昔はスーパーが1軒だけ 病院も本屋もなかった「お台場」が雑多な観光地に変身するまで

東京を代表する観光地となった港区・お台場。そんなお台場ですが、スタートは意外にも順風満帆ではありませんでした。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


都市博中止で危ぶまれた未来

 新型コロナウイルス感染の「第3波」到来で都内を歩く人が減っています。しかし、お台場海浜公園(港区台場)の周辺は休日になるといまだ多くの人であふれています。

お台場(画像:写真AC)

 そんなお台場は紆余(うよ)曲折を経て生まれた街で、東京臨海副都心として開発されるようになったのは、バブル絶頂期の1989(平成元)年からです。

 しかし街の運命は過酷でした。1993年にレインボーブリッジが開通したものの、盛り上がりのきっかけとして期待されていた1996年の世界都市博覧会が中止になってしまったのです。

 しかし既に開発の始まっていたオフィスや商業ビルは計画を止めるわけにいかず、開業が始まります。当時は1年も持たずに撤退してゴーストタウンになるのではないか――という見方が大半でした。

 そして1996年になると、3月にホテル日航東京(現・ヒルトン東京お台場)、7月に東京ジョイポリスとデックス東京ビーチが次々とオープン。また、3月からはとバスが東京臨海副都心をめぐるコースを始めています。

 世界都市博覧会の中止で見捨てられた埋め立て地に客など来るはずがない――という予測とは裏腹に、観光客は殺到します。

 東京ジョイポリスは開業20日で入場者10万人を達成。デックス東京ビーチは開業1か月で120万人。ホテル日航東京の8月の稼働率は83%になっていました(『アクロス』1996年10月号)。

お台場に人が集まった理由


【航空写真】60年前の「お台場」を見る

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_06-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_07-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_08-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_09-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_10-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_11-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_03-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/12/201217_odaiba_04-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画