東京・荒川区に残存――美しき「レンガ塀」が描く近代東京の面影
2021年3月16日
知る!TOKYO富国強兵と殖産興業を旗印に、近代化へ突き進んだ明治の日本。そんな時代に必要とされたのがレンガ建築でした。フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。
近代的な工場が必要とした「レンガ」
2021年2月20日(土)、尾久図書館(荒川区東尾久)が移転してリニューアルオープンを果たしました。新装した尾久図書館は隣接する公園と一体的に整備され、緑あふれる区民が集える空間になっています。今後、敷地内には保育所なども整備される予定になっています。新しくなったことで区民から注目を浴びている尾久図書館ですが、その外構にもこだわりが見られます。それが、レンガを多用している点です。
明治初期、政府は富国強兵と殖産興業(資本主義的生産方法を保護育成しようとした政策)を二大スローガンに掲げました。殖産興業では、富岡製糸場をはじめとする大規模工場が建設され、近代的な工場の導入が図られています。
そんな近代的な工場は、国にとって重要な施設でした。政府は簡単に工場が損壊しないよう、耐震・耐火の観点から工場を頑丈につくることを決めました。そのため、それまでの木造ではなく、レンガという新たな建築材料で工場をつくろうとします。
しかし、レンガで工場をつくるといっても簡単ではありません。それまでの職人たちはレンガで建物をつくった経験がありません。そこで西洋からお雇い外国人を招聘(しょうへい)しました。
お雇い外国人の力を借りることで、建築・設計という面はクリアできました。しかし、問題はまだありました。それが、レンガで建物をつくろうとしても、そもそも日本国内でレンガ製造していないことです。いくら建築・設計が可能になっても、材料がそろわなければ意味がありません。
帝都・東京では、江戸から明治へと時代が移るにつれて、官公庁舎や在外公館、学校・銀行・病院といった多くの公共施設を整備する必要が生じました。それらの諸施設は近代的な建築技術が用いられることになったため、その材料としてレンガの需要が急増します。
そうしたレンガ需要の高まりに応えるべく、政府は荒川流域に注目します。現在の荒川区・足立区付近にあたる荒川流域はたびたび水害が起き、耕作地には不向きな土地とされていました。
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