急多摩線の存在を知っている人であればピンとくるでしょう。そしてもうひとつが今回紹介する「狛江市」です。

「狛江市」という字面を見て、読み方と場所ともにイメージできるは小田急沿線に在住ではない限り、そう多くはないでしょう。では、実際どのようなまちなのでしょうか。

位置は世田谷区の隣

 狛江市は「こまえし」と読み、世田谷区の隣に位置します。

 地名の由来としては朝鮮半島とのつながりがあり、朝鮮半島から渡来した「高麗(こうらい)の人が住む入り江」から「狛江」になったという説や百済(くだら)国王が高麗人を日本に帰化させたため「狛の里」と呼ばれたという説があります。

狛江市(画像:(C)Google)



 自治体の大きさとしては非常に小さく、日本で2番目に面積の小さい市です。最も面積が小さい市は埼玉県蕨市なので、狛江市は東京都で最も面積の小さな市ということになります。

 小規模な自治体は合併することが多いのですが、狛江の場合は昭和の大合併の際に合併できずに現在のまちの形になったという歴史があります。

 その特殊な立ち位置が一番よく現れているのが市外局番です。多摩エリアの市外局番は23区の「03」とは異なり、「04」から始まる市外局番(042や0422、0426など)です。しかし、狛江市だけは例外的に市外局番が「03」から始まっています。

 これはもともと、電話線が世田谷方面から引かれたためです。他方で歴史的には市内を流れる多摩川や野川の上流にあたる調布とのつながりも深くあり、電気を始め、調布市内を走る京王電鉄から供給を受けていました。

小田急線が東西を貫くまち

 1950年代に進められた「昭和の大合併」ではこの世田谷区と調布市それぞれとの関係性があったために合併を巡って町政が荒れてしまいます。

 世田谷区との合併を推進した当時の狛江町長に対し、議会は調布町、神代町(じんだいまち。現在のつつじヶ丘駅や仙川駅周辺エリア)との3町合併を目指しました。

狛江市の位置(画像:(C)Google)



 結果として町長の不信任決議や町長再選後のリコールなど町政は大きく荒れ、安定化させる間に合併の機を逸し、現在の狛江市が残ることになりました。

 現在の狛江市内を見ていくと、小田急線が市内を東西に貫き、都心方面へのアクセス手段となっています。市内には狛江駅と和泉多摩川駅の2駅があり、狛江市の中心部にあたる狛江駅には準急が停車します。

 駅北口からは多くのバスが発着し、調布市内へ向かう系統が多く、バス網から調布市とのつながりがうかがえます。

東京の市街化と郊外化が狛江に与えた影響

 そんな狛江駅前のバスロータリーには「わたしたちがつくる水と緑のまち」と書かれた看板があります。この看板だけ見ると、自然とのつながりを重視する郊外にありがちな言葉と思いがちですが、宅地化前の狛江のまちにとって水は切っても切れない関係にありました。

 狛江市の西から南には市境をなす多摩川が流れ、江戸時代には市内から取水し、下流の農業用水とすべく六郷用水が開削されました。また、狛江駅の西側には清水川の水源があり、北からは野川が現在の市域の中心を流れていました。

1932(昭和7)年に発行された現在の狛江市周辺の地図(画像:国土地理院)

 野川は六郷用水と狛江駅の北の小田急線沿いで合流し、多摩川左岸の多くの村々に水を提供していました。農村にとって水は重要です。狛江は水に困らない場所であり、農村としてはよい場所であったであろうことがうかがえます。

 しかし、時代が下って東京の市街化と郊外化が進むと状況が変わります。六郷用水は農地の減少で役割を失い、1945(昭和20)年に廃止されました。野川には家庭や工場から出る廃水が流れ込むようになり、度々氾濫するようになりました。特に1966年の台風4号に伴う水害では堤防が決壊し、1500世帯以上が浸水してしまいます。

 この水害を受けて、以前から計画されていた野川の改修が促進されます。そして現在のように狛江市の北側を流れ、成城の西を流れる広くて直線的な流路に変えられました。旧野川の流路は緑地公園となっており、現在は歩いてたどることが可能です。

狛江駅前の緑地にも歴史が

 治水の進行で狛江と水との関係性は大きく変化し、同時に宅地化が一気に進んでいきます。1960年代の人口増加率は前年度比10%を超え、4万人近く増加しました。そして1970(昭和45)年に市制を施行し、狛江町から狛江市に変わりました。

 人口増加のけん引役となったのが

・神代団地(調布市西つつじケ丘)
・多摩川住宅(調布市染地、狛江市西和泉)
・狛江団地(狛江市和泉本町)

といった団地でした。

 特に神代団地は野川の改修とともに造成されており、まさしく水との関係性が変わるなか、宅地化を進行させていったことがうかがえます。また、一方で宅地化の進行で清水川の水源となっていた弁財天池の水はかれてしまいました。

 こうした高度経済成長の反動で、環境保護が叫ばれるようになります。

 狛江市では駅周辺再開発の際に大きな環境保護運動があり、その対象となったのが清水川の水源となっていた弁財天池の周辺でした。環境保護運動の結果として弁財天池周辺は「狛江弁財天特別緑地保全地区」として保護されることになり、地下水のくみ上げで弁財天池にも水が戻りました。

狛江駅前の狛江弁財天緑地(画像:(C)Google)



 現在も保全活動は続いており、狛江駅前北口の目の前に緑地があります。駅前の一等地にこうした緑地があることは緑豊かな多摩地域、中でも西多摩の山間部以外の場所では大変珍しいといえます。

 東京で最も小さい市、狛江市。小さくて目立たないまちのように思うかもしれませんが、本記事で紹介したような、小さいからこそ見えてくる特殊性やまちのうつろいを頭の片隅に置きながら巡ってみると、きっと奥が深く面白いはずです。

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